一番最初に勤務した会社にKさんという女性がいました。 彼女は、女性にしては珍しくハッキリした性格で、その為に嫌いだと言う人もいました。 私は、うらおもてのある人間より、そういう人の方がよっぽどいいと思うのですが。ある昼休みの時に、 仲間とおしゃべりをしていたのですが、一人が、「ねえ、うちの会社の3大悪女って誰か知ってる?」 と話を始めました。私もだいたいは想像がつきましたが、あまり愉快な話じゃないので、「あら、そういうことを陰で言っている人達こそ、よっぽど悪女なんじゃないの?」と答えました。その同僚は、「それもそうね。」と言って止めました。
Kさんは、自分でも嫌われているのがわかっているので、なおさら女性達からは距離をおいていました。私はその人を、暗い顔をして難しそうな印象を受けましたが、決して嫌いではありませんでした。普通の女性にはないとても個性的なところに興味を持ちました。ある日、二人でお昼を食べることになりました。彼女は私よりもずっと年上で、なんかとても暗い陰のようなものを感じました。私がお昼に誘った時も、「私なんかでいいの?」と答えていました。食事中は普通の会話をしていたのですが、彼女には、人に言えないとても大きな苦しみがあると感じました。それが何であるかはわかりませんでした。お昼が終わってエレベーターを待っていた時、「Kさん、しっかりしてください。大丈夫ですから頑張って下さい。」と肩をたたいて励ましていました。
それぞれ別れて、私はトイレに入りました。すると突然、深い悲しみが襲って来ました。わけもなく大粒の涙がこぼれてきて、抑えることが出来ませんでした。自分でも何で泣いているのかわかりませんでしたが、聖霊様が何かを教えて下さったのだろうと思いました。それからまもなく、男性の同僚から、彼女は自分の上司と不倫をしていて、それは会社中の人が知っていることだと聞かされました。彼女に女性の同僚の友達が出来なかったのはそのせいでした。「あなたは私が平気なの?」と食事していた時言われたことも、そういうことだったのかと理解しました。キリスト教では、姦淫は大変に恐ろしい大きな罪です。その人が軽蔑されても仕方がありません。潔癖性の私がそう考えるのは普通のことなのに、どういうわけか「(地獄に行くかどうかは別として)人間は弱い生き物なんだな」と思ったのです。
私がトイレの中で泣いてしまったのは、おそらく彼女の苦しみを聖霊によって感じたのでしょう。ですから私は主に祈りました、「主よ、私には事情がわかりませんが、これは人の道にはずれたことだと思います。どうぞ、彼女を助けて下さい。」と。陰でお祈りをさせて頂きました。彼女は青春時代の全てをその上司に捧げてしまっていました。同じ会社に勤めていることもあったし、つきあいも長かったので、人間の頭では、彼らが別れることは不可能のようにみえました。しかし、彼女はしばらくすると、流れに身をまかせることなく、突然会社をやめることを決断し引っ越しをしてしまいました。上司は彼女と別れたくなかったようで、必死で居場所をさがしていたようでしたが、彼女は頑として電話番号も教えませんでした。彼女はキッパリと上司とも関係を絶ったのです。
お酒好きの彼女は次の会社を辞めてパブを始めたのですが、その時の常連で16才も年下の男性から「お店を閉めて、僕と結婚しよう。」とプロポーズされたのです。随分悩んだそうですが、その人と結婚し今は幸せに暮らしていると、元同僚から聞きました。イエス様は私個人のお祈りよりもむしろ、他の人に対するとりなしの祈りの方を聞かれるのだと知りました。それは、自分の祈りは、下手をすると「我」のお祈りになってしまうからです。