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 日本共産党 登別市議団 2007 すみよいのぼりべつ より

登別市議会議員
平田えみ子
登別市議会議員
わたなべ勉

 室蘭地区議員団へ
 
すみよいのぼりべつ

・自然の恵み
・冬の早朝配達
・息子よ!世の中に関心を
・議員研修会に参加して
・一市民として
・紅葉の季節にふさわしくない空母
・お年寄りを守ろう
・孫のために
・花におしえられて
・終戦特番を見て
・農は国の基
・奢(おご)れるもの…
・米タイム誌のこと
・憲法九条の素晴らしさ
・「もったいない」のはなし!
・平和大行進について思う


 2007年12月23日付
最後の生きる道

 十二月議会で生活保護のことを質問しました。憲法二十五条に生存権が銘記されています。憲法が交付されて五十年以上も経過しているのに、制度そのものが利用しやすいようになっていません。
 ある方は、少し前まで元気に働いていて、年金にも入っていました。ある日、病気で働けなくなってしまいました。残念ながら、権利がある二十五年まであと八年はど不足しているのです。社会保険事務所に相談にいったとき、不足分を払いたいと言ったのですが、年齢的にも無理だと職員に言われたといっていました。また、ある方は、経済的な事情で年金に加入することができませんでした。二十五年という長い期間、加入しなければ権利が成立しない、結局無年金とならざるをえないのです。
 このような理由で、生活が困窮したとき、最後のセーフティーネットとして生きるために生活保護を受けざるをえないのです。最後の保障まで切り刻まれたらどうやって生きていくの、と悲鳴が聞こえてきます。みんなで声を上げ、誰もが安心して利用しやすい制度にしていかなければと考えています。みなさん!、いつでもご連絡を!。

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 2007年12月16日付
子どもたちへのプレゼント

 「洋式トイレ化は、市内小中学校で30%をめざし実施します。便座の暖房も合わせて実施しますが、これらは一度にはできないので年次計画をたてて実施します」。
 先輩の花井議員の質問を受け継ぎ子どもたちに何とか快適なトイレを、と考え、私も九月議会に引き続き質問しました。
 十一月のふれあいDAYや公開研究会でおじゃました小・中学校では、必ず子どもたちのトイレを見せていただきました。「これなら冬でも大丈夫」という学校は、小学校でわずか二校でしたから、子どもたちのために何とかしたい!、そんな思いでした。
 時を同じくしてある学校では、PTAが「このままでは子どもたちがかわいそう」と応急措置を検討し始めていたとのこと。早速朗報をお知らせしたところ「順番はどの様に?」と。それはこれからの検討課題とのこと。
 「できない」との答えから「実施します」との嬉しい回答でした。トイレの問題は人権問題ですよね地方自治体にまかせず、国が責任を持つべきと思うのです。

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 2007年12月9日付
光が見えてきた生活相談

 地方選が終わってからの生活相談でした。何度も相談者と会い、背景をつかむのに時間を要しました。お話をうかがいながら、お互いに信頼関係を築くまでが大変でした。
 時間を重ねていくうちに、相手の方も腹を割って詳細に話してくださるようになり、何とか問題を解決したいと真剣に訴える気持ちに胸が熱くなり、必ず解決するからがんばりましょうと激励してきました。
 人間ってわからないものです。元気で働いているうちは返済も可能ですが、病気で倒れてから流れが変わり、失意の連続だったそうです。こんなはずじゃなかった、人生の設計が大きく狂ってしまったのです。
 しかし、あきらめないで問題の解決に一歩一歩クリアしていくうちに、相談者の顔に笑みが出てきました。絶望の淵からはい上がった人の希望にあふれた「顔」はすばらしいと感じました。

