バリ島リサイクル事情
バリ島リサイクル事情
最近堅い話題ばかりになっているので、すこし柔らかくバリ島の究極のリサイ
クルの話をしよう。
何故急にその事を思い出したかというと、最近、私の住む所でも分別収集が細
かくなり、ビンや缶を資源ごみとして回収するようになったからだ。
すこし昔を振り返ると、コンビニはおろか、スーパーマーケットも存在しなか
った昭和30年代、牛乳、コーラ、オレンジジュースなどの飲み物はすべてガ
ラスビンに入っていて、店先で立ち飲みしては、おばちゃんに空き瓶を返す、
というリターナルが、基本だった。
工場見学などにゆくと、ビンを洗浄し再びそこに飲み物がつめられ、キャップ
され出荷されて行く自動化ラインに感動を覚えたものだった。
私がバリ島に行ったのは、十二三年前。
当時の日本は、すでにすっかり缶入り飲料全盛の時代だった。
キンタマーニ山のふもとの芸術家の村で、ケチャックダンスを見せる小屋があ
り、私はそれを見に行った。
入り口の入場料を払う所のすぐ脇では、うまそうなオレンジジュースを売って
いた。
それは、見た事の無いブランドのビンに入り、すぐに飲める様にと、キャップ
が開いていて、ご丁寧にストローまでささっていた。
わたしは、その毒々しいまでの橙色の液体に魅了されすかさずそれを手に入れ
た。(見てから買うまで0.5秒)
冷房の無いホールのような所で飲む無果汁オレンジジュースは、格別の味で、
一気に飲み干してしまい、ライブを見た。
帰りにもう一度入り口を見た時、私は究極のリサイクルの様子に、遭遇してし
まった。
青いポリバケツに入ったジュースを、じょうごでせっせとビンに詰める人、ど
こからか、空きビンをそこに持ってくる人、最後に、中古と思われるストロー
をビンに挿す人と、子供の頃見た工場が、1メーター四方の地べたにあった。
そうか、だから初めからキャップがあいていてストローが挿してあったのか、
感動に近い思いの発見の翌日、私の体は予想通りの反応をしていた。
42度の高熱と、30分に一度のトイレ、立つ事もできない食中りだった。
究極のリサイクルの代償は、あまりのも大きかった。
1999/8/6 M
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