グラスハーツ
番組雑感
第一回放送 6月13日 テレビカメラの後ろ側での仕事を始めて15年くらいになる私ではあるが、カメ ラに向かって自分が発信するというのは、これが初めて。 CDの用意、カメラのスイッチング、インサートのイラストの交換など、基本 的にはすべて自分でやると言い出したものの、話を途切れさせずに、その操作 をする事は、至難の技だという事を、1回目にして思い知らされた。 「何故、この番組を始めたのか?」という部分が、今一歩明確に語れていない という指摘をうける。 簡単な構成表に時間を割って入れていたが、思うほど流暢には話せなかった事 で、言い切れていなかったと反省する。 第二回放送 6月27日 1回目の反省から、どんな人に見て欲しいか、相談してきて欲しいかという事を TOPから8分間を使い、語った。その分、音楽をかける事が出来なかった。 結果として、見てくれた友人の弁では、「思いを語るのが長すぎ、飽きてしま う」との事。トホホ・・・本当に難しい。 語っている時は集中しようと、カメラの切り替えなども一切しなかった事も、 裏目に出て、飽きさせる事になる。 2回目のゲストは、以前から仲良くさせて頂いているよしだよしこさん。 この番組を始めるまで、彼女が拒食症だった事を知らなかったが、知った上で 「その話をしてください」と言ったら、快諾していただいた。 放送の翌日、よしださんから電話が入った。 「番組を見た腕に傷のある友達からFAXが来ていた」との事、 その中で、20年間あなたが唄っていなかった時も、私はずっとあなたの唄を、 口ずさんでいた。苦しかったのは、あなただけじゃない・・・と書かれていた という。 よしださんは、その晩眠れなかったそうだ。 何の為に唄うのか?という自問と同時に、私になんでこの番組を始めたのかと 改めて問われた。そして大変な事はじめたねと付け加えられた。 なんで始めたのだろう?勿論その時答えは出せたが、それだけではなかった。 自分でも、判らない部分で、強い思いがあった。 いまはうまく言えないが、おりを見てその事も、ここで書いて行きたい。 ただ、とにかく始めたからには、お互いやり続けて行こうと、よしださんと 話して、電話を切った。 第三回放送 7月11日 三回目は、あえてゲスト無しで30分間やってみた。 というか、本当は、お1人、リストカッターの知人にお願いしたのだが、その事 は、ごく一部の人しか知らない事なので、出演してお話をする事はできません。 と、お断りを受けた。 私は、その方をゲストにお招きし、話して頂く事によって、多くの同じ思いを している人に何か届いたらという思いを持っていたのだが、御本人の気持ちを 考えると当然の事なのかもしれない。 ・・・ということでひたすら1人でお話させて頂いたのだが、最初の放送から、 毎回見て頂いている某製作会社の知人(仮に橋本氏としよう・・・って、本名 ゆうとるやんけ)は、30分間私の話ではつらい・・・という評価だった。 ゲスト無しだと、その分いっぱい音楽かけられるのは良いのだが・・・ 毎回が、試行錯誤で、未だそのスタイルが確立できないでいるが、毎回反応を 見ながら、変化させる事ができる所は、このメディアの面白い所だ。 さあ、次回も新たなる試み、どんな反応がかえってくるだろう。 第四回放送 7月25日 初回から応援して頂いている遠藤芳晴氏をゲストにお招きし、私のオリジナル の童話に、彼が音楽をつけ、さらに、登場人物の何人かを彼の声でお願いした。 多彩な彼の才能に助けられ、面白い形態でやる事が出来た。 結果は、知人からは好評ではあったが、果たしてターゲットである視聴者が、 どう捉えているのかが、ノーリアクションのため判らない。 そろそろ、メールなり、電話で御相談を受けるという本来の考えている番組形 態にもって行きたいのだが・・・なかなかたどりつけない。 ジレンマ・・・ 第五回放送 8月8日 最近は忙しく、ゲストの手配がつかないまま、今回も1人で放送してみた。 このところ、局の生番組が増えていて、前の番組が終了しスタンバイできるの が、10分前とかになってしまうことが多くなってきたが、今回は、機械的なセ ッティングが10時30分を過ぎても出来ず、6分おくれのスタートになってしま った。(ごめんなさい) 番組では、メールを促してはいるものの、この回もノーリアクション。 誰かに頼んでメールしてもらったりする事が嫌で、やらせなしで今までやって きているが、あるカラーに持っていく為にやらせの相談などをはじめにやるの が、この業界の常だという事を痛感させられる日々・・・ 一方通行は、辛い。 だれか、メールを下さいな。 一つ前に戻るご意見、ご感想をぜひメールでお寄せ下さい。hishida@gol.com
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