雨宿り

            

僕の通っている高校までの道には、奇妙なくぼみがあった。
それは、コンクリートの壁が続くゆるやかな坂道の途中にある幅2メーター 高さ2メーター
 奥行き1メーター程のもので、その日まで全くきづかず、毎日、通り過ぎていた。

僕がそれに、気づいたのは、五月のある日の帰り道、突然降り出した雨をよけるために、た
またま、軒をさがしての事だった。

くぼみのなかで、濡れた頭をハンカチで拭いていると、やはり傘を持たない同い年ぐらいの
女の子が滑りこんで来た。

彼女は、先客である僕の視線に、はじめは全く気づかず、雨に濡れた道をじっと見ていた。
ハンカチを出そうとカバンに手をやった時、彼女は僕の視線を感じ大きな声をあげた。
「うわぁっ」驚いたのは、こっちのほうだ。「うおぅ」
これが、初めて二人が交わした言葉だった。(これじゃあまるで原始人だ)
「あっ、ごめん、脅かして…」
「えっ、いえ、大丈夫」
あらためて彼女の顔を見た。(だれだっけ、会った事ある気がする)
彼女も、僕の顔をじっと見ていた。それは、同じように記憶をたどっているようだった。
少しして、2人同時に言葉を発した。
「どっかで会った事ある?」
あまりの絶妙なタイミングに、二人とも笑ってしまった。そして再び記憶の検索に入った。
(制服は、僕の通っている高校ではないし、中学の同級でもなさそうだ。)
「山本のともだち?」「えっ、だれ?」「多摩川の花火大会で会った?」「花火大会いってな
い…あっ、敏子のおにいさん?」「僕、妹いない」「……」
「あっ、そうだ、名前は?」この言葉も又しても二人同時に出てしまい、顔を見合わせ、笑
ってしまった。
「僕は、立花賢治、きみは?」「私は、元沢綾乃…」「かっこいい名前だね、あやのって」
「えっ、古臭いから私は嫌いだけど…でもほんとに、どこで会ったんだろう」
「ああ、どこで会ったんだろう…」

雨は、通り過ぎた。
「それじゃあ」
「じゃあね、バイバイ」
結局ぼくたちは、知り合いかどうか解らないまま、雨宿りを終えそれぞれの家に急いだ。


僕は、ニ三日は、その出会いが気になっていたが、一月も経つと、すっかりその事を忘れて
いた。

6月のある日、
いつもならかばんの中に折畳みの傘をいれてあるのに、その日に限って持っていなかった。
そんな日に無情にも、夕立はやって来た。
(チェッ、何だよ最低…)心の中でそうつぶやきながら僕は、軒を探した。
そして又、あのくぼみに入った。
すると…
バチャバチャと大きな足音を立てながら、息を切らして走ってくる人の気配…
くぼみに入って来たのは、綾乃だった。
僕は咄嗟に「あっ」とだけ声を上げ、黙って会釈した。
綾乃は、そんな僕に屈託の無い笑顔を見せながら「あー、又会ったね、偶然ってすごい 」
と旧知の友人のように、話しはじめた。
(ほんとに、偶然ってすごい。いやもしかしたら、これは偶然とは言えないのかもしれない。
)僕はなんとなく心の中で感じた。
二度目の出会いで僕たちは、沢山の事を話した。
学校の事、家の事、家族の事、しかし、話せば話すほど二人の接点は、遠のいていった。
「それじゃあ、二人は何処で会ったんだろう。」そう言いながら、僕は考えた。
そして、やはり、解らないまま二人は別れた。

その晩僕は、奇妙な夢を見た。
何処だか解らない洞穴のような所で、僕は誰かと話している。
洞穴の出口側にいる相手の顔は、逆光で良く見えないが、どうやら十代の女の子のようだ。
僕は、なぜかとても悲しい気持ちで、彼女と話をしている。
「今日、今日一日しかないんだ。」
「はい。」蚊の鳴くような、小さな声で彼女はこたえる。
僕は今の自分より、少し年齢が上のようだ。そして僕は、手に小さなはがきのような紙切れ
を持っている。
「もし、二人とも無事に生きていられたら、いつとは言えないが、もう一度、ここで会おう。」
「はい」彼女の声は、より一層小さくなってゆく。
「そうだ、今日のように夕立の日、こんな日は、ここに来る事にしよう。
夕立を、僕たちのここへ来る合図にしよう。」そういって、僕が彼女を抱きしめた時、表か
ら大きな声がした。
「誰だ、そこにいるのは、」
その男と目が合った時、男はものすごい勢いで、駆け寄って来た。
「きさま、何をしている、兵隊さんが命がけでお国を守っているこんな時に、防空壕で、逢
い引きなどして、恥ずかしくないのか、」彼が殴り掛かった時、僕が手にした紙切れ見せる
と、彼の拳は力なく下がった。
僕が持っていたのは、赤紙といわれた招集令状だった
「明朝、私は出征します。今日は、お世話になった方々に、ご挨拶をしているのです。」
男は、口をムッとつぐみ、その場を立ち去った。

