文化財保護課とのやりとり

昨年7月のさいたま市文化財保護課の説明をもう一度、確認したいと思い、10月8日〈金〉に飯塚より文化財保護課に電話をした。担当の山形さんは病休だというので、昨年、同席していた若い職員の方に替わってもらおうとした。すると、山形さんでなければわからない、という返事だった。

連休明けの12日(火)午前、再び電話すると担当者は出張で、午後1時30分頃、ようやく担当者に電話がつながった。

飯塚 昨年〈2003年7月〉、小室山の保全を求めて文化財保護課にご近所の方と3人で伺いました。その時、文化財保護課では、「遺跡としての価値は掘ってみないとわからない」とおっしゃっていました。今、調査が進められ、これほどの遺跡だとわかった時点でも、文化財として指定することを検討されないのですか。大久保の古墳や川口の新郷貝塚のように。

担当 保護を目的とした発掘調査ではなかったので、どんどん掘り進められて、現状では盛土遺構も残っていません。

飯塚 もっと古いものが下に埋まっているのではありませんか。

担当 掘ってみなければわかりません。

飯塚 発掘調査は文化財保護課と相談しながら進められていたのでしょうから途中でいろいろと検討できたのはないですか。

担当 すでに、業者のものになっています。

飯塚 そうなる前に、小室山は重要な遺跡だからと、2003年の7月にご近所の人3人で文化財保護課に伺って山形さんに話を聞いていただいのです。指定文化財として保存できないかと・・・。

担当 その時は、掘っていなかったのでわかりません。

飯塚 隣の市有地について、昨年、お話を伺っていただいた時、せめて遺跡であるという標識くらい建てられないものか、と申し上げました。何とかならないのですか。

担当 用途が決まっていないので、無理です。今も同じです。

飯塚 かつて、浦和市の文化財保護課の人たちが協力して「馬場小室山遺跡」の本も出版されています。本の中にはここが「重要遺跡」と記述もされている。県の指定文化財となった人面画付土器も出て来ています。

担当 今回のところから出たわけではありません。

飯塚 人面画付土器が出たのは平田ストアーの北側ですが、今、問題になっている土地が馬場小室山遺跡の一部だということは周知のことだったのではありませんか・・・。〈空しいやりとりに、涙声になってしまい、電話を切る〉

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