牧場

(私の所属する教会はペンテコステ系なので、異言のお祈りはごく普通に行われています。
祝福の多い教会にはサタンの妨害も多く働くものです。悩みの中で導かれたことは・・。)

私はずっとイェス様だけを見てきましたので、プロテスタントだカトリックだ、 やれ教派が何だとか考えたこともありませんでした。私は最初の教会で生まれ育ちましたから、 よその教会は知りませんでしたし、興味も有りませんでした。私はこの牧場の羊です。 私たちにはそれぞれの牧場(教会)があり、羊飼いはイェス様ですが、 目に見える羊飼い(牧師先生)もいるわけです。私の教会は非常に大きな教会ですが、 とてもアットホームで、兄弟姉妹は私にとっては大きな家族のようです。 そう言っている私にも、たった一度だけよその教会に移ろうかと思ったことがあります。 私の教会はとても神様から祝福されていますが、しばしば妬みの対象になりました。 心ないクリスチャンがサタンに騙されて、数年間私の教会に揺さぶりをかけたことがあり、 もの凄い嵐が吹き荒れたことがありました。私は、ある姉妹と涙を流してお祈りをしていました。 教会を愛しているが故に、とても切なく苦しい毎日でした。

ちょうどその頃は、個人的にも、仕事や人間関係で切羽詰まった問題を抱えていて、 昼休みでも異言の祈りを必要としていた時がありました。それで、会社の側の教会(別の教派)に、 昼休みに出かけて行き、2週間くらいお祈りの場所を提供していただいたことがあります。 私はとても感謝しました。短い時間でも、主と交わることの幸せをかみしめていました。 そこの牧師先生は、私がお祈りをしている間は、わざわざ別の場所に行って下さったのです。おかげで、 思い切り讃美とお祈りを捧げることが出来たのです。ところが、今日で最後にしようと思った日に、 私がお祈りをしている時に、後ろの方でその先生が居合わせたのです。私が、お礼を言って帰ろうとしたら、 「さっきのは異言ですか?」と言われたので、ごく当たり前に、「はい。そうですけど。」と答えたら、 とても汚いものを見るかのように「うちは異言を認めていないから。」と言われたのです。 私はとても驚きましたし、ショックでした。世の中の教会は、私達のことをこんな風に思っているのかと。 あの時は本当に傷つきました。

聖書には、「終わりの日にはすべての人に聖霊を注ぐ」とありますし、 「聖霊を汚す言葉は絶対に許されない罪」だと書いてあります。なのに、どうしてこの牧師先生は、 自分の目で見て聞いた事実を認めることをしないのだろうと思いました。この人は、 私の教会で約300人が一斉に聖霊の祈りをしている現場を見ても、 事実を認めないのだろうかと思いました。私は、 おしゃれな場所にあって、外国人もたくさん来ているこの教会に、移ってもいいなと考えていたのです。 でも、はっきりとわかりました。私はよその牧場の羊なのだと。私には、教会の聖歌隊で讃美を歌うお仕事があります。私の牧場、私の居場所はここではない。嵐が吹き荒れていても、私は残ろうと思いました。

あれから、随分年月が経ちましたが、私達の教会は試練を乗り越えて、ますます祝福され成長しています。 ハレルヤ!!