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 2007年12月2日付
少人数学級でこそ

 子どもたちの「はい!、はい!」とはりきって手を上げる姿に思わず見入ってしまった時、「渡辺議員、教師の顔になっていますね」と、そばで見ていた校長先生が話しかけてきました。
 十一月一日の「ふれあいDAY」には三校をかけ足で回り、翌二日には小学校の公開授業と中学校へ、そして十六日と二十一日にも授業を見せていただきました。
 子どもたちの学力や体力の低下が、あれこれと学校の外で話題になり、学習指導要領も猫の目のようにコロコロと変えられようとしている今。
 いちばん大切にされなければならないことは、平均点一点、二点のちがいに一喜一憂することではなく、学校の主人公である子どもたちではないのかと考えるのは、私だけではないと思うのです。参観させていただいた各校の授業は、先生方の教材研究のあとが十分感じられるものでした。
 それにしても、四十名に近いクラスでの授業では、授業の内容以前に息苦しさを感じ、三十人以下の教室では、ゆったりとした雰囲気ですすめられていた授業。
 一人ひとりが大事にされる授業は少人数学級でこそと感じた参観でした。

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 2007年11月25日付
灯油高騰にびっくり

 先日の寒さと雪にはびっくりしました。やはり十一月も下旬になると、いきなり冬にもなります。これまで、例年より暖かい日が続いていて、助かっていましたが、時期がくると寒くなるので、風邪を引かないように一枚多めに着る、うがいの励行などありきたりの予防策ですが始めているところです。
 冬を迎えると、私は家の中が寒いと気満ちまで寂しくなるので、ゆったりとストーブを焚いていましたが、今年はそうは行きません。灯油価格が一リットル九〇円もするのですから驚きです。数年前まで四〇円くらいだったのが、昨年から値上がりを始めて二倍近くにもなり、訪問したお宅からも節約している状況が伝わってきます。
 幼少の頃、各家庭では冬にになると薪ストーブが活躍。赤々と燃えていて家中を暖かくしてくれます。ストーブの火をみていると、心まで暖かくなるのを感じました。ストーブにはやかんや鍋が置いてあり、ガス台の役目も果たしていました。決して豊かな時代ではありませんでしたが、あの頃が懐かしいと感じる年齢になったのでしょうか。
 原油の値上がりは全ての物価の値上がりにつながります。この先、より生活不安を感じる厳しい時代の到来です。

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 2007年11月18日付
久しぶりに教え子たちと

 「ナベ先生、久しぶりに何人か集めるから飲まないかい?」と電話があったのは、まだ残暑厳しい九月の初め。「おっ、いいなあ」と即答したものでした。
 待ちに待った十一月三日、早々と会場に駆けつけ、久しぶりに会う教え子たちが来るのを待ちました。
 ノレンをかき分けて入ってくる中年の男性に??。教え子じゃないなと確信して、別のお客に目をやると、突然その方が「先生、お久しぶり。覚えていますか?」と手を差し出して握手。えーつ、誰だっけ、とマジマジと見つめる顔。この顔は…、と考えていると、ふっと思い出したのです。「えーつ、足の早かったG」君じゃないか」「そのとおり、よくわかりましたね。ナベ先生はぜんぜん変わっていない」と嬉しいひと言も。「先生、僕は?、今度はAと間違わないでよ」とE君。
 話は、修学旅行のことや「今、室蘭の大企業は景気がいいっていうけど実質、給料は下がっていますよ。共産党に頑張ってもらわないと!」との注文も。「白鳥台の先生の家によくおしかけたよなあ」「オレは厚真にも行ったぞ」と三十三年振りの再会に、お酒もぐいぐいとすすんだ夜でした。

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 2007年11月11日付
白老町議選の応援に

 先日おこなわれた白老町議選の応援に行ってきました。定数二〇から四削減され、三名はみ出しの大変厳しい選挙戦でした。
 私も議員となって二期目となりますが、議会のなかでは党の議席の位置づけは大変重要になるということを改めて実感しました。
 今度の選挙は、白老町民の将来がかかつた大切な選挙だと認識して応援にかけつけました。ビラの配付では、五〇枚配るだけでも距離があり、大変な状況でした。また、宣伝では、私は虎杖浜地域を宣伝したのですが、玄関を開けてジーつと演説を聞いてくれていて、終わったあとお礼に伺うと、頑張ってくださいと声をかけられました。この地域の反応がよいのは、この地域で根を生やした活動をしていて、住民の信頼を得ているからだと感じました。
 十月二十三日の告示日、本部長のあいさつのなかで、日本共産党の議員だからこそ、住民の声を議会に届けることができるのです、との土屋候補への力強い激励の言葉を聞いて、私自身が大いに励まされました。
 選挙結果は、見事三名当選。応援に行ったかいがありました。本当によかったです。

