Sorry, for the momemt, Japanese only.

1996年9月から、ニューデリー駐在員として、インドに住んでいます。そこでの経験や、インドの印象などを写真付きで紹介していきたいと思います。     

*普通の写真をインドでスキャンしてもらったので、あまり調子が良くありませんが、まぁ、ご愛敬ということで。   

タージマハル
         
あまりにも美しいタージマハル(Taj Mahal)です。今回インドに来てから既に2回行きました。といっても、2回とも日本からの出張者等の休日の小旅行のアテンドなので半分仕事です。1989年の2月に貧乏旅行でインドに来たときもタージマハルにいったのですが、何度行ってみてもその美しさに打たれ、何回も振り返りながら、名残惜しく帰ってくる場所です。タージマハルの街アグラはデリーから車で片道約3時間半なので、日本からの出張者の週末の日帰り観光には格好の行き先になっています(=その分デリー駐在員は何度も足繁く通うことになる)。フライトならば約1時間弱なのですが、ホッピングフライトであることもあり、なかなか予約ができません。因みに、アグラに向かう国道2号線は、英国統治時代にはGreat Trunk Roadと呼ばれた、デリーとカルカッタを結ぶ主要国道ですが、その一部(マトゥーラ〜アグラ間)について、円借款で拡幅改修プロジェクトを実施中です。     


ホリ(Holi:インドの水掛け祭り)     


北インドへの夏の訪れを祝うホリ(Holi)です。インドのお祭りや国民の休日は月暦で決められるため、ホリの行われる日付も毎年前後しますが、今年は3月26日に行われました。仕事の関係で友達になったVermaさんの奥さんの実家(こちらも偶然Vermaさん)で行われるホリに招かれました。最初の写真はホリ前夜のたき火です。ホリの前日には、それぞれの畑からその年初めての麦の束をもって帰る人々の姿がいたるところで見受けられますが、このたき火でその麦を焦がしてみんなで食べ、収穫に感謝する、といった意味合いがあります(地面に散らばっているのが麦です)。日本にも同じようなお祭りがあるのではないでしょうか。     


ホリ当日の戦い(?)の前の情景です。Verma家(奥さんの実家)は女系の血筋のようで、6人姉妹に男1人、また、お孫さんも今のところ女の子ばかり、といった具合です。これは、家の中庭で朝ご飯の準備をしているところですが、1時間後に始まるホリの騒動に比べると、まさに「嵐の前の静けさ」といった感じの美しく且つ平和な情景です。     







この写真はホリの本番が始まった直後の私です。説明し忘れましたが、Holiには、色々と種類があり、Dry Holiでは色付きの粉のみが、Wet Holi(これが普通で、私が参加したのもこれ)では色水、食紅等が、また、Dirty Holiと呼ばれるものでは、その他色々汚いもの(私は知らないが、ムチャクチャ汚いらしい)がつかわれます。Wet Holiホリの本番では、「色水け、色塗り、何でもあり」であり、一言で言えば、東南アジアにもよく見られるような「水掛け祭り」ですが、ホリの場合は色付の水が使われること、また、水以外にも食紅(多分)を使って「顔攻撃」があることが特色でしょう。また、ところによっては、ホリの日には奥さんが旦那さんを棒をもって追い掛け回すようなことをしたりするようなところもあるそうです。この日はまったくの無礼講で、街に出ると誰から何をやられても文句は言えません。もっぱら2階から「水風船」や水鉄砲で通行人を狙う子供などもいて、普通は外国人は家でじっとしている日なのです。     
そこを敢えて騒ぎの渦中に身を投じた私の顔はこの写真では黒く見えますが、これは、逆光気味だからでも、インドに来て日焼けしたからでもなく、紫色の食紅(きちんと水に溶けると緑色)を顔にたっぷりとすり込まれてしまったからです。まったく油断も隙もなく、みんなが食紅の缶を隠し持っていて、前後から攻撃を受けてしまいました。顔と手(自分の両手を濡らして、食紅を塗りたくってから人を攻撃する)についた色がすべて消えてなくなるまで、1週間位かかり(自分でいうのもなんですが、元々色白なので余計に目立つ)、結構恥ずかしい思いをしました。     
隣に立っているのがMr Vermaと彼の次女のKritiです。まだ小さいKritiは水を怖がるので、彼女面倒を見ていたMr Vermaはこの時点では濡れていませんが、この後ですっかりずぶ濡れにされていました。     

ホリについては、もっと色々と写真があるのですが、スキャニングの調子が悪いようなので、また改めて追加したいと思います。     

      
カルカッタの地下鉄     

この写真はカルカッタの地下鉄です。現時点ではインドで唯一の地下鉄です。総延長約17Kmの建設に約25年を要し、1995年から全線営業を開始しました。その一部に円借款が用いられため、今年2月にそのフォローアップを行うために出張してきました。日本やシンガポールの地下鉄並みとまでは行きませんが、自動改札や電光掲示板があるなど、非常に立派なものです。今後、デリーにも地下鉄を建設することになっており、これに対しても円借款を供与していくことになっています。カルカッタの地下鉄建設で培われたノウハウがデリーの新地下鉄の建設に活用されることが期待されます。(とある方から、「昔は鉄道の写真撮影は御法度だったけれど、最近は大丈夫なんですか?」とのメールを頂きましたが、今でも鉄道の写真撮影は御法度で、見つかればショッ引かれます(まぁ、牢屋には入らないで済むでしょうけれど)。この写真を撮ったときにも、発車寸前の列車に飛び乗って事無きを得たのでした。)     
地下鉄とは全く関係がないのですが、89年に貧乏旅行でカルカッタに来たときには、悪名高きサダル・ストリート(インド博物館の隣の安宿街)のホテルの屋上に一泊10ルピーで泊まりました。ところが、今回はサダル・ストリートからは500mも離れていないにも関わらず、89年当時は近寄ることも出来なかった最高級のオベロイ・グランドホテルに泊まりました(一泊約3,000ルピー)。「8年間でオレもエライ出世をしたものだなぁ」、と一人感慨にふけりました。     

      
ビハール州への貧乏旅行(?)     

