カンパネロのバイオリン

むかしむかし、大陸の西のはずれにある国の、これまたはずれに小さな村がありました。
村はずれのあばら屋には、村一番のへんくつで通るカンパネロじいさんがすんでいました。
カンパネロじいさんは、ある日突然村にやって来た家具修理職人で、
その腕は目をみはるものがあり、どんなにボロボロの家具でも、
彼の手に掛かるとまるで魔法のようにピカピカに直ってしまうと、近くの村にまで有名でした。
でも、じいさんは他の村人と話をする事がほとんど無かったので、
彼がそれまで、どこに住んで何をしていたのかは、誰も知りませんでした。
ただ、強盗だったとか、人を殺して隠れているだとか、根も葉も無いうわさだけが広がっていました。
じいさんには、一人だけ、友達がいました。
十才ばかりの少年で、ジョルジュと言う名でした。
ジョルジュは、八百屋の息子で、生れた時から耳が聞こえませんでした。
だから、どんなに他の村人が悪口を言っても、彼には、関係のない事だったのです。
ジョルジュは、八百屋でのお客さんの言葉がわからないので、
カンパネロじいさんのように、黙々と壊れた家具を直す作業のほうが楽しくて、
暇さえあれば、じいさんの店に行き、その仕事を、じっと見詰めていました。
じいさんもまた、そんなジョルジュがかわいくて、端材が出ると彼にやり、
彼の作るミニチュアの家具を楽しそうに見ていました。
ある日、じいさんのもとに一人の少女が訪ねて来ました。
「こんにちは、カンパネロさん」彼女は重い扉を開きながら挨拶しました。
「…」カンパネロじいさんは、少女をちらっとだけ見ると、
すぐに直しかけの家具に目をやり、仕事を続けました。
「あのお、お願いがあるんですけど…」
「何だね?」カンパネロじいさんは、手を休めず、こたえました。
「直してほしい物があるんです。」
「どんな家具だね?」
「いえ、家具ではないんです。」少女がすまなそうに言うと、
「わたしは、家具以外は直さないんだ。他の店にいきなさい。」と、
ぶっきらぼうに言いました。
「家具ではないけど、カンパネロさんならきっと直す事が出来ると思います。
だからお願いします。」
「なんだね、いったい、その品物は?」カンパネロじいさんが、じれったそうに聞くと、
少女は持っていた包みを開いて彼に見せた。
「これは…」それを見た時、カンパネロじいさんは、驚きました。
包みの中にあったのは、さおの折れた一本の古ぼけたバイオリンでした。
「このバイオリンは、いったい誰の物だね?」じいさんは、やっとの思いで聞きました。
「これは、私の父さんの物です。父さんは、バイオリンの演奏者だったのですが、
ある時、このバイオリンごと馬車から落ちて、バイオリンはこんなふうになってしまうし、
父さんは指をいためてしまったんです。それ以来、もう指は直っているのに、
二度と演奏はせずにお酒ばかり飲んでいて、母さんは、出ていってしまうし…
もし、バイオリンが直ったら、もう一度父さんが弾いてくれるじゃないかって思うのです。」
少女の話を黙って聞いていたカンパネロじいさんは、バイオリンを手に取りf字の穴をのぞきこみました。
そこには、作った工房や、年代、型番を書いたラベルが貼ってありました。
「No303」ラベルを見た時、じいさんは、もっと驚きました。
それは、じいさんがまだ若かった頃に作ったバイオリンだったのです。
四十年程前、カンパネロ青年は、大きな街の有名なバイオリン工房で、働いていました。
15歳から十年、見習いで勤め上げたカンパネロは、親方から認められ、
彼の手でバイオリンを作る事を許されました。
彼の作るバイオリンには、No303という型番がつけられ、それはやがて演奏家の間で話題になりました。
「しっとりとして太い低音と、いやみのない高音がいい」「細かい所まで丁寧に作られている」など、
No303の評判は、どんどん高くなっていきました。
しかし、カンパネロが作れるのは月に五本がいいところなので、
欲しい人が一年も待っている状態が続きました。
そんな時、事件が起きました。
高く売れるNo303を奪うために、演奏家が強盗に殺されてしまったのでした。
カンパネロ青年は悩みました。
(人に良い音楽を聴いて幸せな気持ちになってほしい)
そう思いながら作ってきた彼のバイオリンが原因で、人が殺されてしまった事で…
しかし彼の気持ちとは裏腹にNo303は、殺人事件が起きた事で、
バイオリンに興味の無い人にまで有名になり、さらに注文が増えました。
百本目のNo303を作り上げた時、彼は決意しました。
もう二度と楽器を手がけないと。
それから、カンパネロは、その木工技術を生かして家具の修理の仕事を始め、
村むらを渡り歩くようになったのでした。
「…・だからどうかこれを直して欲しいのです。」少女の声で我に返ったカンパネロじいさんは、
彼女の必死な願いに負けて黙ってうなずきました。
「えっ、それじゃあ直していただけるんですか?」
少女は目を輝かせながらカンパネロじいさんの顔を覗き込みました。
「ああ、ただし、すこし時間をもらいたい。こういう物は、初めてなんでな。」
ほんとうは、質のいいカエデの材料を仕入れるのに街まで行かなければならなかったからでした。
彼は一月の間店を閉めてバイオリンの修理を行いました。
そしてまるで新品のように直し上げました。そりゃそうです、元々自分が作ったものなのですから…
完成したバイオリンを持って、ある夜、カンパネロじいさんは、少女の家を訪ねました。
少女の家は見るからにボロボロで、すっかり日も落ちているのにランプの光もなく、
誰も住んでいないのかと思うほど静まり返っていました。