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 2007年11月4日付
巨大な海の上の基地

 この戦闘機がいったいどれだけ多くの命を奪ったことか。アフガニスタンの子どもたち・イラクの子どもたち、市民の頭上を我が物顔に飛びかい、爆弾を落としていく。それが、今私の目の前にいる。そう思うと、親善などと口に出されても、ああそうですか、と受け入れるわけにはいかない。それが今回の米空母キティーホークの室蘭港入港だった。
 登別の隣り街の出来事とはいっても、この空母入港は黙って見過ごすわけにはいかない。抗議行動があるたびに室蘭へ出かけ、デモや人間の鎖に参加したり、時にはメッセージをのべさせてもらったりしました。
 虻田から、伊達から、登別から平和を求める声は、全胆振から…。平和だからこそ今の私たちの普段の生活があるのだとも感じた。
 「入港の記念に」「空母が最後だから」時には乗組員と親善バレーで汗を流して…、でも、ちょっと考えてほしいのです。この人たちは罪もない人びと、子どもたちの命を奪ってきているのです。
 親善ならば、観光船で軍服を脱いで訪ねてほしいのです。愛と平和の心を持って。

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 2007年10月28日付
夢でよかった!

 真っ赤に染まったナナカマドの実が運転している私の視界に入り、エールを送られているように感じます。
 十五日から三日間、決算審査がありました。何日も前から準備しているのですが、質問の組み立てが思うようにいかず、思考力の限界を感じつつ、目は活字を追っているのですがなかなか先に進みません。なんと時間の過ぎるのが早いことか。いま、夜中の二時だと思っていたら、もう空が明るくなってきました。
 何度も何度も初めから資料や数字を確認する作業をしながら「ネバーギブアップ、ネバーギブアップ」と呪文のごとく繰り返して自分を奮い立たせてきました。
 二日目の夜のことです。夢の中で決算委員会の質問の中身を吟味しているとき、もしかしたら私は円形脱毛症になったんだろうかと思い込み、後ろ髪にそっと手を触れると、固まりで抜けてきたのです。驚きとショックで言葉がありません。
 そこで思わず目が覚めたのです。「夢でよかった!」のひとことに尽きました。

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 2007年10月21日付
満足顔が印象的(青空まつり)

 「ドーン、ド・ドーン」会場いっぱいに広がる開会を告げる和太鼓のひびき、そのまっただ中にいて、力いっぱい和太鼓をたたいていたのです。こりゃー去年よりたくさんいるぞと会場全体を見回して感じ、バチを握る手にも力が入りました。胆振の仲間とともにのぼった二回目の舞台、来年はもっと仲間を増やして大所帯でたたくぞ!と決意。
 三味線の木下辰也君とのインタビューは、出演前にはたくさんのエピソードを聞いたのですが、本番ではそれが思うように紹介できず、そんな自分にイライラ。あっという間に二曲が終わり、三曲で三〇分という舞台がどうももちそうもない!、と心配したところで助け船が。どうやらお母さんが木下君の伴奏で民謡を歌うらしいとのこと。さっそく交渉に。OKをもらって舞台へ。二人の息の合った演奏にホット一安心。「アンコール!」の声に、よっしゃあ、もう一曲とお願いして最後の津軽じょんから節へ。
 大抽選会は自分でも楽しみ…、目の前には登別から初参加の方がたくさん。どうか一人でも多く当たりますようにと思いつつ…(私自身も含めて来年に期待してでした)。
 宮内さん、紙さんの話には演説会とは違う気軽さがあり、横井さんの歌声にうっとり。フリーマーケットあり、出店あり、楽しさてんこ盛りの青空まつり。「これがあるからいいもね」と重そうに大根、人参を持ち帰る満足感あふれる顔が印象的でした。

