9月の始め、包徳政先生(大連大学教授を定年退職、日本語は日本人と間違える程上手)が連絡なしに突然私のところに来られました。
「今日は貴方の誕生日でしょう。おめでとう。」
「どうして知っておられるのですか?」
「パスポ-トをみました。」
このような会話をしながら、直形30cmもある大きなバースデイケーキを頂きました。余りに大きくて食べきれないので、皆を呼ぶ事にしました。12〜13人程が集まりました。何処の国もハピバースデイ・ツウ・ユウの曲は同じで、言語だけが違うので賑やかでした。
それから20日程たったある日のこと、包先生の奥様から電話が有りました。
「今、夫は意識不明で入院しています。日本人から手紙がきていますが分らないので困っています。」
驚きました。先生は日本の知人が来たので空港まで迎えに行き、ホテル迄案内して話しをしているときに倒れられたそうです。
先生は日本が統治していた時代に日赤病院と呼ばれていた病院に入院されていました。私はタクシーに乗って病院へ急ぎました。運転手さんが
「誰か病気ですか?」
と尋ねたので、
「お世話になった中国人の先生が入院されているのでお見舞いに行くのだ。」
と説明しました。そうしたら、中国語は難しい・・・・・運転手さんは日本からわざわざお見舞いに来たのだと間違えて、
「タクシ-代はいらない。」
といって受け取ってくれません。いくら説明してもどうも意味が通じないみたいで、とうとう半分だけ受け取ってもらうことにしました。
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