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西暦 |
マルコの年令 |
出来事 |
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1206 |
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チンギス・ハーン全モンゴルを統一 |
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1254 |
0 |
ニコロ、マテオ 東方へ商売の旅に出る マルコ生まれる |
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1260 |
6 |
フビライ・ハーン即位 |
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1265〜66 |
11〜12 |
ニコロ、マテオ、フビライ・ハーンに謁見する フビライにキリストの墓の油(聖油)とキリスト教徒の 賢者百人を連れてくる事を約束し、故郷へ向かう |
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1266 |
12 |
マルコの母、病気のため死亡 |
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1267 |
13 |
フビライ、大都建設計画を着工★1 |
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1269 |
15 |
ニコロ、マテオ ヴェネツィアへ帰還 第1話「はるかなる旅立ち」 |
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1271 |
17 |
ニコロ、マテオ マルコを連れて再び元へ旅立つ フビライ、国号を『大元』とする 主都・大都完成 |
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9月 |
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グレゴリオ10世、ローマ教皇に即位 一行はエルサレムで聖油と二人の僧をもらい受ける 第2話「聖なる油を求めて」 |
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1272 冬 〜1273 晩夏 |
18〜19 |
マルコ、病気になりバダクシャン地方で療養する |
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初秋 |
19 |
パミール越え 第16話「パミール越えの恐怖」 |
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1274 |
20 |
この年、コカチン姫生まれる |
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3〜10月 |
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第1回元冦(文永の役) |
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11月7日 |
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マルコ・ポーロ一行、元の主都・大都に到着 |
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11月8日 |
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フビライ・ハーンに拝謁 第23話「王の中の王フビライ」 |
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1274 11月下旬 〜1275 3月初旬 |
20〜21 |
マルコ、フビライのお庭番に任命される 第24話「密命下る」 |
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1ヵ月後 |
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カラジャンへ視察に行く 第25話「カラジャンの大蛇」 |
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1275 初冬 |
21 |
マルコ、杭州に視察に行き投獄されてカクケイと出逢う 第26話「百雁の便り」 |
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1276 初春 |
22 |
マルコ、大都でカクケイの雁書を受け取る |
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1277 |
23 |
バヤン将軍、西方遠征より呼び戻されて南宋攻略にあたる★2 第27話「秘密兵器回回砲」 |
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1279 |
25 |
南宋滅ぶ 第28話「王家の墓の秘密」 |
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1279〜80 |
25〜26 |
マルコ、楊州の知県に任命される 第29話「揚子江決壊」 |
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1281 |
27 |
マルコ、楊州の知県の任務を終え★3、寧波のコガタイの所に遊びに行く 第30話「ジパングの宝」 |
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5〜8月 |
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第2回元冦(弘安の役) 第31話「ジパングを討て」 |
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1282 3月10日前後 |
28 |
大都で漢人・南人のクーデター起こる アクマッド殺される 首謀者・王著も死亡 第32話「アクマッドの最期」 |
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1292 |
38 |
マルコ・ポーロ、元を発って海路で故郷ヴェネツィアへ向かう 第33話「新たなる旅立ち」 |
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1294 |
40 |
フビライ・ハーン死亡(享年79才) マルコ、ガザンよりこのことを聞いてショックを受ける 第42話「大いなる旅路」 |
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1295 |
41 |
マルコ・ポーロ ヴェネツイアへ帰還 第43話「想いは東方を駆けて」 |
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11月 |
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ガザン、イル・ハン国のハーンに即位 |
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1296 |
42 |
マルコ 再び東方への旅に出るが★4途中ジェノアの艦隊に捕らえられ、 牢に入れられる 牢の中で語った東方の話を同じく投獄されていた作家ルスティヶロが書きとめる |
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コカチン姫死亡(享年22才) |
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1299 |
45 |
マルコ 牢から釈放される |
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1299〜1300 |
45〜46 |
ニコロ死亡 |
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1310〜18 |
56〜64 |
マテオ死亡 |
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1324 冬 |
70 |
マルコ・ポーロ死亡 |
※年表中の月はすべて陰暦
★1 第24話の中で「大都が造られたのは今から14年前(1260年)」というナレーションがあるが、
ここでは史実的に正しいと思われる方を採用した。フビライ・ハーンが即位と同時に遷都を行ったとは、
当時の状況から考えてあまりにもムリ過ぎるから。設定ミスだろう。
つまり、24話のコガタイの「大都ができる前はこのあたりは小さな村だった。子供心にもよく憶えている」
というセリフも矛盾が出てくる。
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<大都建設年表> 1264 瓊華島の改修、広寒殿の再建 1267 新都建設着工 1272 宮城の城壁竣工 新都城を『大都』と命名し、大元の首都と定めた 1273 宮城の大明殿完成 1274 皇太子宮(後の降福宮)建設 1276 城郭が完成 1280 太廟が完成 1283 城内の道路・用水等の建設が完成 旧城内の商店と中央諸政庁・税務関係機関等を移転 1284 大都を管理する留守司と大都路を管理する大都路総管府の役所が完成 1285 旧城(中都)の住民の大都への移住規定が発布 1293 大都城内と通州を結ぶ通恵河が開通 大都は内陸にありながら海と直通する都となった 社禝壇が完成
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★2 バヤン将軍は実際は1274年から南宋攻略を行っている。
南宋朝廷は1276年にはバヤン将軍率いるモンゴル軍に無条件降伏し、杭州は無血開城している
★3 東方見聞録にはマルコは3年間楊州の知県(知事)を務めたとなっているが、この年表だと1281-3=1278で、
南宋が滅びる前から知県をしていた事になり計算が合わない。
★4 当時ヴェネツィアとジェノアは激しい敵対関係にあった。マルコが捕まった理由も、東方への旅の途中ではなく、
ヴェネツィア・ジェノア間の海戦に加わって捕虜になったという説の方が一般的である。