050424地域のニュース

2005年4月24日 地域のニュース「ばんばおむろ山」を6500部、新聞折込みした。

www.omuroyama.info 2005年4月 24日

ご署名いただいた皆様

【経過報告】
署名活動から史跡指定まで


2005年3月、馬場小室山遺跡がさいたま市の史跡に指定され、保全されることになりました。署名活動から史跡指定に至るまでの経過の概略を報告いたします。なお、詳細は上記ホームページでもご覧いただけます。

小室山の競売


2003年6月、さいたま市立三室中学校の隣接する「小室山」に「売地」の看板が立てられた。売主は財務省関東財務局。相続で物納された土地を競売するという。
ここは三室中学の生徒が教室の窓から毎日、眺めている貴重な緑。しかも「馬場小室山遺跡」の一部。何とか保全できないものかと、近隣の人たちが話し合って、新都心の関東財務局や、さいたま市の文化財保護課にお願いに行った。

関東財務局 統括国有財産管理官の渡辺さんの話
●遺跡はここだけではない。競売の中止は困難。競売されない唯一の方法は、市が公共用地として買い取ることだ。


さいたま市文化財保護課 山形副主幹の話
●遺跡はここだけではない。「小室山」はふつうの遺跡だ。

2004年1月の小室山

それでもあきらめきれず、署名活動が始まった。(2003年7月)。
署名は、1次分、2次分あわせて約5500名となり、財務局には競売の中止を、さいたま市には、保全策求めて8月と9月の2回にわたって提出した。
しかし、市の公園みどり課から「買い取る予定はない」との回答書が9月下旬になって届いた。財務局は予定通り競売を行い、2003年10月、ただ一社入札した業者が落札。宅地開発されることとなった。12月、署名活動をした人が業者を訪問し、皆の思いとともに「調査だけでもきちんとやってほしい」と、伝えた。

残された盛土遺構の中心部
2004年10月1日 鈴木正博氏撮影

発掘調査


開発に先立って、2004年6月末から遺跡の発掘調査がおこなわれた。かつて、浦和市文化財保護課の人たちが協力して「馬場小室山遺跡」(さきたま出版会)という本も出版されており、合併後のさいたま市としても遺跡の重要性は当然、認識しているものと思われた。しかし、旧大宮からきた副主幹や課長らは十分な調査期間を見積もらず、調査の進行にともない考古学者らの要請で2度、期間延長が行われたが、9月30日、開発を進めるアイダ設計との契約上のタイムリミットを迎えて調査は終了となった。造成地には盛土遺構の中心部が未調査のまま残された。

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残された文化財をめぐって

考古学協会では、遺跡調査が不十分であるとして、さいたま市文化財保護課に調査の継続を2度にわたって文書で要望。しかし、文化財保護課は「調査は終了した」との見解を変えなかった。考古学協会員の鈴木正博氏や飯塚はアイダ設計に対しても手紙で調査継続の可能性を打診、しかしアイダ設計の代理人の弁護士から「ご希望にはお応えできない」との返事が届いた。
樹木が伐採され重機が入った「小室山」の盛土遺構の未調査部分で、2004年10月21、23日にわたり、新たな出土品が多量に発見さた。考古学協会の鈴木正博氏が文化財保護法に拠り、さいたま市に発見の届出をした。

2004年11月24日、工事が進む中、現地打ち合せのため小室山を訪れた文化財保護課の人たち

しかし、文化財保護課は「すでに調査の終わった所である」という見解を再び示した。山形副主幹は「ぎりぎりまで掘れば隣接地の土が崩れる。調査できないところが残るのはやむをえない」と説明。これに対して、考古学協会の鈴木氏らは、「南側には10mの幅で未調査の場所があり、そこが盛土遺構の中心部である」として、反発。11月16日、考古学協会の鈴木氏は調査未了地区を具体的に示して「ここに残存文化財があるのか、ないのか」と、文化財保護課の山形副主幹に質した。これに対し、山形副主幹は「やむをえず調査できなかったのであり、そこが遺跡でないと言っているわけではない」と大声で答えた。

助役にお願い

これに先立って10月25日、文化財保護課の対応に不満な鈴木氏らは、知り合いのつてを頼って市議会議員の高柳としや、岡まち子の両氏に相談、議員の紹介で10月26日、飯塚とともに内藤助役に面会した。鈴木氏は「小室山」の環状盛土遺構と多量の土器の出る大土坑との組み合わせは国指定級の遺跡であると、残された文化財の保護を訴え、隣接した市有地の保全と史跡指定をお願いした。飯塚も与党彩政会の武笠光明議員(緑区三室)を議会に訪問、市有地の保全のために力添えをお願いした。
11月5日、助役から回答。(1)すでに工事の始まった部分について教育委員会は、さらに調査をする考えはない。(2)隣接した市有地については、遺跡として保存の検討を始める、とのこと。

審議会委員が視察


11月16日、馬場小室山遺跡の事態を知った文化財保護審議会委員が、「小室山」を視察。行政の責任で残存文化財の記録保存することを確認。文化財保護課の小山課長は「南側の境界の断面を記録保存する」ことを鈴木氏に約束した。24日、現場打ち合わせのため、文化財保護課職員が「小室山」に来た。しかし、結局、南側の盛土遺構は埋められて断面の記録はされなかった。

市議会で教育長が答弁

12月13日、さいたま市議会の一般質問で、二人の議員が「馬場小室山遺跡」について質問。教育長は、今回の発掘調査の結果をふまえて東側の市有地部分約4000平方メートルを市の史跡に指定することを検討すると答弁。


地元では、12月26日のワークショップ、1月30日の三室公民館でのセミナー、3月27日の「馬場小室山クリーンアップ作戦」など住民の企画による小室山行事が始まった。
2005年3月29日、馬場小室山遺跡がさいたま市の指定文化財となる。文化財保護課では、課長、課長補佐、副主任が異動。


4月1日には、小室山に「さいたま市指定文化財 史跡 馬場小室山遺跡」の小さなプレートが設置された。

2005年4月21日の小室山。
住宅の後ろが史跡指定になった市有地。

報告 飯塚 048-874-3159

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