3月末の3連休を利用して、インドでもっとも貧しいといわれているビハール州へプライベートで貧乏旅行(?)をしてきました。デリーから州都パトナまで飛行機で1時間半、そこから、お釈迦様が悟りを開かれたガヤ・ブッダガヤまで(約150km)は、89年の卒業旅行のときのように貧乏旅行をしよう、ということで、外見も中身もとても汚く、いつ横転してもおかしくないようなオンボロバスに25ルピーで乗りました。約6時間のバスの旅は、全く休憩なしで疲れましたが、隣に座った少年と片言のヒンディー語と英語の会話をして名詞を渡して別れたら、手紙がきました。こういうことがあるから、「貧乏旅行」のほうが面白いのです。ガヤに到着後、30分ほどオートリキシャに揺られてその日の目的地ブッダガヤに到着したときにはもうとっぷりと日が暮れていました。今、振り返ってみると、未だに追い剥ぎが出るといわれるビハールでそんな移動をしたのは非常に危険なことでした。一泊400ルピーの安宿を探し出し、翌日この写真にあるマハボディ寺にお参りしました。ここは、お釈迦様が悟りを得られたその場所であり、私の背後に移っている大塔の周りには世界各国からの寄進による大塔が建っています。仏教徒及びヒンドゥー教徒がお参りしていますが、彼らは大塔を時計周りに回ります。私も3周ほど回ってみました。ブラーマンだという怪しげなオジサンが私の手をとって何やら幸運を祈ってくれました。     
本当は、卒業旅行の時のように、ゆっくりと時間を取って、またバスに乗りたいところだったのですが、ブッダガヤからパトナまでの帰り道は、時間がない(インドにきても、所詮サラリーマンはサラリーマンだ)ために、非常に忸怩たる気持ちで1,900ルピーも払ってタクシーを借上げました。途中にラージギル(霊鷲山)という、長くお釈迦様が滞在された土地があり、そこには温泉精舎と呼ばれる温泉を備えたヒンドゥー教の寺院があります。実をいうと、今回の旅の大きな目的の一つははここで温泉に浸かることであり、そのためにルンギ(こちらの腰巻き:日本のように真っ裸では入れない)等の準備をしてきたですが、タクシーの運転手に「お湯は汚いし、頼むから止めてくれ」と泣付かれ、今から考えるとただ単に早く仕事を切り上げたかったのではないかなぁ、と思いますが、その時は渋々諦めました。源泉から、浸かるための風呂、石鹸でごしごしと身体を洗う洗い場、と順に流れてくるので、確かに洗い場は汚かったのですが、風呂自体はお湯も澄んでいて、非常に清潔な印象を受けたので、もう一度機会を設けて挑戦してこようと思っています。     
ちなみに、ビハール州およびウッタル・プラデシュ州の仏跡への観光を促進するためのインフラ整備(道路、上下水道等)のためにも円借款が供与されており、所々にその旨を記した看板を見掛けました。     


ムンバイ(=ボンベイ)

出張でムンバイに行ってきました。ムンバイというと、ピンとこない方が多いかもしれませんが、インドの商業・金融業の中心地、また、映画王国インドのハリウッド=ボリウッドとしても有名な、ボンベイのことです。「ボンベイ」という呼称は、ポルトガル語から来ているという説と、元々、古いヒンドゥー教寺院である、「ムンバデヴィ」寺院から名づけられた、「ムンバイ」という名前で現地の人々が読んでいたものを、外国人が聞き間違えて、「ボンベイ」にしてしまった、等、いろいろな説があるようですが、いずれにせよ、1995年から、「ボンベイ(Bombay)」は、「ムンバイ(Mumbai)」に改名されました。
また、「マドラスチェック」で知られるインド南部の大都市マドラスも、元々は英国人がつけた名前であり、最近は、古くから現地のタミル語で呼ばれてきた、「チェンナイ」という呼称に変更されています。チェンナイがある、タミルナドゥ州出身のチダンバラン蔵相(インド大蔵省はここ)によると、ムンバイの場合は、現地に住んでいる人々もボンベイと読んでいたので、相当混乱があったようですが、チェンナイの場合は、元々タミル語でチェンナイ、英語で話す場合はマドラス、と現地の人々も遣い分けていたので、混乱はなかったとの由(仕事で某エライさんの通訳をしたときに聞いた話)。
さて、ムンバイは、インドの中でも最も都会的な街だといわれています。今回は、仕事で忙しくて、中々街の中を見る機会がなかったのですが、駅、映画館、教会、官公庁舎、海岸沿いのアパート群など、大英帝国時代の建物が至るところに残っている一方、20階を超える近代的な高層住宅が市内・郊外に林立しており、シンガポールや、上海の一角にも似た雰囲気のある街、という印象を受けましたが、空港の周辺や、海岸付近には、スラム化した地帯が広がっており、快適な都市生活との激しい落差を感じさせられました。

     

Last updated: 3 November 1997

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