12月20日(月)
朝、小室山の工事現場で、長崎県南串山町の教育委員会の方にお会いした。はるばると馬場小室山遺跡を訪ねてこられたのだ、と鈴木氏が紹介してくれた。
小室山の発掘調査が十分できなかったことについて、当初の調査費の見積もりがアイダ設計に受け入れてもらえなかったこと、市の担当者は業者との信頼関係をくずしたくないと考えていること、それで金額を半分に減らして契約したこと、1平方メートルあたりの調査費単価は変えられないのて調査対象区域を半分にしたこと、そのため環状盛土遺構の核心部分が、調査されないまま業者に引き渡されてしまったこと、等の説明を聞いていもらった。
「南串山町教育委員会」の名刺をいただいた。名刺には「国崎遺跡」の位置を示すイラストが入れてある。遺跡の存在をアピールしていこうという南串山町の教育委員会の姿勢が伝わってきた。
それにつけても、さいたま市の教育委員会は、小室山の発掘調査について「なるべく目立たないように」と思っているふしがある。地元の三室公民館に「馬場小室山遺跡の勉強会」を公民館の主催で、と提案した。館長さんは当初、乗り気だった。しかし公民館の所管である教育委員会の方では「まだ早すぎる」との見解だったそうだ。教育委員会が文化財の価値をアピールしない、などということがあるのだろうか。さいたま市の姿勢は何か変だ。ほとぼりが冷めるのを待っているようにも見える。この点、南串山町の方が本来の教育委員会のあるべき姿勢といえるし、すっきりしていて優れていると感じた。