アラン・ポーグ氏緊急来日報告

 

 「アランさんがイスラマバード空港から戻ってきてしまいました。次はうまくいっても、日曜日晩の便です。」日パ旅行社の督永さんからこんなメールが飛び込んできました。1月3日(金)の未明3時すぎ、最後のメールチェックをして寝ようとしていたところでした。

 「どうしよう。明日から9日夕方までスケジュールがいっぱいだ。全部狂ってしまう。それにもし日曜にも発てなかったら・・・」年末から年始の忙しいときに無理なお願いばっかりの私にアランさんのためにと、協力を惜しまなかった人たちに対して今度はすべてキャンセルだと事情を説明しながら頭を下げまくっている自分の姿が目に浮かんできました。

 

 アラン・ポーグさんはベトナム戦争からパレスチナ、移民労働者、死刑の素顔、湾岸戦争、イラク経済封鎖の悲劇まで30年間にわたり米国の影の部分を撮り続けてきた超一流のフォトジャーナリストです。「人権を守り、人道支援の道具としてカメラを使うフォトジャーナリスト」という定評がある彼は、多くの一般市民や政治家の心を動かし、偏った世論の流れを変えるのに何回となく貢献してきました。それというのも、彼の美しく訴求力の強い写真を前にすると誰でも生活者がどんな状況を生きているかをその場で追体験してしまい、同じ立場に立たずにはいられないからです。アランさんの過去の作品は一部、次のサイトで公開されています。 http://www.documentaryphotographs.com/

 

 その彼が年末から年始にかけて、アフガン市民の生活の実情をカメラに収めるため、米国の"Veterans for Peace(平和を考える退役軍人の会)とグローバルピースキャンペーンによってアフガニスタンとパキスタンに派遣されていました。そして現地映像の発表に様々な障害が懸念されるアメリカに戻る前に、撮りたての写真を携えて、1月4日から9日の予定でまずは日本で講演や記者会見その他のアポイントメントをこなすことになっていたのです。

 

 それが全部キャンセルかも。目の前が真っ暗になりました。アランさんは北京経由で成田に到着するはずでしたが、アメリカ人だけは、飛行機の中で待つだけでもトランジットビザがなければ、中国内に降立つことができないため、飛行機に乗ることさえ許されなかったのです。でも幸い翌日、中国大使館ですぐビザが発行され、切符もとれたので、日曜夜には発つことができました。そして翌日7日の月曜日昼の1時には成田に降立ちました。しかし、この段階では数時間後の講演会で見せる写真は1枚も準備できていませんでした。

 それから2日と4時間。数限りない人たちに助けられ、いくつもの綱渡りを繰り返し、奇跡的に予想以上の成果を収めることができました。以下にその内容について報告させていただきます。

 

@緊急写真講演会:フォトジャーナリストAlan Pogue氏に聞く『アフガニスタン市民生活の実情1』1月7日(月)18:3020:30 中村敦夫事務所四谷会議室

 

 参加者82人。多数の報道関係者、人権・環境・平和アクティビスト、そのほか平和を真剣に考える一般市民が熱心に聞き入る中、アランさんはカラースライドとデジタル映像を披露しながら、現地の様子について1時間ほど語りました。私自身の拙い通訳が間に入ったので、100%彼の思いが伝わったとは言えません。また、スケジュールが大幅に狂ってしまったため、彼の本領の白黒写真がプリントできず、芸術的に彼が納得できる写真は多くありませんでした。しかしそれでも難民キャンプ内の病院、学校、墓地などで目撃された、アフガンの子ども、女性、男性の生身の人間模様には多くの人が少なからず、心を動かされていた。それが会場の雰囲気からひしひしと伝わってきました。また、アランさんの淡々としたジャーナリスティックな話し振りも印象深かったとの意見が多くアンケートにも見られました。

 そして5分の休憩の後のディスカッションタイムでは、活発な質問やコメント一つ一つに誠実に答えてくれました。以下にその数例を挙げます。

 

 ◎平和というものは外にではなくまず心の中につくるもの。

 ◎戦争の犠牲者は常に非戦闘員である一般市民だ。

 ◎何千もの無実の市民が死ぬことを百も承知でアフガン攻撃をするという行為はテロリズムでなかったら何だろう。

 ◎他の国のテロリズムに戦いを宣言するなら、過去にアジアやアフリカ、

  中南米で行ってきた自国の直接テロや間接テロをまず裁くべき。

 ◎アメリカでは真実が隠されたりねじまげられたりするけれども、それを知らせる努力をこれからも続けることが一番大事。

 ◎アメリカ政府は人々が真実を知ることを恐れている。

 ◎だからこそ、CNNなど主要メディアでは、アフガンの一般市民の犠牲者のことを話題にするときは、必ずオサマ・ビン・ラディンなどのテロリストたちのせいで全てが起こっているという文脈を作ることが現場の

