しかも、つい数日前まで、そこに何が存在していたのかまったく思い出す事ができない。
特に年度末とか新年度とかいわれるこの時期になると、この現象は著しい様に思われる。
不況だと騒がれている中、なぜこんなに新規建設が行われているのか
景気が良いといわれていた時代に、愚かにも、その時代が終宴を迎える事を
予測せずに計画されたものなのだろうか。
過去の計画をひきずり、しかたなく古い建物を破壊し、しかたなく建設する。
何十年か先、この不合理な狂乱状態を何と説明することができるのか
建てたところで、経済構造的な解決が出来ていないので、深刻な問題
慢性的クライアント不足に陥る事が明らかであることは、誰でも予想出来る。
にもかかわらず、遺物である計画書通りに今日も建設が行われている。
バブル時代に建設された建物に本当に寿命が来ているという一説もあるが
取り壊される建物の内の数パーセントにしかならないだろう。
人の地形認識のパターンには、二つのタイプがある
一つは方位を基にした、絶対値的な認識、もう一つは周囲との関連性においての認識。
前者は「土地勘がよい人」後者は「方向音痴」に陥りやすいパターンである。
私の感覚は後者に近いものがあるのだが
その感覚を楽しむようにしている為に
目指す付近(全然違う事もしばしばであるが)をむやみやたらに
歩き回るという非合理的時間も、生じるが、苦にはならない。
その結果、思わぬものを発見したりする事で、むしろ楽しませてもらっている。
記憶というものは、連続性を持っているわけではない
「ある時点」の集合である。集合がうまくいっている場合は
知識や経験としての連続性があるものとして、取り扱われるが
それがどこかでスリップしてしまうと、「さっきまで覚えていた」という
データーエントリされていない空のデーターベースを参照し
「ど忘れ」として処理される。
もしくは、忘れた状態が長く続くと、こんどは本当に抹殺されたり
何らかの記憶を関連付けるトリガーが働くまで、忘却は続いたりする。
都市は居住空間、労働空間が混在し、その構造には
意味合いが存在する所であった。
そこに家がある理由、そこに魚屋がある理由、落語で有名な代書屋が
村、町として存在した。
生活は村、町の単位で充足し、そこを離れる事なく生活は成り立っていたはずである。
やがて、交通手段の発達、交通網の発達、いや変化が訪れ
生産性を合理化する意味合いが抹消された都市計画が出現する。
場所と建物のもつ意味合が薄れ、ベッドタウン構想、学研都市構想
工業地域構想など、むやみな都市計画などによって
どこに何があっても良い、または意外な物が存在することが許されるようにもなる。
だから、私のように相対的な認識をする者にとって、街の構造はますます
わかりにくくなっているのだと感じている。
近代的な構造と、前時代的な
隣組構造が交錯している地域に居住する老人たちは、
隣組構造の優位を信じてやまない。
地域の顔馴染み的風習は「出かける前には、お隣に一声かけて」の
慣例を実行すれば、鍵を掛けずに外出できたりするが
一声かけると「どちらまで?」と言う問いも返って来るであろうし
鍵のかかっていない家には、誰でも入って来れる。
とある村へ引っ越して来た家に、荷物を運び込んでいたら、見知らぬ住人が勝手に上がり込み
引っ越しの荷物を品定めしていたなどと言う、寒くなる話をどこかで聞いた事がある。
また、地域に新規入居をした家の家族構成、職業、生活ペースなどが
明らかにならない、居住者は、地域全体の認識として不審者として認識される。
戰時中の、異端者を管理するには便利な隣組の密告制度であったり
自警団的なものが存在を思い起こさせる。
古い建物に住み、隣組優位を信じる、老人たちが居て
古い建物を次々に壊しながら建築された、集団居住塔にやって来る
新たな住民が居る。
古い住人達は顔のない、新しい住人達をいぶかしがる。
ネットワーク上に林立するコミューンは、自警団にもなりうる隣組なのか?
かかわりの距離を置きながら顔を隠し存在する、近代モデルなのだろうか?