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 2007年10月14日付
楽しかった青空まつり

 雨かもしれない、寒いかもしれない、一枚多めにと心の準備をしていると、嘘のように晴れ上がった天気になり、まだ夏の日差しが残っていて気持ちのよい青空まつりとなりました。
 一千百名の参加と聞いて、よかったね、と成功したことにみんなと大喜びでした。一人ひとりに声をかけてありがとうで一杯です。自宅に、「よさこい」でお世話になった方から五枚参加券持ってきてと、うれしい知らせもありました。
 今回私は、去年の青空まつりに参加できなかった人や、初めての人に参加してもらいたいなあという気持ちで取り組みました。初参加で友だちを連れてきてくれた人など含めると十人くらいでしょうか。
 初めて参加した人は、こんなにたくさんの人が来て驚いた、じやがいもが百円でこんなにきたんだよ、と重そうに袋をかかえていました。まだ、大根と人参のお土産があるからねと大笑い。
 会場をまわると、ホテルで働いていたころの同僚に再会。仕事が終わり次第駆けつけてくれた御夫婦。
 お年寄りが多いので、イス席でテーブルがあると落ちついて食べられるねと、若者からのありがたい言葉もありました。みんなの笑顔がとてもすてきだった青空まつりでした。

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 2007年10月7日付
あったかい心のおみやげ

 「行ってきまーす!」と手を振ってホームに向かう子どもたち。親元を離れての一泊二日は、楽しみでもあり不安でもある、そんな修学旅行。
 明日は数人のグループで、見知らぬ街、函館市内を自分たちの計画で見学する自主研修。函館の人たちの人情をたっぷり感じて、子どもたちだけの少し不安な見学も、仲間と一緒に行動することの心強さを味わっておいで!、と見送ったのです。
 翌日、手にはたくさんのお土産を持ち、体全体に疲れを見せながらも、元気一杯「ただいまあ…」と列車を降りてくる子どもたち。
 到着式も終え解散。そんな中、数人の子どもが私のところへ駆け寄ってきて、荷物をゴソゴソと。「ナベ先生、これお土産!、私とA子とB子とC子でお金を出し合って買ったの!」と函館名物のイカのついた携帯ストラップを手渡してくれたのです。
 予期せぬ出来事とはこんなこと、一瞬、お礼の言葉も出ずにびっくり…。「えーつ、先生に」「ありがとう」。言葉にならないお礼のことば。少ないおこずかいの中からお金を出し合ってのイカのストラップは、子どもたちの暖かい心と一緒に我が家の茶ダンスの中で大事に飾られています。

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 2007年9月30日付
私の先生は市民

 一般質問も終わり緊張感も少しとれました。市民にとっては何が問題なのか、それぞれの施策を調べながら担当課へ確認し、関係資料を読みこなす、文言一つにしても最大限の注意をはらってとりくみ、表現力の浅い私にとっては大変な作業です。さらに実地調査にも行かないと説得力が弱いように感じます。
 いつもいつも頭のなかは、文をどうつなげていくか、どのようにすれば解決の糸口をつかめるのか、などと考えているうちに、発信元がパニックになります。
 最近四年問の議会活動を通して、私的にこれだと実感できるようになったことは、水道料金問題、川の問題などわからないことを市民からたくさん、親切に教えていただきました。そうです、私にとって「市民が先生」なのです。
 質問原稿に取り組んでいる間は、家庭ではカリカリしている私をみて、また、部屋中の資料の山積み状態など、夫は言い分があってもなかなかそばに近寄れない最悪な状況が何日も続きました。
 後期高齢者医療制度について、質問を取り上げた直後から、「よく取り上げてくれた」「これは年寄りいじめだ」「内容がよくわからない」「頑張って」などの声をいただきました。この制度にたいし、署名などで声を上げ、凍結から中止へと運動をさらに広めましょう。

