*父のこと(2)

夫婦の問題は、子供には理解出来ないし立ち入ることは出来ませんが、母が勝手に家を出て2年間別居したことがあります。その為に、以前では考えられなかったことなのですが、母のことを心配して会社や家に電話をしてきたりする父と話すようになりました。ある日父と電話で30分も長電話をしたことがありました。生まれて初めての父との長電話でした。私は30代にもなって初めて、『えっ!?お父さんってこんなに話しやすくて、心が広くて優しい人だったの?』と気がつきました。

私はそれまで、母から聞いている父のことしか知らなかったのです。母は父の愚痴を良く言っていましたから、それを全部鵜呑みにしていた私が浅はかでした。『何故今まで、自分自身の目で父を見て来なかったんだろう。私は何てひどい娘だったんだろう。』と、自分を情けなく思い、父に申し訳ない気持ちで一杯になりました。そして私は、そのことを泣きながら牧師先生にお話しました。先生も良かったですねと喜んで下さいました。私は、『父が亡くなる前に気がついて良かった。これからは、もっと親孝行しなければ。』と、悔い改めました。

それから一年経ったかどうかという頃、あの忌まわしい地下鉄サリン事件がありました。父は、私が地下鉄を使っているというだけで、あの日の朝心配して会社に電話を掛けてきました。「大丈夫だったか?」「その電車には乗らなかったから大丈夫だったの。」「会社の人達は大丈夫だったのか?」「みんな大丈夫よ。」などの会話を交わし、しばらく別の話をしていました。他の同僚は、やっぱり何だかんだ言ってもいざという時にどういう行動を取るかで愛情の度合いがわかるわよね、などど言っていました。この時に心配して電話をしてきたのは、母でも姉兄でもありませんでした。父と田舎の幼なじみのK子の二人だったのです。その時の電話が、父との最後の会話になってしまいました。

サリン事件の6日後、父は交通事故であっけなく逝ってしまいました。父は生前一度も交通事故を起こしたことがない人だったのに、酒酔い運転をしていた対向車がセンターラインを超えてぶつかってきたのが原因です。父には何の過失もなかったのです。私は、『何故なの!?何故こんなことが許されるの!?』と思ったと同時に、『父は救われないまま死んでしまった。』と放心状態になってしまいました。『私のせいだ。私のお祈りが足りなかったからだ。』と自分を責めました。

「祖父のお葬式(証し参照)」の時と同じように、偶像崇拝から守られるように、お天気が守られるようにと、祈りました。祖父のお葬式の時には、お祈りが完全に聞かれて信じられないくらい奇跡的なことが起こったことを思い出しました。火葬場に行く前まではどしゃ降りで、どう考えても晴れそうにはありませんでした。姪達に、祖父のお葬式の時の証しをすることが出来ました。それにしても、今回は晴れないのでお祈りは聞かれないのかなぁと不信仰な思いがよぎりました。火葬場で待っている1時間30分位の間に、いつの間にか雨が上がり真っ青な青空に変わっていました。あまりにも鮮やかだったので驚きました。『神様は、やっぱりお祈りを聞いて下さった。』と、少し寂しい気持ちで感謝しました。何故かというと、お天気なんかより父の命を助けて欲しかったからです。どうしても父の死を認めたくありませんでしたし、納得が行きませんでした。

神様はお通夜の時も告別式の時も、私を偶像崇拝や仏教の儀式から完全に守って下さいました。 私は、お線香やお焼香をしないことで人から責められるより、 神様が最も忌み嫌われることをして罪を犯すことの方が耐えられないと思いました。 私はお坊さんがお経をあげている間、ずっと声を出さないで御霊の祈りを続けていました。 お焼香がまわって来た時も、姪達が「お姉ちゃんは出来ないんだよね。」と言ってパスしてくれました。 そして、最後にお線香をあげる時になって、私以外の家族が全員済んだ後に、 叔父さんが「(本名)もやりなさい。」と言いました。私は絶体絶命でしたが、母が「この子は別の宗教だから出来ないんだよ。」と言いました。私も、「いいの。お父さんもわかっているから。」と咄嗟に言いました。すると、叔父さんは「そうか。それじゃ、いいよな。」と言って、それで済んでしまいました。本当に信じられないことです。神様がお祈りに答えて下さって、人の心に働きかけて下さったに違いありません。

教会の先生の代理で献身者のAさんがいらっしゃった時、私は一番激しく泣きました。「私は、取り返しのつかないことをしてしまいました。父は救われないで逝ってしまったんですよ。どうしたらいいんでしょう。」と言いました。Aさんは笑顔で「祈られてきた魂とそうでない魂は違いますよ。それに、亡くなる直前にイエス様を受け入れられたかもしれませんよ。」とおっしゃって下さいました。牧師先生も、「お父さんのことはイエス様にお願いしておきましたから、残された家族の魂の救いの為に祈りなさい。」とおっしゃって下さいました。

私は、このことを通し、人の命の問題は神様の範囲であることを納得しました。人間が神様の範囲に立ち入って命のことで不平をいうことは出来ないのだと思いました。先に「讃美の力」の本を読んでいなかったら、父の死という現実を受け入れることは到底出来なかったでしょう。全てのことは神様のお許しの中で起こっていることです。神様のお許しがなかったら髪の毛一本も落ちることはないのです。