教会のある街へ

(便利な街から不便な田舎へ。マイナスからの貧しい生活の中でも恵まれていました。)

人間は、赤ん坊の頃にはミルクを与えられ、やがて離乳食を食べ、 子供から大人になるにつれだんだんと固い物を食べるようになります。 神様からの食べ物も、それと似ています。救われて最初の1年位は、 良い子良い子とミルクを飲ませてもらっている状態ですから、 本当に幸せな穏やかな日々だったように記憶しています。お祈りもしていないのに、 心の中で思っていただけで誰かが欲しいものを持ってきたりすることがたびたびありました。 神様の子供にしてもらうって、こういうことなのかと納得しました。確かに人間の赤ちゃんも、 自分で努力しなくても、その両親の子供だというだけで可愛がられ必要なものは備えてもらえます。

大学を卒業後、私はいずれ英語の教師になるつもりで、引き続きアルバイトで塾の講師をしていました。 とても不規則な時間帯での仕事でしたので、再び体調を崩してしまいました。牧師先生のご指導で、 そこの塾を辞め、一ヶ月間休むように言われましたので、その通りにしました。さて一ヶ月たったので、 牧師先生にお電話し、「先生、一ヶ月経ってしまいましたがどうしたら良いでしょうか。」とうかがったら、 「姉妹、そんなところに一人でいてもしょうがないでしょ。W市に越して来なさい。」とのことでした。 私は、学生時代に貯めていた貯金もゼロになっていましたから、「先生、私は引っ越しの費用もありません。」と言うと、「教会が払うから。」とおっしゃって下さいました。

引っ越しの時には、教会から二人献身者の兄弟方がお手伝いして下さり、引っ越し先の方でも、姉妹方がお手伝いをして下さって、9月に無事引っ越して来ました。 大きな街から不便な田舎に越して来たのです。本当に何にもないところだと思いました。 そのことで、サタンの妨害にも遭い、引っ越したくないと泣いていた時もありました。でも、お祈りによって脱出することが出来ました。引っ越しの直前に、又不思議な夢を見ました。それは、ふわふわと空を飛んでいる夢でした。暫く飛んでいると赤い教会の屋根が遥か下の方に見えました。それはまさに、私が通っていた教会でした。私の魂がどれだけ喜んでいたのかをあらわしているような夢でした。 サッシ窓から木枠のガタガタしそうな窓のアパートへ、水洗トイレから汲み取り式のトイレへと、 生活は変わったわけです。でも、喜びで一杯でした。 私は苦労知らずでお金のことで心配した経験がありませんでした。一文無しで、 しかも教会に引っ越し代とアパートの契約金など10数万円借金しているマイナスからのスタートでした。

ある日お金がなくなったので、イエス様にこう祈りました。「イエス様、私はお金が無くなりましたが、 どうしたら良いでしょうか。」と。すると、「箴言15章16節」という言葉が心に響いてきました。 私は、旧約聖書を全部読んだわけではないので、何が書いてある場所なんだろうと思いながら、 聖書のページをめくるわけでもなく、ぱっと開けてぱっと見たページがまさにその箇所だったので、 もの凄く驚きました。そこには、「少しの物を所有して主を恐れるのは、 多くの宝をもって苦労するのにまさる。」という御言葉が書いてありました。私は、 神様の大きな愛に触れた喜びで一杯になり、ぽろぽろと大粒のうれし涙を流しながら、 「ありがとうございます、イエス様。ありがとうございます。」と繰り返すだけでした。

そうしていると、電話が鳴り、献身者のSさんが「お金は大丈夫ですか?」と聞いてきました。 今度教会に来たときにと言うことで、教会でお金の入った茶封筒を受け取りました。 当時の私の生活費としては、その金額は多すぎるでもなく少なすぎるでもなく、ちょうど良い金額でした。 10月から初めてOLとなって働くことになりましたので、 毎月一万円づつ感謝献金と一緒に返していましたが、 あるとき先生が「もうお金は返さなくてもいいよ。」とおっしゃって下さいました。

今はお金に困ることはありませんが、あのころは純粋で、貧乏を楽しんでいました。 頼るのはイエス様だけだったので、信仰の面においても良い経験をさせていただいたと感謝しています。