音について考えている事
ターミナル ケアのための音像についての考察 宗教音楽の成り立ち キリスト教聖歌などの宗教音楽の大きな特徴と意味は肉声による合唱と言う 事と教会等の特異な音響空間によりエフェクトされる効果が重要なポイントだ と思われる。 宗教音楽全般に言える事は、その音響空間が、残響時間の長いライブな場所 で 数人から数十人で行うユニゾンが リングモジュレーション効果を生み、 この二つの要因により、ある非日常的な感動を呼んでいる。 先に述べたリングモジュレーション効果とは、非常に近い音の周波数成分を 二つ以上発生させた時に起こる音のうねりで、その周波数の差が小さければ小 さいほど、発生するうねりは、低い周波数になる。これは、時として人間の可 聴周波数の下の方(50Hz以下)をはるかに越えて内蔵もしくは脳に直接、刺 激をあたえる。 ちなみにオオムやインコは、発声体の構造上、人間の声の周波数をだす事は 出来ないが 高い周波数の発声体を二つ持つ事でリングモジュレーション効果 によって、人間の声の周波数を生んで人真似をしているのである。 合唱および何人かの僧侶によって行われるお経は、リングモジュレーション もひとつではなく、多数現れることにより、複雑なうねりを生み、さらにそれ に、ホールトーンエコー(ライブな場所の残響)が加えられる事によって、日 常的には、体験する事の無い音になる。 しかし、もちろん宗教音楽の持つポイントは、それだけでは無い。 ここまでの解説は、音響学的な特徴で、音楽的な特徴は別な部分である。 宗教音楽の、音楽的な特徴について言うと、人間が成長する過程で持つ原体験 にそった聞きやすい音程の成り立ちが、有るように思われる。 音楽については、本来 私のテリトリーではないので、複雑な解説は避ける事 にするが、例をキリスト教における聖歌にとると、次の音階に移る時 その音 は、誰にでも想像しやすく、比較的近く 歌いやすい音程が選ばれている事が 多いということ。 アベマリアという聖歌で説明すると ミ ファ ファ ソ レ ミ と、この部分では4度 一番開いているところでは丁度1オクター ブになっている。主は来ませりという楽曲の場合は、ド シ ラ ソ ファ ミ レ ド ソ ラ ラ シ シ ド と1音づつ下がって、1音づつ上が ってゆく。これは、ドからドの12音で1オクターブを構成する西洋音階を原 体験に持つキリスト教圏の人々にとって、抵抗の無いメロディラインだという 事を意味している。 宗教音楽は、その地域や言語や元々の音楽性と、密接に結び付き、音を取り やすく、歌いやすい事を考えてつくられているので、安定しているのである。 (もし、聖歌が音域が広く音程が飛んだら、教会に集まった一般の人には、歌 いにくいので不安になるだろう。) 以上が聖歌を例にした宗教音楽についての考察なのだが、これを実際のター ミナルケアにおける音楽にあてはめると、心の安定をはかる意味と荘厳な気持 を持つ意味からこの宗教音楽に近い音楽を創ることが望ましい。 (ただし日本人の音階が、素直に西洋音階だけだとも思えないのだが・・) 音像の考え方 末期医療の患者は、苦痛と死への恐怖、あきらめ等 様々な精神状況が、波 状に現れ 不安定な状態が続いているとおもわれる。 音楽は前述の様な物が良いと考えられるのだが、それだけではいけないのでは 無いだろうか、 音楽以上に音で精神を安定させる方法が、あるのではないだろうか、 何故なら耳から入る情報は、音楽だけではなく、もっと多く認識されている からである。 その音楽もふくめ、それ以外のすべての聞こえる情報を体系化して考えたも のを 音像 と名付けた。 人間は、視覚による情報認識が、その他の感覚の中で90%以上だと言われて いるが、視覚による情報は、その性格上 イメージする(想像する)部分が少 ない。 健丈者がイメージするというのは、音や匂いをビジュアルに変換している事 が多く、見たもののイメージは、そこから広がりをもって想像するのではなく 、見たままだからだ。 耳から入る情報は、それをイメージする時、人により様々な形になり原体験 のビジュアルに変換される。これは、うまくその人の原体験の良い記憶に結び つけば、懐しさ という感情になって安心感を生んでゆく 音楽については、ある程度その可能性を、今までも そして現状の私の考え でも見てゆく事が出来るが、それ以外の音については、あまりにも考えられて いる例が少ない。 だが私見ではあるが、その 音 で音楽以上に精神を安定させる方法がある と思うので、その方法を以下に述べたい。 『万人に受け入れられる物は無い』とはよく言ったもので、本当にすべての人 が良いと言うものは、ありえないと思う。 しかし、世代やそのほかのカテゴリーで、ある程度グルーピングしてゆくと、 その共通の思考の中で、受け入れやすいもの、受け入れにくいもの、という線 引は出来るのではないだろうか。 幸いにも(皮肉をこめているのだが)日本人は欧米人に比べて、画一的な教育 を受けているし、多くは宗教感の違いも無く、原体験によるイメージの受け止 め方も近いのではないだろうか。 これは仮説の域を出ないのだが、もし、ある程度の年齢に、ターゲットを合 わせ、例えばその人の忘れてしまった良いイメージの音を集めて、聞かせる事 で、音楽以外でも、精神の安定を図れるのでは、と思ったのだ。 子供の頃の音をイメージしてほしい。 自転車でやって来る豆腐屋のラッパ、夕方になると聞こえた台所の包丁の音、 公園のブランコのヒンジが錆びて鳴く音、メグロのオートバイのOHVエンジ ン、銭湯の桶の音、鈴の音、風鈴の音、田んぼで鳴く蛙の声、足踏みオルガン の空気がぬけかけた音・・・ 昭和30年より前に生まれた人なら、記憶の何処かに「ああ、そう言えば・・ 」といったリアクションがあるのではないだろうか、また それをイメージす る時、その人の表情は、何か特別な原体験による強迫観念が無ければ、皆一様 に優しい。 世代をこえて、優しくなれる音もある。 赤ちゃんの笑い声や高原で朝を告げる鳥の声等は、ほとんどの人が好感を持っ て聞くことができるだろう。 このように音は、上手に選び集めてゆけば、そのほかの手段より効果的な精神 安定の手だてとなしえるだろう。そしてこうした音の断片や要素の一部を加工 し、先に述べた音楽と組み合わせるなどする事で、私の考える音像を作ること が出来るだろうと考えている。 映像に変わる新しい概念 音像 をもってしてターミナルケアの手伝いがで きたら、誰かの精神的な部分のフォローを、私のライフワークである音の世界 ですることができたら、と 思っている。ご意見、ご感想をぜひメールでお寄せ下さい。hishida@gol.com
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