*長い祈り

(神様と格闘する長い祈りを通し、カトリックのRは私の教会へ!)

私のドイツ語の先生Rと出会って一年が過ぎました。この一年間色々なことがありました。 私が喜んでいる時も悲しんでいる時も、いつもRがそばにいてくれて私を受けとめてくれたような気がします。 こんなに一緒にいて楽な人に出会ったことはありません。

昨年、私は彼がクリスマスに誰と過ごすのか興味津々でした。 数ヶ月前には、クリスマスイブにはカトリックの○○教会のミサに行きたいと言っていました。 もちろん誰と行くのかもわかりませんでしたし、私も連れて行って欲しいなどと出過ぎたことは言えませんでした。(ひょっとしたら彼女がいるかも知れないし。) クリスマスの一週間以上前に、どういうわけかRとカラオケと食事をすることになりました。 彼の方から提案したのにもかかわらず、授業の後にカラオケを一時間やって、食事もしないで帰ることになってしまいました。 彼はとても忙しいので、仕方ないかと思いましたが、帰りがけに「heidi, Merry Christmas and A Happy New Year!」と言われてしまったので、それはそれは落胆して家に帰って来ました。 つまり、クリスマスどころか年が明けるまで会えないのかとガッカリしたのです。 クリスマス直前になって、彼がクリスマスの挨拶をたくさんの友達に(つまりCCで)電子メールで送って来ました。 そこには、クリスマスには教会ではなく横浜ベイの船の上で過ごすことにしたと書いてありました。

私は、とても寂しい気持ちになってしまって、「クリスマスイブには、あなたと一緒に○○教会に行きたかったの。 たった一時間だったけど、あなたとカラオケで歌えて嬉しかったわ。」という、若干意味深なメールを送ってしまいました。 すると、「一緒にディナーに付き合えなくてゴメンナサイ。 カラオケも短い時間しか出来なくてゴメンナサイ。30日と31日に、一緒に教会に行こう、 カラオケにも行こうね。」という意外なメールが来ました。私は、年末の教会のことは知らなかったので、 軽い気持ちでうちの教会の元旦礼拝に誘ってみました。 30日に会った時にはカラオケに2時間行ってお寿司を食べて帰ってきました。 彼は、仕事が忙しいので元旦に行けるかどうかわからないと言いました。 そして、行けるようだったら31日に電話をすると言って別れました。

私は大晦日の日、一日中電話を待っていました。夕方も過ぎ夜になりました。 掲示板にそのことを書いたら、ある兄弟と未信者の男性が、私の方から電話してみたらと言ってくれました。 私は、人に無理強いしたくはなかったので、ただ彼から電話がかかって来るのを待っていたのです。 でも、彼らに言われたこともあり、思い切って電話してみることにしました。 それで、彼が元旦礼拝に来るかどうか決めかねている本当の理由を知ることとなりました。 彼はカトリック教徒でプロテスタントの教会に行ったことがなかったのです。 日本に来てからは、どこの教会にも行っていないのですが、いずれ行く教会を決めなければならないと以前言っていたことがあります。 彼は「私はカトリックなので、○○教会に行きたいと思っています。だから、今決められません。 heidiの教会に興味があったら、23時に電話します。」と言いました。その電話が終ったのは21時でした。「興味があったら」という言葉のニュアンスがどうしても消極的に聞こえました。

私は、イトーヨーカ堂で買い出しをしてきたものを冷蔵庫にも入れず、紅白歌合戦も裏番組も見ないで21時から22時30分頃までずっと祈っていました。 長い信仰生活の中でこんなに長時間異言の祈りをしたことはありませんでした。 なんかゆっくり長距離を走ったような疲労感がありました。 私はこの1時間30分もの長いお祈りを通して、お祈りをする時の姿勢を学んだような気がします。 異言の祈りが止まなかったのは、妨害をする霊と神様の霊の激しい戦いが繰り広げられていたからだと思っています。その時に学んだことが、その後の大きな問題を抱えていたS姉妹についてのお祈りの時にも活かされました。

最初は、ごく普通に日本語のお祈りをし、その後異言でお祈りをしました。 しばらくお祈りをしていたら、このお祈りを妨げるものがあることを示されました。 それは、私自身の中にあった嫉妬心だったことは意外でした。 私は確かに、自分の想像力を働かせすぎて、クリスマスを女性と過ごしたのかも知れないとか、彼をバイブルスタディクラスに誘っている女性は余計なことをしてくれるなどと思っていたのです。 若い彼に恋人がいても不思議はないし、恋人がいなくても女性の友達がいても当たり前です。 私は彼に、「バイブルスタディクラスに行くよりも、ちゃんとした教会に行く方を勧めるわ。」と言ったら、彼も「モチロンです。」と言っていました。 でも、私は明らかに、嫉妬していたのです。その嫉妬心を神様に告白し、許していただき、祈りの中で完全にその思いを取り去って頂きました。

