*証し会(10/31/93)

(意地悪な上司の元で働くうちに、すっかり自信を喪失し悲観的になっていました。
でも、そんな私を支え立ち直らせてくれたのは、今も強く生きて働く御言葉でした。)

私は、2年半前から現在の会社で代表者の秘書として働いています。長い間私の上司との事で、非常に苦しい時期を過ごしましたが、御言葉に支えられて困難を乗り越えることが出来、主御自身とその御言葉は力強く今も生きて働いておられることを実感し、そのことをあかしさせていただきます。

私は、当時恵みの御座で、良い仕事が与えられるように祈って頂いていました。一人の時も具体的に祈っていました。通勤に便利な所、オフィス環境も設備も整っていること、良い同僚が与えられるように、又外国人が働いていること、残業もなくゆとりのある仕事であること、給料もまあまあであること、それに最も重要なことは上司との相性が良いことなどを祈りました。祈りの結果は、通勤はY線で通えるK町、オフィスは広くてきれい、設備も整っていました。同僚は良い人達で、その半分が外国人、仕事は多少物足りないけれどもゆとりがあり、給料は高くはないけれども残業ゼロで生活出来るといったお恵みを頂きました。最後の最も重要なお願いを除いては、、、。

2年前の5月に入社してすぐに、上司が同僚や外部の人達からどんな風に思われているかを知りました。誰一人として、彼をいい人だと褒める人はいませんでした。同僚は、今までの彼の歴代の秘書はみんないじめられてひどい目にあっている、中には病気になって辞めていった人もいる、と言っていました。最初は私もピンと来ませんでしたが、1ヶ月半もたった頃から、上司の意地悪が始まりました。細かいことは全部説明出来ないのですが、ありとあらゆる嫌なことを言われました。上司は自己中心で、気分屋で我が儘、病的な几帳面、自分に甘く人には厳しい、重箱の隅をつつく陰湿で意地悪、思っていることをズケズケ言って、叱るときはその人の人間性まで傷つける。まるで傷口に「辛子」をすりこむようなやりかたをするのです。 それにケチ、傲慢、頑固で、自分はいつも間違いをせず完璧、悪いのは他の人だと思っている。 私の今までのOL生活の中で、これだけひどい変わった人は初めてでした。私は生まれて初めて、 心の底から男の人を「くそじじい」と思いました。

試用期間の頃、「あんたがその程度の仕事しかしないんだったら、この雇用契約は破棄してもいいんだよ。」と脅されたこともあります。仕事をしないんじゃなくて、したくてもさせてくれないのです。私が率先して何かをやると気に入らず、「あんたは余計なことをやらなくていい。」、質問しても、「そんなことは知らなくていい。」と、私はまるでお茶くみです。まるで牢屋の中で手足を縛られて身動きひとつ出来ない、自由も許されないような非常に窮屈な状態でした。いつも上司の顔色ばかりみてビクビクして、怒られるのが嫌なので何でも言うとおりにし、絶対に逆らわないで我慢し続けました。当然、私はストレスがどんどんたまり、休みの日でさえ、同じW市に住んでいる為、神経が休まる時がありませんでした。

私は疑問に思い、いつもこう祈っていました。「イエス様、他のことは全部聞いて下さったのに、どうして毎日こんなひどい目にあわなければならないのですか。本当ならば定年で辞めたはずの人なのに、何故それをのばしてまでもそこにいさせて、私を秘書として送ったのですか。」、又、「自分のやる気も主体性も全部吸い取られてしまう。私にとって何のメリットもないのに、どうして、あのくそじじいの下でなければならなかったのですか。」と。私は、彼の(20数年間つとめてきた)歴代の17人の秘書達の苦しみが良くわかりました。でも、全てはイエス様のお許しの中にあることだし、何の目的もなく主が私をここに送ることはありえないと思っていましたから、主の御名が崇められるようにひたすら我慢をし、主に祈り続けました。会社に行くのが、まるで戦場に行くかのようでした。毎朝「主よ、私の周りを垣根でめぐらし、サタンが放つ矢をはね除け、私の心をどうか守って下さい。」と必死で祈りました。それでも、会社に行くと負けてしまう毎日が続きました。一年も過ぎると、私は本来の私ではなくなっていました。いつも緊張してビクビクし、自分自身を100パーセント殺して上司に合わせました。毎日自分を否定され続ければ、精神的におかしくなるのは当然です。私は、劣等感、不能感で一杯になり、誇りも自信も全て失ってしまいました。上司の前に出ると手足が震え、声はどもりました。普通じゃない、このままだったら本当に病気になってしまう。お祈りをしても心が弱くなって、どうしていいかわかりませんでした。