「誰かおらんかね?」カンパネロじいさんが扉を叩くと家の中から酒臭い男が出てきました。
「何の用だ?」
「あんたの娘さんから頼まれた物を届けに来た。」
じいさんが手に持った包みを広げ、男にバイオリンを見せると、
彼は一瞬驚き、そのバイオリンをつかむと、壁に向かって投げつけようとしました。
「やめて、父さん!!」
その時、少女が駆け寄り、男の前に立ち塞がりました。
「やめてよ、父さん…私がお願いしたのよ、せっかく直してもらったのに…」
「余計な事するな!!」
「余計な事じゃないわよ、バイオリンが直ったら、父さん、また弾いてくれると思ったから…
もうお酒やめてくれると思ったから…母さんも帰ってきてくれると思ったから…」
少女は泣きながら訴えました。
男は黙って聞いていました。
カンパネロじいさんは、男の手からバイオリンを取ると、帰ろうとしました。
少女が気づいて言いました。「待って、カンパネロさん、」
じいさんは、振り返りました。
「そのバイオリンをどうか、父さんに、」
「悪いが、お断りだな、自分の娘を泣かせるような男に、このバイオリンを弾いて欲しくない。
しばらくは、私が預かっておくよ。」カンパネロじいさんは、少女に向かって言いました。
すると、今度は、男が言いました。
「なんだ、えらそうに、だいたいお前がこのバイオリンを作った訳でもあるまいに、
何の権利があって、そんな事が言えるんだ。」
カンパネロじいさんは、そのバイオリンをそっと抱きながら言いました。
「あんたは、娘が可愛いか? 娘の事を愛しているか?」
「関係ないだろ、そんな事」
「このバイオリンは、私の子供みたいな物なんだ。四十年前に私が作ったバイオリンなんだよ。」
「えっ、」二人は驚いて、じいさんとバイオリンを交互に見ました。
「私の作ったバイオリンが元で、殺人事件が起きて、私は楽器作りを止めたんだが、
あんたの娘さんの熱意に負けて、久しぶりに手がけた。私がこれを直す事で、
幸せになれる人達がいるのならと思ってな、」
男は、思わず娘を抱き寄せました。
じいさんは、話を続けました。
「あんたが、本気でもう一度演奏したいと思っているのなら、私は喜んでこれを渡すんだがね、」
男は娘を抱きながら、しばらく黙ったままでした。
「今回、私は、あんたの娘さんに思い出させてもらった事があるんだ、」
「何だい、それは?」
カンパネロじいさんは、胸を張っていいました。
「希望さ、希望を持つ心さ、」
「希望?」男は、いぶかしそうに聞き返しました。
「ああ、私が生んだものが、どこかで人の幸せに結びつくのではないか、という希望の心を…
あんたも、きっとあったんじゃないかな、演奏を始めた頃には…
自分の奏でた音楽が、誰かの喜びになって欲しい…そんな、希望を持つ心が、」
男の表情が変わりました。そして、ポツリと、つぶやきました。
「あったなあ、たしかに、そんな気持ち…」
そして今度は、娘に向かってゆっくりと言いました。
「済まなかった、許しておくれ。指を怪我した時、俺は恐かったんだ。
バイオリンは、一日弾かないでいると、それだけ腕が落ちてしまう、
指が直るのに一月も掛かってしまって、もう、前のようには、弾けないのではないかと思うと、
恐くて、二度と触れなくなってしまったんだ…
だが、もう一度弾いてみようと思う。このじいさんが、お前のためにもう一度直してくれたようにな、」
それを聞いたカンパネロじいさんは、そっと胸に抱いたバイオリンを、男に差し出しました。
「あんたの物だ。」
男は大事そうに、それを両手で受取り、そして言いました。
「ありがとう…ところで、この修理代は、いかほど払ったらよろしいだろうか、」
じいさんは、少しの間考えました。そして…
「どうだろう、私の親友に、あんたの演奏を聞かせてやってくれないか、それが、修理代だ。」
と言いました。
「ああ、喜んで弾かせてもらうよ。」男の手元には、修理代を払えるほどのお金は、ありませんでした。
じいさんは、家を見たとたんに、気づいていたのです。
翌日、カンパネロじいさんの店で、ひっそりとコンサートが行われました。
観客は、少女と、耳の聞こえないジョルジュです。
カンパネロじいさんは、ジョルジュの右手をバイオリンの裏側にそっと導きました。
バイオリンの中には魂柱(こんちゅう)と呼ばれる部品があり、
これが表板に響いた弦の振動を底板に伝え、より、大きくきれいな音を出すしくみになっています。
だから、ジョルジュの右手には、大きくきれいな音の振動が伝わるのです。
演奏開始です。
男の演奏は、練習不足のせいか、つたない部分もありました。
しかし、それはなにより心のこもった音でした。
ジョルジュは、目を閉じて、ずっと、指先から感じる生れてはじめての音楽を聞いていました。
一曲、演奏が終わると、ジョルジュはカンパネロじいさんに走り寄り、
「きこえたよ、音楽、きこえたよ、」と、声にならない声で、嬉しそうに言いました。
カンパネロじいさんも、顔をくしゃくしゃにして、笑いました。いや、泣いていたのかもしれません。
少女も、演奏した父親の胸で、泣いていました。
その日の事は、それぞれの心にしっかりと残りました。
それから十年ちかく経ったある日。
カンパネロじいさんの店のとなりに、小さな工房ができました。
看板にはもうしわけなさそうな小さな字で「ジョルジュのバイオリン工房」とかかれていました。
男はどうしたかって?
彼は演奏が認められて、有名な音楽家になり、チェロ奏者になった娘と二人で、
国中を旅していると言う事です。
2000・1・6 3・22加筆 M Hishida
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