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原水爆禁止世界大会in長崎に参加して

伊藤 比呂子

 「核兵器のない平和で公正な世界を」をテーマに7日から9日まで小学2年生の娘と参加してきました。2000年に核不拡散条約再検討会議で核保有国も合意した核兵器廃絶の「明確な約束」の実行が強く求められ、次回の2010年の再検討会議にむけすみやかな核兵器廃絶のため積極的な行動を決意し国連総会で核兵器全面禁止条約の協議開始を決議するよう提唱した国際会議宣言にもとづき、「ヒロシマ・ナガサキをくりかえすな」「すみやかない核兵器廃絶を」と呼びかけました。
 娘が大人になるまでに核兵器のない平和な世界が実現できたらどんなに安心・安全だろう、その為にわたしが出来る事はなんだろう?まずは、長崎へ行き目で見て生で話しを聞き勉強してこようと思い参加した3日間を報告します。

 室蘭・登別地区代表は看護士さんから市議会議員など子どもを含め6名参加しました。

日の7日午前から、北海道代表団の結団式が行われ全道から約180名あまりが参加。各ブロック参加の意気込み、自己紹介・地域での取組みなど報告。「自己紹介はそれぞれで」と団長の登別市議渡辺さんから言われ、娘は順番が来るまで「絶対イヤ」と言いつづけていましたがマイクを向けられ覚悟したのか、「がんばります」と照れながら決意表明しました。
 午後からは世界大会総会で、全国と海外代表から約6800名参加。熱気に包まれる中海外代表報告や田上長崎市長の特別報告など。原爆症認定集団訴訟の熊本原告団事務局長の来賓あいさつで「判決が出ました。勝ちました」と叫ぶと会場からの割れんばりの拍手に胸が熱くなりました。
 夜は北海道代表団の交流会で被爆者である森内実さんのお話しを聞きました。8歳で被爆してからの体験は耳を塞ぎたくなるような想像以上の話しでした。お話しの後の質問で「若い人達に伝えることは?」に「10代、20代の方は私達の話しを聞いたり、色々な活動を手伝ってくれる人達が沢山いるが、中間層の人達が少ない。」と話していて私もその一人だと恥ずかしく反省させられました。

日目は分科会で私は原爆遺構めぐり、娘は少年少女のつどいに参加してきました。どちらも気温36度のなか外での分科会でしたが、私は平和記念像のある平和の泉・爆風で傾いた門柱のある長崎大学・原爆で崩壊した浦上天主堂の3つを回ってきました。どこも原爆の激しさと怖さを物語っていて絶対に核兵器は何があっても使ってはいけないと改めて実感しました。
 娘は、爆風で一本だけになった鳥居のある山王神社で戦時中食べていた食事をお昼に食べたようで、迎えに行くと真っ先に「おいしくない。こんなの食べなきゃなんないの?戦争って」と感想を言っていました。

終日は市民体育館で閉会総会と北海道代表団の解団式が行われました。総会では、核兵器廃絶と非核・平和な日本・憲法9条を守れの声をひろげ国民的な行動をと長崎からのよびかけをおおきな拍手で採択しました。
 この三日間、核の恐ろしさと原爆の怖さを勉強して改めて人と核とは共存できないと実感しました。核兵器のない平和で公正な世界にするため私が出来ることは目で見たこと、体験者の話しを聞いたことをたくさんの人達に伝えて行動すること。まずここから始めたいと思います。最後にこのような機会をあたえてくれたみなさん、たくさんのカンパをいただいた皆さんに感謝いたします。ありがとうございました。