イエス様は十字架につけられる前に、ペテロの足を洗って「あなたがたもまた、互いに足を洗い合うべきである」とおっしゃいました。イエス様が一貫して教えておられることは、「愛」と「謙虚な心」だと私は思っています。私は最初、イエス様が弟子の足を洗ったことにショックを受けました。自分が高飛車な人間だったからなのかも知れません。
会社の何十周年記念かのパーティがあった時のことです。結構遅い時間になってしまい、ある同僚と路線が同じだったので、一緒に帰ることになりました。彼は私よりずっと手前の駅なのですが、彼は「それじゃ、おやすみ。」と言って自分の駅で降りてしまいました。今考えると、彼は恋人でもないのだから当たり前のことなのですが、男性は女性を家まで送るものだと思っていた当時の私には信じられないことでした。実際、それまでのボーイフレンドや男友達は、家や最寄りの駅まで送ってくれたのです。ですから、それが普通のことだと思っていました。
私は憤慨して、翌日会社で仲良くしていた男友達Tさんに、「ねえ、あの人って本当に失礼な人なのよ。私を家まで送ってくれなかったの。だからガールフレンドも出来ないのね。」なんて、平気で言っていたのです。彼は私に、「君の方が変だよ。普通は送らないよ。」と言いました。そして色々話しているうちに、私は今までかなり特別扱いされてきたことに気がつきました。女王様気取りだったわけではないのですが、確かにチヤホヤされてきたような気がします。自分が何もする必要はなく、周りの人達が何でもやってくれたのです。悲しい時や困った時は、いつも誰かがそばにいて慰めたり助けてくれました。
Tさんが私のことを「変だ」と言ってくれたおかげで、色々と考えさせられました。そして、 他の「普通の女の子達」にも話を聞きましたが、私のような珍しい人は一人もいませんでした。 本当に恥ずかしかったです。決して言い訳ではないのですが、「知らなかっただけ」なのです。やがて、会社で自分より若い子達が入ってくると、今までチヤホヤしてきた男達の目が一斉にそっちにいってしまいました。30才前後の女性なら同じ様な経験をしていると思いますが、男の人達は何て残酷なんだろうと思いました。それに対する反発もあって、「お人形さんみたい」「可愛い」という褒め言葉も不愉快な言葉にしか聞こえなくなりました。自分を表面的ではなく中身を見て判断して欲しいという思いがいっそう強くなったからだと思います。「若さや美しさはつかの間のものだ。これからは中身をブラッシュアップしていかなければ。」と決心したのは27才の頃でした。
私は、どうしたらイエス様のように人の足を洗えるようになれるんだろうと考えるようになりました。私は不器用なので、方法がわかりませんでしたから、今まで自分が誰かにしてもらったように、誰かが困っていたら吹っ飛んで行って助けてあげたいと思うようになりました。それからは、私は「へりくだる」ということを少しずつ学んでいくことになるのです。偉大な指導者(主)がおられるということは本当に感謝なことです。