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 2007年9月23日付
質問デビュー

 「議長!」「渡辺勉議員!」、いよいよ始まった初質問。前日から何度、この瞬間をイメージして議長といいながら手をあげたことか。えーっ、あの強心臓の渡辺さんが?と思う方がいらっしゃるかもしれませんが、そうなんです。入学式が終わって初めて参観日を迎えた子どもたちの心境なのです。ドキドキ、ソワソワ、それでいて後ろに控えている親(傍聴者)が気になり、チラチラと後ろを向いてしまう、そんな小学生の気持ちでした。
 どんな質問をしようか、在職時代に感じていたこと、春からの小学校訪問で見てきたこと、聞いてきたことをどうまとめていこうか。二回、三回と組み立てを考え、議会事務局に質問内容の通告書を出したのが、六日正午の二分前でした。
 それからが大変。これをどのように発言原稿に書いていくのか。資料を捜し出し、有効に活用し、市理事者に納得してもらい要求を実現していくか。たくさんのあどばいすと資料を先輩の常磐井さんからもらいようやく完成。三日前からストップウオッチ片手に何度も発言練習を繰り返しいざスタート。
 会派室で練習中に何度か議会事務局の方が来室。大きな声で練習している私を見てびっくりしていました。

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 2007年9月16日付
ふれあいは大切

 九月に入り暑い日が続いています。私も議会が始まるので準備に大忙しです。そしてその合間に相談活動もあります。周りから見たら小さな相談ごとでも、当事者にとっては深刻な相談も多々あります。生きていくって、本当に簡単なことではないなあ、と思いながら相談活動に取り組んでいます。
 九日、朝からの青空に誘われて「しんた21」でおこなわれているふれあいフェスタに参加してきました。大勢の市民が参加して、障害のある人もない人もふれあい、共に楽しみ、語りあい、支えあう環境は大切なことだと思います。
 一階では、カラオケ大会で皆さん自慢の喉を競い大にぎわいです。二階では、体験コーナーがあり、私は手話を少し教わってきました。手話をするのは生まれて初めてのことだったので、指が緊張してきれいに曲がりませんでしたが、「えみこ」と自分の名前を手話で表現することができて、楽しかった体験でした。
 親切に教えていただきありがとう!、と同時に、誰もが自然に笑顔が出て、安心して生活ができる社会にしなければと感じました。
 ふれあいフェスタに参加して印象的だったのは、人と人とのふれあいのあたたかさでした。

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 2007年9月9日付
ふる里、満喫!

 夏の町内会の二大イベントは盆踊りとお祭り。いまは昔と違って各種のまつり、フェスティバルがあるので、そんなに珍しい行事ではないのですが、夏はやっばり「チャンコ チャンコチャンコ チャチャンコチャン 手拍子そろえて…」と、子どもも大人もおじいちゃんもおばあちゃんも孫たちも。
 私は片倉町の役員をしているので、毎年この行事に参加させていただいていますが、やぐらの上で太鼓をたたき、踊りの輪を見つめていると、「ちびっ子広場」にあふれんばかりの人たちが、それも里帰りをした若い世代とちびっ子たちが、真夏の夜のふる里を満喫すべく集まってくるのです。広場がビヤガーデンになり、にわか焼き鳥屋さんになり、汗をかく役員さん。
 そして恒例の子どもみこし。百人を超す子どもたちの行列で「ワッショイ!ワッショイ!」と町内を練り歩くのです。さい銭箱を持ち走り回る子どもたち。おみこしを勢いよく回す子どもたち。普段はあまりよいニュースを聞かないいまの子どもの姿ですが、目の前にいる子どもたちは確かにたくましく未来をかついでいってくれる子どもたちなのです。
 町内会の二大イベントも終わりました。満足感一杯の役員さんの顔が印象的でした。

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 2007年9月2日付
夏の終わりに

 今年は異常気象が続いています。例年、お盆をすぎると朝晩涼しくなりますが、最近の昼間のうだるような暑さで、みなさんのパワーは半減ではないでしょうか。でも、我が家のお隣のトマトは元気に太陽の恵みを受け、真っ赤に完熟してみるからにおいしそうです。もう一個のトマトも後に続けとばかりにもう少しで食べごろです。
 こういう風景を見ながら出勤できることに幸せを感じます。人間は、ちょっとしたことで感動したり、元気をもらったりして明日に向かっていけるんだろうなと噛みしめているところです。
 先日も、日曜版を配達したとき、各家々の庭の手入れがきれいにされていて、すくすく育っている花や野菜を鑑賞し、植物から癒されていますが、その中で、あるお宅の見事に丹精込めて作られたうりを初めて見て感動しました。オーバーかもしれませんが、人間らしい優しさを取り戻せたひとときでした。

