昨年の2月から什一献金を再開したことによって、たくさんの祝福を受けました。 それを一度に全部証しをするのは限られた時間では難しいので、 何回かに分けて証しをさせて頂きたいと思っています。 今回は、主の御名によって、私の什一献金にまつわるお話と、 昨年末に家が与えられたことを証しさせて頂きます。
私は大学を卒業後、M市の塾で働いていましたが、半年もしないうちに体調を崩してしまいました。 K牧師先生のご指導で塾の仕事を辞め、W市に越して来ることになりました。でも、 私は引っ越しやアパートを契約するほどのお金はなく、 先生が当時のお金で十数万円立て替えて下さいました。W市に来てから仕事が見つかるまでの間も、 生活費は教会のお世話になっていました。働くようになってから、 私は毎月感謝献金と一緒に少しずつお金の返済をし続けていましたが、しばらくすると、 まだ返済しきれていないはずなのに、牧師先生は「姉妹良いよ、もう返さなくて。」と言って下さいました。 でも、申し訳ないという気持ちが一杯で、私はその借金返済分を翌月から什一献金に変えたのでした。それが一番最初に什一献金を始めたきっかけです。
OL一年生の時の手取りは、今の3分の1以下の安月給でしたが、「これは私の分ではなく、 神様の分だから」と、何の躊躇もせずに十分の一を捧げていました。 だからと言って、什一献金の信仰があったというわけではありませんでした。 そして、何年か経ち、ある試練に遭い躓いてしまいました。「什一献金を捧げているのに、 何でこんなひどい目に遭わなければいけないの?」と文句を言いながらも、習慣で什一を続けていました。 その時はW市内でお風呂付きのアパートに引っ越していましたが、二年足らずで、 その1DK4万2千円の部屋を出て、当時家賃8万円の2DKの部屋に2人で住むことになりました。 ところが、すでに契約は済ませていましたが、プライベートな事情でそこに1人で住むことになってしまいました。解約をして前のアパートに戻ろうと思いましたが、すでに借りる人が決まってしまい戻ることが出来なくなっていたのです。
払うのは難しいかも知れないと思いながらも、その新築のアパートが非常に気に入ったので、 そこに住むことにしました。でも、一気に3万8千円も家賃が上がったわけで、当時の私のお給料では、 残業を相当しなければ家賃が払えず、什一献金をするどころではなくなってしまいました。何年もの間、 私はまるで家賃の為に働いているようでした。「こういう事情だもの、仕方がないわ。 神様だってわかって下さるわよね。」と、ずっと思っていました。 そして、何回か転職をするたびに、私のお給料はかなりアップしていきましたが、 だんだん傲慢になり「什一献金をしなくても、私はこんなに恵まれているじゃないの。」と、 什一献金をしなくても何とも思わなくなってしまいました。
そして、何年か前のお正月に、S牧師先生が什一献金のお勧めをされました。私は、 99年9月まで一年半失業中していましたが、何故仕事が与えられないかを考えた時、 自分の罪がそうさせているのだと思うようになりました。そして、 「隠れている罪もハッキリと現して下さい。」と祈り、 罪が示されるとそれを悔い改めるということを繰り返していました。 その中で私は、 「什一献金をしなくなった私は神様のものを盗んでいる」と示されたのでした。 そのことを悔い改め、 「仕事が与えられたら什一献金をすることを約束します。」と神様に叫んでいました。 やがて、 素晴らしい会社と上司にめぐり合い、大きな祝福を受けました。
そして、昨年の3月頃自分のホームページの日記に、 什一献金を再開したいきさつを次のように書きました。『「試しなさい」と神様御自身がおっしゃっています。 私の日記を読んで下さっているみなさん、私が神様の真の証し人となれるように、 私は喜んで実験台になりましょう。神様が「天の窓を開いて、あふるる恵みを」私に「注ぐか否かを」どうか見て下さい。 神様の御言葉は真実だということをきっとお分かりになることでしょう。』 と、 確信を持って大胆に宣言しました。そして、神様は、ハッキリと信仰告白をした私に、 御言葉通り今まで以上に天の窓を開いて恵みの雨を絶えず降り注いで下さいました。
私は、家賃が高いので8年位前からマンションを購入しようと思っていました。 色々とモデルルームを見たりしていましたが、私が一番気に入っていたのはD社のマンションでした。 その理由は、大手の会社だということ、又、セキュリティや建物の造りがしっかりしていたからです。 そして、買うんだったらD社のマンションと決めていました。でも、マンションをすぐ購入しなかったのは、 買いたいと思った時に限って失業してしまったり、転職したりで、ローンを組める状態ではなかったこと、 又、家賃が何年もの間上がらなかったので、マンションを買う必要性をあまり感じなくなったからです。 将来もずっとW市で信仰生活を続けて行きたいと思っていましたので、 W市にD社のマンションが建つのを気長に待っていました。
昨年11月の土曜日、私は何となく、駅前で公開されているどこかの会社のモデルルームを見に行くことにしました。 さて出かけようかなと思った時、何故かD社の営業の人から、 「Sさんのご希望のW市ではなくA市なのですが、良い物件があるので見に来ませんか。」 と電話がかかって来ました。そして、私は一時間もしないうちに、 営業のIさんの車でA市のマンションを見に行っていました。W市でないのは残念でしたが、 そのマンションを一目で気に入りました。静かな住宅地にある、南向きで日当たりの良い高台にあり、 W市とA市の二つの駅を使うことが出来、教会にも随分近くなり、 ロケーションも何もかもバッチリでした。 翌日曜日、牧師先生にマンションのパンフレットを見せて諸々のいきさつを話しました。先生は、 「(私の本名)さんがお家を買うのは賛成ですよ。でも、他も見てみたほうが良いですね。」とのことでした。 その日の夕方、もう一度D社の人にマンションに連れていってもらい、又、 私がモデルルームを見に行くはずだった他社の建築現場にまで連れて行ってくれました。 行ってみてビックリ、そこはお寺の隣だったのです。そこで私は言いました、 「駅前の他社のモデルルームを見る必要もありません。私はクリスチャンなので、W市で教会に近くても、 お寺の鐘を聴きながら生活するのは耐えられませんから。」と。