それからの祈りは、神様と格闘するような必死な祈りに変って来ました。 私は、カトリックの教会に素朴な疑問を持っています。それは@マリア崇拝とAキリストやマリアの像を造ってそれを拝むことです。 @は聖書のどこにもその根拠がありませんし、Aの偶像崇拝は十戒に明らかに反しているからです。 彼との二回目の授業の時に、プロテスタントとカトリックの違いを表にして話したことがあります。 論争をしたわけではありませんが、やはり彼も他のカトリック教徒と同じように、マリアは祈りの取り次ぎをしてくれると言っていました。でも、マリアは人間にすぎないし、そういう権限は与えられていないと説明しても、カトリック教徒とは平行線になってしまうのです。 (もし、これをカトリックの方が読まれていたらごめんなさい。全部を否定しているわけではありません。でも、もしこの疑問点について、きちんとした説明をして下さる方がいたら、私にメールを下さい。)

私は上記のような理由から、Rにはプロテスタントの教会に通ってもらいたいとずっと思って来ました。 私は、祈っているうちに、 自分でもビックリしたのですが、気が付いたら「私の大切なRを…」などと祈っていました。 「私は、神様とすもうをとったヤコブのように、祈りを聞いていただけるまでは、引き下がりません! 絶対に引き下がりません!」、「神様に出来ないことは何一つありませんから感謝です (これを数え切れない程言いました。(^_^;;)。」、とか、 ありとあらゆることを色々と言っていたような気がします。

延々と続いていた異言の祈りが止んだのが22時30分頃でした。 私は、ふと気が付いて、買い出ししてきた生ものを冷蔵庫に入れ始めました。 祈りとは正反対に、淡々と静かな心で23時が来るのを待ちました。 私は、神様の答えはどちらなのかわかりませんでしたが、どういう答えが来ても心の準備は出来ていました。 私は、22時55分頃から「イエスは勝利を取られた十字架の上で」を力強く讃美していました。 歌っているうちに23時になり、23時8分になりました。 さすがの私も歌を止め、『カトリックとプロテスタントにはこんなに隔たりがあったのか…』と静かに思っていました。 そして、『もともと元旦礼拝に来ないかと唐突に誘ったのは私だし、時がまだ来ていないのかもしれない・・。』と思っていました。 ところが、23時15分になって電話が鳴りました。 誰だろうと思ったらRでした。 「明日heidiさんの教会に行きます。」と元気な声で電話がかかって来ました。 私は思わず「嬉しい!!」と言ってしまいました。 私は、祈りが聞かれたことを自分の掲示板に書きました。 暮れの一番最後の素晴らしい証しをリアルタイムで兄弟姉妹と分かち合うことが出来、 本当に嬉しく思いました。

一つだけ心配だったのは、保守的なカトリックとは全く違う雰囲気の、 モダンなペンテコステの教会に生まれて初めて来るということでした。 レッスンの時にも、何度か異言のことや証しをしたりしていましたが、 理解しているかどうかはわかりませんでした。 でも、彼が言っていた「私は古い考えよりも新しい考え方の方が良いと思っています。」 という言葉に望みを持っていました。 考えていてもしょうがないので、祈りに答えて下さった神様を信じてお委ねするのみでした。

さて元旦になりました。教会に着くと、Rは控えめな性格なのか後ろに座ろうとしていました。 でも、私のいつもの席が最前列なので、前に座ってもらいました。何故後ろに座ろうとしたのか理由を 聞いたら「恥ずかしいから」と言っていました。 私は英語の聖書も持っていったのですが、彼は要らないといい、 日本語の聖書を読んでいました。日本語の聖歌、讃美歌、又ワーシップソングも一緒に歌って いました。先生のメッセージが理解出来たかどうかはわからないのですが、とても喜んで 楽しんでいた様子で、色んな人に「この教会好きです。」と言っていたのでホッとしました。

初めて来た人の紹介の時、「え?」と驚いた顔をしたので、 「大丈夫よ。私が紹介してあげるから。」と気を利かせて言ったら、 Rは司会者のマイクを取り日本語で挨拶をしていました。(誰が恥ずかしがりやだって?(^_^;;) 「1月1日にはどこかのキョウカイに行きたかったんです。でも、テキトウなキョウカイがありませんでした。 そして、Sさんからこの教会にショウタイされました。(以下省略)」と。 私は、思ったよりも日本語が上手いのに驚きました。『おいおい、昨夜言っていたことと違うじゃないか。 カトリックの教会に行きたいと言っていたくせに〜。私はその為に一時間半も祈ったんだぞ。(^_^;;』 と心の中で思いました。でも、物おじせずに堂々と挨拶をしていたので好感が持てた為か、 色々な人達が入れ替わりたちかわりで挨拶に来ました。 彼も嬉しかったと思いますが、私もとても嬉しかったです。(^_^)

礼拝の後、先生が私達の席まで挨拶に来てくださり、私が「彼はカトリックでプロテスタントの教会は初め てみたいです。」と言ったら、彼は、「それはモンダイではありません。私はとてもウレシイ気持ちです。」 と先生に言っていました。(99年1月)

*追記

彼はその後も教会に来て、私達と同じように立ち上がって両手を挙げて、喜んで讃美を歌っています。 その適応の早さに驚いています。(99年3月29日)

Rも就職し忙しい身となりましたが、時々寝坊をして休むことはあるものの、 一時間もかけて教会に来て礼拝を守っています。(02年11月)