おばあさんの語学留学記

大連からの帰国・・・ついに日本への帰国の途に

2001年7月28日記入 2001年8月11日更新

関西空港に到着しました。息子、娘、孫達が元気に迎えにきています。皆カラフルな色のセーターだけの軽装でした。私は3時間前に大連空港を発ってきました。気温は零下15度です。降雪で飛行機が飛べるかどうか、現地の人達が心配しているような状況でした。この違いには驚かされました。

帰国の朝、辺り一面真っ白の大地に空港に向かう学校のバスの車輪だけが深く跡を残してゆっくりと進んでいきました。校門を出る時、バスに乗れなかった学生達が窓を叩いて泣いていました。それを見て、バスに乗っていた中国人先生が数人降りました。代わりに韓国人、日本人、ロシア人の学生が乗って来ました。彼らは目に一杯涙をためていました。

今熊野難波金岡資料館

語学留学資料室

今迄堪えていた私も涙が溢れてきました。残っている先生、食堂のお兄さん、だいえい(門の入り口で身分証明証をチェックして、建物内に入る許可を出す人)たちが、「飛行機が飛ばなかったら帰って来いよ・・『回家』・・」と窓の外で言っています。バスの中では、顔を見合わせてお互いの泣き顔を笑いあいました。

空港に着く迄永い時間を費やしました。空港ではやはり「欠航」が目につきました。関西空港行きはまだ欠航になっていません。ふと見ると私の側に日本人で中国人のお嫁さんをもらった彼が私の荷物を持って立っています。「此所は飛行機に乗るひとだけが入る所なのにどうしてはいれたの?」「あっち、あっち」。指を指された所を見ると、バスから降りた学生達が頼み込んでひとりを荷物運びの手伝いに入れてもらったようです。驚きました。

私は真夏に大連に着いたので、冬がこんなに早く来ることを想像していませんでした。帰る時の服装は上から下まで皆中国製。ちなみに、帰国の服装は羽毛のジャンパーに綿の入ったズボン、中国人女子学生から貰った厚い手袋、なにも見えないほどながい靴、それにリュック。ちょっと違和感がありました。