主の御計画は、人知では計り知れないとつくづく思います。自分が漠然とたてていたプランは、26才で結婚して子供を3人くらい産んで専業主婦になることでした。愛する人と暮らすことが、私の人生の目標だったのです。ですから、いわゆる適齢期で結婚がダメになってから、自分がどうしていいかわからなくなってしまいました。愛する人を失い、自分の進むべき道も見えなくなってしまいました。今考えると、私は私自身の人生を歩んでいなかったのです。私は自分の人生の主役であるはずなのに、人(彼)の人生の脇役だけのような人生を送っていたのです。当時はとても依頼心が強かったので、自分の足で歩くことが出来ませんでした。
一番最初の会社では、仕事と人間関係にとても恵まれました。他の女子社員がお茶くみやコピーとりをしている中にあって、輸入の仕事をいっさい任されて、忙しかったけれども充実した日々を送っていました。若かったからかも知れませんが、とても可愛がってもらいました。仕事柄、通産省や通産局に出かけることが多かったのですが、お天気が悪いと態度も変わる役人もいる中で、私にはどういうわけか好意的でアメまでくれる人がいました。何か書類に不備があった時にも、少女漫画のような☆の目をして「どうしよう・・・」と言うと、「いいよいいよ。」と言って特別に書類を受理してくれたりしました。
今まで全エネルギーを傾けてきた対象(彼)を失ってしまい、その情熱をどこに向けたら良いか解りませんでした。何かに打ち込んでいなければ、寂しさを埋めることが出来ない切ない毎日でした。とりあえず好きな英語に加えて、ドイツ語とフランス語を同時に勉強し始めました。NHKの講座を6、7講座必死で勉強しました。目標があったわけではなく、何かを集中してやっていることで、悲しいことを一時的にでも忘れることが出来、精神的にも知的にも満たされたのです。4月から始めた語学講座も10月頃になるとだんだん難しくなり、フランス語を捨て、その後間もなくドイツ語も捨てることになってしまいました。他の外国語をやっていると、英語がより身近に感じられるようになりました。
そうしているうちに、学校に通って高度な英語の勉強がしてみたいと思うようになりました。そして同時通訳を養成する学校のことを知りました。ちょうど私くらいのレベルの人が入れるコースを、同時通訳コースの下に作った時でした。私は迷わずそこの入学試験を受けました。筆記と面接はあまりにも難しく、情けないのとショックで泣いてしまったほどでした。でも、合格することが出来、4月から時事英語などの勉強をすることになりました。会社の方も4月から組織が変わり、仕事が細分化されてやりがいがなくなったのですが、残業をすることがなくなったおかげで、勉強を本業にすることが出来ました。お給料が安かったので貯金も出来ず、ボーナスは全て学校につぎ込んでしまいました。でも勉強出来ることが嬉しくてたまりませんでした。そこでは知的な刺激を受けるクラスメートと出会い、世界を舞台に活躍している方々とパーティでお会いする機会もありました。2年ちょっとそこに通いましたが、本当に一生懸命勉強したしとても良い経験をさせてもらいました。
そのうち、会社の人達は大好きだけれど、物足りない仕事を延々とやっていくのはとても耐えられないと思うようになりました。自分の能力をもっと活かしたいと思い、初めて転職のことを考えるようになりました。牧師先生には、転職だなんて反対されるだろうなと思い、20分以上も電話の前で考え込み、ドキドキしながら電話をかけました。「先生、仕事が暇なんです・・・どうしたらいいでしょうか。」と切り出しました。先生は意外にも、「かわった方がいいね。」とおっしゃいました。私は飛び上がって喜びました。専業主婦になるはずだった私は、これをきっかけとして、しばらくの間キャリア志向の仕事人間になってしまうのでした。