*新しいドイツ語の先生

(年が明けてもまだ年賀状を書いていなかった怠慢さが、結果的には新しい
先生と出会うことに。お導きの時って何か不可解な行動をするものです。)

私が最も心を許せる友人の1人であり、私のドイツ語のプライベートティーチャーだったAがミュンヘンに帰ってから一年が過ぎました。コンスタントにドイツ語に触れなくなると、せっかく覚えたドイツ語もどんどん忘れてしまいます。インターネット上でも、色々と探してみたのですが、ドイツ語の先生は英語の先生のように簡単には見つかりませんでした。又、Aのように相性の良い素晴らしい先生となるとなおさらです。お祈りをして、自分でも忘れてしまいそうな頃に、ふとしたことで新しい先生が与えられました。神様の演出は素晴らしいと感心してしまいました。

昨年の暮れになりますが、私はいつもなら年内には年賀状をせっせと書いて出しています。でも、昨年はどういうわけか書く気力がなく、年賀葉書も買いそびれてしまいました。何故書く気が起らなかったのかはわからないのですが、何かのお導きなのかも知れないと思いそのまま自然の流れにまかせることにしました。

年が明け、とうとう1月7日になってしまいました。私はクリスチャンなので、干支の年賀状は使いません。会社の傍の文房具店で、とても可愛いチューリップの絵が書いてあるカードを見つけたので、怠慢なのですがそれで年賀状を下さった人にだけ返事を書くことにしました。今日こそは返事を書いて出さなければと思い、会社が終わるとすぐにドイツレストランに行きました。何故ドトールやプロントではなくドイツレストランだったのか良くわからないのですが、導かれるようにそこに入ったのです。お導きの時って、不可解な行動をすることが多いようです。

私は集中すると何も見えなくなってしまう方で、年賀状を一生懸命書いているうちに時間のたつのを忘れてしまいました。そのうちディナータイムが始まり、結局夕飯もそこで食べることにしました。しばらくすると、若い外国人が私のテーブルの横に立っていました。ニコニコしながら片言の日本語で、「ドウシテ、タイガーノカードデハ、ナイノデスカ?」と声をかけてきました。何故知らない外人がそんなことを聞いてくるのかと思いましたが、良く見ると名札を付けていたのでお店のスタッフだとわかりました。貰った年賀状の中のお城の写真を見て、彼は、「あー、ノイシュヴァンシュタイン!」と言いました。その正確な発音で、彼がドイツ人だとわかりました。

彼は人が好きらしく、きびきびと働きながらもにこやかに声をかけて、仕事を楽しんでいるように見えました。年賀状を書き終えた私は、レジでお金を払っていました。その横で一生懸命ショーケースのガラスを磨いている彼を見つけ、ドイツ語で、「失礼ですが、あなたはドイツ人ですか?」と聞きました。私は、その時単純なミスをしてしまいました。「ドイチャー」と言うべきところを「ドイチェ」と言ってしまい、「(女性の)ドイツ人ですか?」と質問してしまったわけです。彼は、「ドイチャー(ドイツ人男性)ですよ。」と微笑みながら答えました。

私は、久しぶりのドイツ人だったので、自分のプライベートティーチャーがドイツに帰ってしまって話す機会があまりなくなったことや、ドイツ人の先生を探すのは難しいことなどを話しました。すると彼は、「本当に先生を探しているの?僕も生徒を探していたんだよ。」と言いました。まぁ、何と言うタイミングの良さなんでしょう!ほんのちょっと話しただけで、彼がどんな人でどんな教え方をするかも全くわからなかったわけですが、私は彼の人柄だけで『この人ならば任せられる』と思い、お願いすることにしました。

彼は、とってもリラックスさせてくれる感じで、教え方も上手だと思いました。Aのようにおどけて笑わせるようなことはありませんが、とても真摯で熱心な姿勢に非常に好感を持っています。Aは友達だったので、甘えてしまって宿題は一度もやったことがなかったのですが、新しい先生Rは教えた単語は次の授業の時にすべてチェックを入れるというやりかたで、ちょっと厳しいのですが、怠け者の私にはちょうど良いのかも知れません。(笑)

人との出会いは不思議なものです。彼は学生で週に2,3日だけそこでアルバイトをしていたのです。私があの日あの時間に年賀状を書きに行かなかったら、先生には出会うことがなかったでしょう。彼はカトリック教徒で、同じ神様を信じる者同士、神様の恵みを語り合い、聖書を教材に使うこともあり感謝です。イエス様は、私にピッタリの先生を送って下さったのだなぁと嬉しく思っています。