途方に暮れていた時、アメリカのノーマン・ビンセント・ピール牧師が書いた「積極的考え方の力」という本に出会いました。最初の数ページを読んだ時、この本は私の為に書かれた本だと思いました。その最初のページには、「自分自身を信じなさい!自分の才能を信じなさい!自分の力に対する、謙虚ながら確固たる自信がなければ、成功することも幸福になることもできない。健全な自信こそ、成功の原因をつくるものである。劣等感や無能感は希望の達成を妨げるが、自信は、自分の能力を発揮し、本望を達するようにさせてくれる。」と書いてありました。そして、主の御言葉を武器にして、困難と立ち向かい勝利した人達の具体的なあかしが出ていました。私は教会で毎週御言葉を学んでも、自分の生活の中に活かしきれていなかったことに気がつきました。私はイエス様の意図が何となく分かってきました。私にとって敵と思われる人でも私にとっては必要な人だということが。イエス様は上司を用いて、私も気がつかなかった自分の弱点を引き出してくれました。自分は楽観的だと思っていたのですが、劣等感の固まりで非常に悲観的だということです。思い当たることは、たとえば何かをやる時に祈って委ねたと確信しても、結果として失敗すると、「やっぱりね。」と思うことがある。自分を信用出来ず、無意識に失敗することを予想しているのです。それに又、朝起きた時、「ああ、又、上司にに怒られる憂鬱な一日が始まるんだな。」と、その時点で私は無意識のうちに不幸を選択してしまっているのです。

その本の中で、何度も繰り返して出てきた聖書の御言葉が、私の心をだんだんと正常な状態に戻してくれました。その御言葉は、何度も読んでいるはずなのに、素通りしていた御言葉でした。それは、劣等感や無能感で悩んでいる人には一番効く薬だと思います。それは、ピリピ人への手紙4章13節「わたしを強くして下さる方によって、何事でもすることが出来る。」です。これをいつも口に出して言うようにしました。それから、「イエス様はすでにこの世に勝利しているのだから、私は何も恐れることはない」と心の中でいつも繰り返しているようにしました。目に見えるところは、相変わらずいじめの中で悲惨でしたので、お祈りでは何度も続けて言っていることは出来ないので、歌にして心の中でいつも讃美していられるように導かれました。私はそれを「主は今生きておられる」のメロディーにして歌っていました。「私を強めて下さるイエス様によって、私は何事でも出来ることを信じます。」と。そして、「明日も生きよう」のところを「今日も生きよう」に変えて歌っていました。せっぱつまっていたからです。

すぐには変わりませんでしたが、すこしずつ確実に変わっていきました。以前なら、上司にこれをやってくれと言われたら、やる前から「出来るかな、又怒られるのかな。」と不安になったものですが、「必ず出来る。イエス様が一緒にこの仕事をして下さっているのだから、絶対に出来ないことはない。」と。時々心が弱くなりかけた時も、「イエスは勝利を取られた十字架の上で」の讃美を不安がなくなるまで心の中で繰り返しました。私はだんだん心が強くなり、本来の私らしくなってきました。

去年の7月、私はとうとう我慢も限界に来て、初めて反撃に出ました。思っていることを全部言ってしまいました。おそらく、私の前の秘書はそれをやって2ヶ月でクビになったのでしょう。上司は、私がおとなしくて何も文句を言わないと思っていたので、1年2ヶ月目の私の反撃にはずいぶん驚いたと思います。でも、プライドの高いはずの上司は、私をクビにするとは言いませんでした。そして、3週間の長い夏休みに入る前日、私と副代表の秘書に、「あんたたちも、私からのストレスを充分にいやすように、ゆっくり休みなさい。」と言いました。私たちは耳を疑いました。「一体、じいやはどうしちゃったの!?」と。私たちは、陰で親しみを込めて「じいや」と呼んでいました。

意地悪だったじいやも、今年のお正月頃に、網膜剥離の一歩手前の病気にかかり、とても丈夫な人だったので、ショックだったようです。私たちも彼をいたわり、私も陰で祈らせていただきました。何とか通院ですみホッとしました。その頃になると、私は完全に元の自分に戻り、健全な自信を取り戻し、もう震えたりドキドキすることはなくなりました。上司も、周りの同僚がビックリするほど丸くなり人が変わりました。私も精神的に余裕が出来、ボスが毒舌をはかなくなったので逆に具合が悪いのかと心配するほどになりました。時々毒舌を言っても、心の中で笑いながら、「あなたらしいわね、じいや。可愛い奴。」と思えるようになりました。

長くなりましたが、私は、主の御言葉は、自分の心ばかりか潜在意識までも浸透させなければダメなんだ、そうすることによって全ての困難に立ち向かって勝利していくことが出来ると確信しました。本当にイエス様はいつも側にいて、助けて下さり力づけて下さる素晴らしい方です。私はこのことを通して実感しました。そして、全ては私の信仰と私自身の成長の為に、御計画なされていたんだなと思いました。本当に感謝しています。

*追記*
上司の名誉の為に言いますが、彼は本当に自分の娘達や奥さんをとても愛し、大切にしていました。そのことは、とても素晴らしいことだと思っていました。(3/30/97)