僕は、そこで目を覚ました。
外は、ぼんやりと、明るさを増していた。
時計を見ると4時42分を指していた。
(あやの?)その夢をもう一度考えていると、なぜか、元沢綾乃の事を思い出した。
僕は、朝まで、夢と綾乃の事を考え続けた。
そして、一つだけ解ったような気がした。

翌日、僕は、学校の帰り道、くぼみの近所の古いお店を探していた。
ある、事実を確かめたかったから。

そして、それは意外にあっけなく見つかった。
「ああ、確かにあったよ、そこのくぼみに…しかし、あんたよくそんな古い言葉知ってるね、
防空壕だなんて、」
六十歳をこえる酒屋のお婆さんが、屈託の無い笑顔で、僕に答えた。
「それじゃあ、そこで、若い男女が隠れて会ったとかっていう話は、知りませんか?」
お婆さんは、一瞬驚き、そしてゆっくりと話しはじめた。
「当時はね、若い男は、みんな徴兵されて、戦地に出てったんだ。残った男は、徴兵検査で、
身体が悪いって言われた若い男と中年以上の男だけ…
若い男で残ったもんは、なんで戦地に行けないんだって悔しがっていたな、
だから、出征しなかった男は、あまり表には出なかった。
そんな時代だった。」
お婆さんは、続けた。
「出征する男は、だいたいシャバの最後の日は、ここに来て、いいなずけ、今で言う恋人と、
別れを言ったもんだよ、あたしは、まだ小さかったから、そんな事ははかったけど、
とにかく沢山いたね、そんな男女は…」
「そうですか、いっぱい居たんですか、」僕は、少しがっかりして、相づちを打った。
「ああ、それで再び会えたなんて話はほとんど無かったね。
ここは、空襲も激しかったし、男達は、帰ってこなかった。だから、ここで別れた二人は、
出征の前の逢い引きが、ほとんんど最後の二人の時間だったんだ。」
「はあ、そうですか、」僕は、夢の中の人物を特定できなかった事が残念だったが、それだ
け言うと酒屋を離れた。

帰り道、僕は、はじめて雨の降っていない時に、くぼみに入った。
そこでは、何も起こらなかった。ただ、音が奇妙に反響する事に、気が付いたぐらいだった。


その晩、また夢を見た。
不思議な事に、夢はみごとに続きだった。

男が去った後、僕たちは再び抱き合った。
彼女の涙が、僕の肩に止めど無く伝わってくる。

僕は、必死で涙をこらえる。心の中でこう考えている。
(日本男児たる自分は、ここで泣いてなるものか)と

(僕はだれ?)今の僕が夢に邪魔して入って来た。
この気持ちが大きくなると、夢が変わってしまうと直感的に感じた僕は、素直な気持ちに、
自分を戻そうとした。
夢は、元に戻った。

僕は、泣いている彼女の顔を自分の正面に寄せ、最後の言葉を言う。
「これ以上、二人でここに居ると、私は明日行けなくなってしまう、だから、これで別れよ
う…  必ず戻ってくる、必ず、約束しよう、雨の日、必ずここで、もう一度会うと…」

彼女は、号泣をハンカチで押さえている。
僕は、そんな彼女に最敬礼をして、防空壕をでた。
夏だというのに、雨は冷たかった。

夢から覚めると、僕は泣いていた。
それからしばらく泣いていた。

次の夕立の日は、3日後にやってきた。
その日の雨は、天気予報で知ってはいたが、僕は、傘を持たずに家を出た。
彼女とあうために、

僕は、くぼみの中で、綾乃を待った。
綾乃は、表われた。
いつもの、バタバタとした感じではなく、ゆっくりと、傘をささずに…
(今日はちがう、なんか違う) 僕は、なんとなく感じた。

彼女は、何も言わず、黙って僕の前に来ると、僕の目をしっかり見つめながら抱きついて
きた。そして言った。
「わたし、夢を見ました。そして、知ったの、私達の事。」
彼女の声が、少し変わった。
「やっと、やっと会えました。
やっと、こんな形で、会う事が出来ました。
ありがとう、約束、守ってくれて。」

僕は、驚いた。

「君も・・・君も同じ夢を見たの?あの、防空壕の夢を・・・」
「そう、昔の私の夢、防空壕の夢・・・夕立の日の再会の約束・・・」

ぼくは、綾野を強く抱きしめた。
(彼女も夢を見たんだ)ぼくは、僕たちの強いつながりを心の中で感じた。
「やっと会えたね、ありがとう約束守ってくれて、君も…」

二人は、ずっと抱き合っていた。
僕たちを邪魔する者は、今は誰もいなかった。
二人とも、涙を止める事はできなかった。

                                                           1998.8.15   M
                                                           1998.11.24 加筆

 



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