発掘調査の成果
2004年6月から9月まで行われた発掘調査では、盛土遺構のわきの大きな穴の中から、ていねいに納められたと思われる土器がたくさん出土しています。また、この穴の中央には柱が立てられていたらしいこと、穴の底には竹を編んだようなものが敷かれていたこともわかりました。これまで祭祀の場と考えられてきた環状盛土遺構が、実は積み重なってつくられた住居跡であることを、この馬場小室山遺跡は日本で初めて明らかにしました。
限られた予算と時間
しかし、考古学者からは、発掘調査が不十分であったという声があがっています。地元では、小室山は「土器がまるごと出る山」として語られてきました。調査には億という単位のお金がかかるだろう、とも言われてきました。開発にともなう発掘調査の費用は、開発者が負担するため、文化財保護課の担当者と開発者との折衝が行われます。しかし開発者が負担する制度には法的な強制力はなく、費用の見積りが受け入れられない場合、文化財保護課は困難な調査を強いられるのが現実です。実際の費用は非公開ですが、単位で言えば億の10分の1程度だったようです。時間、費用とも不十分であったことは、発掘調査が、盛土遺構の中心部を残したまま2004年9月30日に終了となったことからもわかります。盛土遺構の中心部は、今も分譲地の地下に静かに眠っています。
2004年10月1日、調査終了の翌朝の写真(鈴木正博氏提供)。正面左に並んだ樹木(現在はない)のところまで調査された。
盛土遺構の中心はその向こう側。 |
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