*証し会(4/25/10)

主イエス・キリストの御名によって、感謝して仕事に関するお証をさせて頂きます。私のこれまでの仕事が全て恵みの御座で祈って与えられて来た話をしたところ、或る姉妹から、若い人達の為にその体験を証してはと勧められました。私の長いOL生活を振り返ってみた時、自分の思いとは違う神様の御計画があり、その時その時で確かに神様が働かれ、大きな祝福を受けて来たことを改めて感じました。社会人としてもクリスチャンとしても未熟だった私を、神様は大きな御愛で包み導いて下さり、今までずっと育てて下さっていたことを強く感じました。

信仰初期から30代前半のことはあまり証していませんでした。早天で祈っていた所、詩篇103篇2節『わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。』という御言葉が新改訳で与えられました。やはり、古い証でも神様の御業は隠しておくべきではない、証をすることで改めて神様に感謝をお捧げしたいと思いました。今日の証は30代半ばで秘書になる前の、1社目から3社目までの仕事が与えられた証になります。

最初の会社は日系の商社でした。ジャパンタイムスを見て、翻訳アシスタントで応募しました。私は本当に単純で、初めて見た新宿の超高層ビルにビックリし、3△階にあるその会社が一目で気に入ってしまいました。翻訳の筆記試験があり、その最中に一人ずつ面接に呼ばれました。試験を受けながら『イエス様、試験はとても難しいです。でも、ここが気に入りましたので何とか採用して下さい。』と虫の良いお祈りをしていました。面接で、試験は半分位しか出来なかったと答えましが、咄嗟に、「あの・・・英文タイプも打てるんですけど・・。」と付け加えていました。当時内気な私が、何故そう言ったのか本当に不思議ですが、お恵みで私は別の職種で採用されました。K先生に御報告すると、「ほお、姉妹。(ビルが)高い所で良かったね〜。」と喜んで下さいました。その会社は、当時では珍しく完全週休二日制で制服もありませんでした。その頃の女性の仕事の殆どは男性の補助的な仕事しかありませんでしたが、私は本当に恵まれていて、輸入の仕事を手取り足とり教えてもらい、通信機器の担当を全て任されました。「英文タイプが打てる」と言った一言がきっかけで、結局3社目まで貿易の仕事をすることになりました。

3年目に入った頃に組織変更があり、仕事が細分化されて輸入の一部分の単純業務になってしまいました。丁度その頃、同時通訳の養成で有名なSアカデミーが、もっと下のレベルの英語専修コースを作りました。仕事が暇になったのでそこに入学し、暫くは英語の勉強に精を出していました。お給料は安く、ボーナスは全て学費になっていたので貯金も出来ませんでしたが、勉強出来ることが嬉しくてたまりませんでした。そして、もっと英語を使える仕事がしてみたい、女性でも能力が生かせる環境がある外資系に転職したいと考えるようになりました。K先生には反対されると思いましたが、「先生、仕事が暇なんです。どうしたらいいでしょうか。」と御相談したところ、意外にも、「変わった方がいいね。」と言って下さいました。

私は29歳の直前で初めて転職活動をしました。或るアメリカの会社の翻訳兼秘書に応募しました。一次試験では当然難しい英語の筆記試験もあり、あまりの出来の悪さに恥ずかしくてたまりませんでした。お祈り会で姉妹方が祈って下さり、聖歌隊の先輩のK姉が「モーセが紅海を二つに割った光景が見えてきたの。heidiさん、試験は大丈夫よ。」とにこにこしながら言いました。でも、試験が出来なかったので絶対にあり得ないと思いました。ところが、どういうわけか二次面接の通知が来て、何かの間違いではないかと思いました。

二次面接の当日の朝、聖霊の喜びで満たされながら目が覚めました。感謝で胸が一杯になって涙を流し、「イエス様、私にはまだわかりませんが感謝します。ありがとうございます。ありがとうございます。」と繰り返し、何が起きているのかわからないまま感謝のお祈りを捧げていました。面接に行ってみると、秘書は別の人に決まっていましたが、貿易担当の男性が退職したポジションが空いているのでどうかと言われました。そこのトップの人は、仕事をしながら英語学校に通っていた私に好感を持ったらしく、ナンバー2の人も「輸出を一から教えてあげますよ。貴方は今まで輸入をやってきたんですから、輸出を覚えれば貿易のエキスパートになれますよ。是非うちでやってみませんか。」と勧められ、そこに行くことに決めました。