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 2007年8月26日付
原水禁世界大会に参加して

 「大会参加者が六千人を超えました」と司会からの報告に、場内から大きなうねりのような拍手。さらに第二、第三会場にも参加者の波が…と聞き、身体中から身の毛のよだつような感動がふつふつとおきてきました
 今年で62回目をむかえた原爆記念日。長崎の世界大会に初めて参加し、現地に来て体全体で味わう世界大会の雰囲気に、平和を願う人たちの熱い思いをじかに感じてきました。
 大会参加者の三分の一を超えるであろう十代の高校生、二十代の大学生、働く若者たちの報告を受け、今の若い人たちも捨てたものではないなあと感じたのは私だけではなかったと思います。
 大会会場に到着した平和大行進と合流した韓国中を平和行進してきた人たちも加わりこんなにもたくさんの人たちと手をつないだ国際連帯の大行進だったんだとまた感動。
 分科会では、全国九条の会の報告ばかりではなく、お隣り韓国の九条の会の報告を聞き、九条を守ることは、日本の平和ばかりではなく、アジアの平和、世界の平和を守るという視点で、運動は世界に広がっていると実感。(その後アメリカにも九条の会があることを知り、またまた驚き)
 三日間の大会を通じ、被爆者の方々の訴えを聞き、安倍内閣の「言葉だけの平和」という心のこもらない行動に怒りこれからは平和を願うだけでなく行動しながら平和をつくりあげていく大切さを感じ、大会のエネルギーを体いっぱいもらって帰ってきました。

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 2007年8月19日付
お墓参り

 毎年のお盆には、両親の眠る亀田霊園にお花やロウソク、線香や掃除用具一式を準備して車で霊園に向かいます。汗がにじむほど力を入れてきれいに掃除をしました。
 自分が生きることに精一杯だったので、両親には親孝行らしきことはしてあげることができませんでしたが、私自身が健康で元気に頑張っていることを報告できることが、最高の親孝行ではないのかなと、勝手な解釈をしてます。
 海が一望でき、眼下には私が住んでいる街並みがあり、ふーっと多忙な時間を包み込んでくれそうな空間がそこにありました。
 坂を降りてくる途中、高齢のご夫婦がうずくまっていたので、具合が悪いのかとたずねると、お墓参りの帰りだが下まで行かないとタクシーがきてくれないと困っていたのです。先日も一人暮らしの方が、一年に一回のお墓参りだが大変だ、富浦墓地のようにバスをだしてほしい、と同じように訴えていました。

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 2007年8月12日付
初めての立会い

 九一三。これは、参議院選挙での無効票だったそうです。当日の有権者四万四千五百六十人のうち約九百人の方の投票が、自分の意志として投じられ無効になってしまったのです。「もったいない」の言葉が思わず口から出てしまいました。
 初めて開票立会人として体育館へでかけていったのが、投票所が閉められた午後八時を少し回ってからでした。少し緊張しながらも、市民のみなさんが投じた国の政治に向けて、国民の意志として投票された一票がしっかりと受け止められているか、できるだけ有効に受け止められるようにと立ち会いました。
 広い体育館に、市内30箇所から運び込まれた投票箱が並べられ、午後九時近くから一斉に開票されはじめました。登別市には、開票作業を少しでも早く行うための読み取り機が二台導入され、フル稼働。各政党、各候補の票百票を一束にし、立会人が確認のための作業をして印を押す。(こんな作業があったんだ)と驚きながらの作業。比例区ですから、候補者によっては一票の方もいて、全ての作業が終って帰宅したのが午前三時。一般の作業の方もその前後に帰宅。翌日、選管の方にうかがったところ、最後で午前四時だったそうです。市役所の職員で二百人を超える方が早朝六時頃から深夜までの選挙作業、翌三十日には平常勤務ということでした。
 この作業に立会い、速報の裏にあるご苦労を垣間見ることができました。