  担当者に指示されている。

 ◎そうした中、アートを利用して裏口から入り込んで活動できるアーティストは一般ジャーナリストより有利な立場にある。

 ◎いずれにしても、どんなにつらい状況でも、楽しみながらやることが、活動を長続きさせるこつだと思う。

 

 以上、個々の点は、他の場で他の人によって指摘されてきたことも多いことでしょう。また、現地に一定期間滞在して多くの映像を送りつづけている日本人写真家も一人ではないでしょう。しかし、「自由」という虚像と裏腹に反政府的な意見をシステマティックに押し殺すアメリカという国で30年間活動してきた人間の言葉として、その発言の重みを否定することは誰もできないのではないでしょうか。

 盛大な拍手で講演会は幕を閉じました。

 

A同日20:302110、ミニ記者会見

 

 ここでも、熱心な質問の嵐に、当初20分の予定を2倍に延長してアランさん自身は気持ち良く答えていました。スケジュールとアランさんの体力を心配する主催者側の気持ちをよそに。日本のジャーナリストその他の人たちの熱心さに感動し、感謝の気持ちでいっぱいだ。帰りの車の中でそう話してくれました。

 

B同じ晩、某出版社の方に日本での写真集出版の可能性について打診した後、都内西麻布のAtmosphereというバーに場所を移しました。ここでは、1月下旬(2月初め)から1ヶ月間、アランの作品(今回公開できなかった白黒のアフガン写真25枚前後)が展示されることになりました。

 

Cまた20日(日)16:3019:30 都内代官山のBeGood Cafe で、イベント・ティーチイン「メディア&ピース」が開催されますが、そこでも彼の今回のアフガン写真とその活動が紹介されることになりました。詳しくはホームページ http://begoodcafe.com をご覧ください。

 

D1月8日(火)15:0017:00 インタビュー(ヘラルド朝日)

 

E緊急写真講演会:フォトジャーナリストAlan Pogue氏に聞く『アフガニスタン市民生活の実情2』1月8日(火)18:0020:00 一橋大学教職員集会所

 

 参加者55人。学生、教職員、ジャーナリスト、一般市民。内容は前日のものとほぼ同じものでしたが、スライドの枚数を若干増やし、"Veterans for Peace”の活動を少し詳しく紹介したところ、やはりその存在をはじめて知って感動したとの意見がアンケートに多く見られました。

 なお、前日もそうでしたが、「これから民主主義をささえることになる女性と子どもに希望を持っている。その彼らを支援することはこれからも大切だ」とアランさんは強調していました。

 

F同日20:4522:00 打ち上げ会

 

 そこで、アフガニスタン近隣の某国の外交官と意見交換。アメリカにもアランさんのような人間がいることを知って感動したとその外交官は語っていました。来日してはじめてゆっくり食事をとってもらえました。

 

G1月9日(水)11:3013:00 一橋大学34番教室 国際関係論専攻の学生の前で、写真なしのカジュアルなトーク。通訳なしで英語のみ。リラックスした雰囲気の中で、中身の濃い討論が繰り広げられました。前日やっと7時間ほど寝る時間がとれたので、特に頭が冴えていたようです。

 

H記事になったり写真が使用された例は、主催者側が把握しているものだけで、以下のようなものがあります。

 朝日新聞(全国版)1月8日(火)夕刊。週間金曜日1月11日(金)。Herald Asahi27th January) Star People, Spring 2002。その他、今回は放送枠がとれなかったようですが、これからアランさんの活動を中長期的に追っていきたいので情報がほしいとNHK-BSの担当者の方からは申し出をいただきました。

 

I1月9日(水)16:0016:30 成田空港。52時間滞日スケジュールの決算。

 

 1月7日(月)の講演会参加費(マイナス経費)に7日〜8日の「アラン全米広報活動費カンパ」を加えた114,397円をアランさんに渡しました。ただし、スライド現像代金(大幅値引き)がまだ明らかでないので、後日精算することになっています。

 

  今回、数限りない人たちが綱渡りを助けてくれました。その半分以上の人たちは、イベント当日まで一度も会ったこともなく、1030回に及ぶメールや電話のやり取りの後、当日あわただしく「はじめまして」と挨拶を交わし、すぐ作業にとりかかってくれました。中には、アランさんには一度も会うことなく大きな貢献をしてくれた人もいました。そうした人たちの名前をすべてここで挙げることは不可能ですし、私たちが把握していないところで、広報その他で助けてくれた人も大勢いるはずです。時にはあまりに多くの人が

援助を申し出てくれたため、交通整理に困ったことさえありました。主催者を代表して心から感謝したいと思います。

 アランさんは別れ際に次のように言いました。「これからアメリカ各地で今回のアフガン写真を携えて広報活動を繰り広げなければならない。そのために必要な精神的エネルギーをたくさん日本の人たちからもらった。すごく感動し、感謝している。将来のための種まきもできてよかった。でも今度来日するときは、同程度の内容を1週間かけてゆっくり消化したい。」

 アランさんは帰国後2日間、ベッドからほとんど体を起こすことができなかったそうです。

                      (グローバルピースキャンペーン 今村 和宏)