お給料の交渉も、当時出来始めた人材バンクの人から外資系の相場を聞いていたので、何もわからない私はそのまま参考にしました。面接で「どうしてその金額なのですか。」と聞かれました。普通は、今までこういう経験をしてきてこういうスキルがあるのでこれくらい頂きたい、と答えます。でも、私は世間知らずの子供だったので、今では笑い話なのですが、「はい。Sに引き続き通って勉強をしたいですし、今まで全く蓄えも出来なかったので貯金もしたいし、お風呂のあるアパートに引っ越したいのでそれだけ必要なんです。」と無邪気に答えていました。驚いたことに、すんなりその金額が通ってしまいました。前の会社より月給が5、6万円上がったので、当時はこんなに貰って良いのかと驚いていました。

最初の日系の会社は温室のようで居心地が良く、上司もみんな優しい良い人達ばかりでしたが、2つ目の会社は厳しく辛い所で、嫉妬による虐めにもあいました。丁度教会もサタンの攻撃に遭っている真最中で、公私ともに嵐の中に投げ込まれたような気持ちでした。外資系は日系とは随分違う厳しい所だと感じましたが、それでも、女性にとっては働きがいがある所だと思いました。厳しい上司の元で輸出の仕事を覚え、やがて充分に仕事がこなせるようになりましたが、過労で倒れるような日々を送っていました。そういう生活が空しくなり何か形に残そうと、当時出来たばかりの英検準1級を取りました。それはその後も転職には有利になりました。会社で秘書の仕事ぶりを見ていて、私もいつか彼女達のように英語を書く仕事がしたいと憧れていました。ピリピ2章13節に『あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。』という御言葉があります。ビジョンを持ち続けていると、必ず形になってあらわれるものだと思いました。私はさんざん悩みましたが、諸事情があり6月のボーナス支給を待たずに5月末で退職しました。

3社目は人材バンクからの紹介で、海外営業アシスタント兼貿易事務で、翻訳もし、英文も書ける仕事で魅力的でしたが、日系で時々土曜日も出勤し、制服もあるということでかなり抵抗がありました。でも、人材バンクの人にお尻を叩かれて面接に行き、下がってしまう給与の交渉はエージェントがやってくれました。ただ、外人と二次面接をすることが条件でした。面接の出来の悪さにガッカリし、ふと立ち寄ったライフセンターで英語の讃美集を見つけました。私が英語の讃美をしたいという思いが神様に通じていたこと、そしてガッカリしていた時にタイムリーにその本が与えられたことがとても嬉しく、「落ちても感謝。受かったらなお感謝。」という気持ちに変えられました。結局月給は2万円上がり、年俸も前の会社より高くなりました。同時に採用された2人は、『とらばーゆ』経由で給与の交渉は出来なかったそうです。冬のボーナスも私が入社した日までが支給対象者で、たった数日後に入社した2人は数万円の金一封だったのです。私は前の会社のボーナスを貰わずに辞めましたが、神様は全てを御存じで、私にとって益として下さったことが良くわかりました。

私はその約3年後、秘書に職種を変え、イタリア、デンマーク、カナダの会社を経て、今はアメリカの会社の人事部で働いています。今現在のことも後で又証をさせて頂きたいと思います。今世間では不況で倒産やリストラなどが問題になっていますが、日系より不安定な外資系では昔から普通にあることで、いつクビになったり会社が日本から撤退してなくなるかわからない危機感があるので誰も驚きません。その為、努力を怠らず自分の市場価値を把握し、高めていかなければなりません。今の会社で7社目ですが、社長秘書から一般のスタッフになったことで安定し、今年で勤続10年になりました。本当に感謝です。

会社や仕事との出会いは人との出会いと似ていて、つくづく縁なのだなぁと感じています。私は大学を卒業して塾でアルバイトをしていましたが、英語教師を断念し何を目指したら良いのかもわかりませんでした。でも、恵みの御座で祈って頂いて仕事が与えられ、これまで様々な会社と仕事を導かれて来ました。神様は必ず祈りに答えて下さる方です。イエス様に希望を置くとき決して失望することはありません。私の就職活動だけを振り返っても、世の中の人達とは違い、何だか特別扱いされているように感じます。私達は神様に見出され、特別に愛されている大切な一人ひとりなのだと本当に心から思っています。