マンションを購入すると言っても、勉強不足の私には何もわからず、 D社の営業の人に色々なことを質問しましたが、彼はとても親切に丁寧に答えてくれました。 マンションの各階の部屋を何度も見せていただき、その中の3階の部屋を見ていた時、 「ここを気に入ったのでキープしてもらえますか。」と言いましたが、 それは難しいと言われました。ちょうど、D社では、 全国でマンションを契約した人達に対し200万円が50本当たるというキャンペーンをやっていました。 営業の人が、そのお金を当てにして仮にローンの計算をしていたので、私は、 「Iさん、それは宝くじに当たるような確率だと思うので、当たらない200万円を当てにするより、 このサンプルルームで良いですから、 200万円まけてもらえませんか。 そうして下さったら買っても良いですよ。」と言いました。私は元来ケチで細かいわけではないのですが、 何しろ以前ケチなデンマーク人社長の秘書をしていたお陰で、 仕事で値切るのはゲームのようになっていたので全く抵抗はありませんでした。 普通は値引きはしないようですが、Iさんは、 「役員までの10人の稟議がおりれば大丈夫だと思うのでやってみます。」と言い、 数日後には許可がおりたのでした。
それだけでも充分なのですが、ちょうどマンション購入のキャンペーン中だった為に、 特典が付いていました。それは決められたポイント数内で、 家具や電化製品など好きなのを選んでタダで貰えるというものでした。 照明は買うと高いですが、サンプルルームについているまま残してもらい、その上、 ポイント数を使うことによって、全てのカーテン、壊れた電子レンジも新しいのになり、 小さな炊飯器ももっと大きい新品のものになりました。 このお陰で、私は予定外に沢山お金を使うこともなく済みました。
引っ越しでは、暮れで仕事が忙しく、なかなか荷物をまとめることが出来ませんでした。そして、 引っ越しの前日一日でパッキングしようと思い会社を休ませてもらいました。ところが、体調が悪くなり、 とうとう何も手を付けることが出来ずに、当日の朝を迎えてしまいました。 アート引っ越しセンターは8時に来ることになっていましたが、4時に起きてパッキングを始めたので、 とても4時間では終りそうもありませんでした。私は非常に焦りました。 「イエス様、どうかアート引っ越しセンターの人達が遅れて来ますように。」 と勝手なお祈りをしながら、 大急ぎで荷物をまとめていました。ダンボール箱は30個もらったはずなのに、 途中で足りなくなってしまい時間も迫って来て、本当にどうしようかと思いました。
ところが何故か彼らは、道に迷ったらしく、9時10分頃に到着しました。 彼等にはプロとしてのプライドがあるので、大幅な遅刻をした為に相当ショックだったようですが、 私は神様がお祈りを聞いて下さって、彼らを遅らせて下さったことを嬉しく思いました。そして、 私はニコニコしながら「全然問題ありませんよ。気にしないで下さい。」と言いましたが、 彼らは申し訳ないと思ったのか、電化製品を含む粗大ゴミが見積もりの時以上に出てしまいましたが、 全部サービスで引き取ってくれました。そして、非常に丁寧に仕事をして下さったので、 私の荷物が積み終わったのが、何とお昼すぎでした。追加のダンボール箱も充分にあり、 ヒヤヒヤしましたが、結局問題なく引っ越しの荷物をまとめることが出来ました。主のお恵みは本当に素晴らしいと思いました。何から何まで、細かいところにまで行き届いた主の深い御愛に感謝感激しました。
主の「時」は、私の計画の「時」とは違うと改めて思いました。マンションの価格も数年前より遥かに安く、 不景気だった為に金利が下がり、ローンの審査も昔ほど厳しくなかった為に、一年半の失業後、 勤続一年未満でしたが、みなし所得をベースにしてローンを組むことが出来たのです。 主の「時」はまさに「ベストタイム」です。 什一献金を昨年2月末に再開出来たことによるお恵みは本当に大きいと思いました。
思えば什一をしていなかった頃は、確かに祝福は受けてはいましたが、 「あなたがたすべての国民は、わたしの物を盗んでいる」の御言葉を思い出すたびに後ろめたい思いをしていました。 什一献金を再開したことにより、そういう思いから解放され、捧げることによって金銭からも解放された思いがしました。 神様は全てのしがらみや執着から私を解放させる為に什一を用いられたのかも知れません。
今思えば、貧しかった時に什一献金をしていた頃は、あたかも自分が神様の倉からいつでも自由に好きなものを取り出していたような感じでした。 買えなかったものは、いつも与えられていました。それも、祈る前から必要なものは与えられていました。 私は、それをまだ信仰に入ってまもない赤ちゃんだったから、 神様が私の頭をいい子いい子している状態で、まだ厳しくなかったからなんだと思っていました。 信仰生活が長くなると、堅い物を食べさせられるので、神様は厳しいお方だなぁと思っていました。 什一献金を再開してから、それは違うのだということを知りました。神様にとっては、 信仰歴がまもなくても、10年経っても20年経っても、可愛い我子に変わりはないのです。 再び神様の無限の富の倉から、いつでも好きなだけ取り出すことが出来る状態になったからです。