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 2007年8月5日付
訪問先での会話

 参院選の期間中に訪問したお宅での会話です。私は、一人でも多くの方とお会いして、日本共産党の姿を知ってほしいのと、議席を増やして未来が誰にでも展望できる政治にしなければと必死に訴えています。「奥さん!、旦那さんの住民税、去年と比べたら倍以上になっていませんか、給料は上がらないのに増税で庶民は苦しめられています。これは定率減税を廃止したからなんですよ」と一生懸命、伝わるように話します。「安月給の私たちが増税で苦しめられているのに、大企業やお金持ちは減税だなんて頑にくるよね、お金のある人から税金を当たり前に取るといいのにね。その上消費税を上げようとしているなんてとんでもない」と話します。
 すると奥さんが「国はまるで殺人者だね。庶民をどんどん追い詰めている。生活保護をうけようとして却下され、餓死した人もいを。憲法二十五条があるのに救えないなんて情けない。余りにも国民をいじめすぎる。今の政治は許せない、共産党頑張って」と激励されました。
 ここにも政治を変えなければと思っている人がいると、はげまされて元気になります。子どもや障害を持った人、お年寄りが大切にされる社会が必ず来ます。未来が信じられるよう今から準備です。

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 2007年7月29日付
豊水とんとん

 「ハイ、そこは湯けむりがのぼっているように、目線は指先を見つめて!」「そうそう、上手だよ」「もっとやわらかくね!」
 振り付けはたった五つ、六つしかないのですが、見ていたのと実際におどったのとでは大違いでした。おどるまでは「トントン」といく予定でしたがそれがなかなかうまくいきません。やりはじめて三十分、ようやく一連の流れをつかんで休憩です。
 「覚えが早いね!」「さすが、運動会で民舞を子どもに教えるだけあって筋がいい」こんな言葉をいただき、そうかなあ、もう一回踊ってみようか、という気になっておさらいを。よし、これなら十四日の市民おどりは大丈夫と意気揚々と練習を切り上げました。
 あまり上手でない私のおどりを、短時間でなんとかマスターさせようと教えてくださった片倉婦人部のみなさん。ああそうかあ、ここに教える「教育の原点があったなあ……どんな小さなことでもちゃんとほめて、本人のやる気を引き出して次につなげていく…、私が現場でしなければならなかったことを婦人部のみなさんはちゃんと心得ていたのです。
 十四日、小雨のなか、冷や汗をかきながら、必死におどりました。

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 2007年7月22日付
よさこいの仲間に感謝

 私が「よさこい」にはまったのは、議員になる前からです。七年ほどになるでしょうか。「よさこい」を通じて踊る楽しさを知りました。
 初めて踊るときは緊張していて、ぎこちなかったかなと思いますが、一つの踊りを体で覚え込むには日々の練習がベースになります。
 のみこみの悪い私をわかるまで、徹底的に教えてくれるリーダーはじめ、仲間のみんなに感謝です。
 お祭りや何かの行事で「よさこい」を踊るときの楽しさは格別です。
 先日、リーダーから電話があり、「豊水トントンに出る準備をしているから」と言われました。一年ちかくも練習していない私ですが、練習量では負けるけど集中力で頑張るぞと、気合を入れて豊水トントンに参加しました。
 残念ながら、今年は入賞できませんでした。小雨で浴衣がビショビショになりましたが、一時間踊り通したメンバーの笑顔は達成感でいっぱいでした。そして仲間に支えられている自分を強く感じました。

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 2007年7月15日付
市民監視の抗議にもカメラ向ける自衛隊

 「敷地内に入ってきた方には受付で名前を書いてもらうことになっています」「市民の行動に監視の目を向けている自衛隊の行動に抗議に来たのだからその必要はない」「来た方には必ず書いてもらっています。それでなければここから出てください」「そんな必要はない。面会の約束までしていながら市民にそんな扱いはない」こんなやりとりが二〇分くらい続いたでしょうか。とにかく私たち一人ひとりの名前を書かせたい、それができないのなら面会はできない、の一点張りの姿勢でした。ようやく会うことになっている樺島課長が出てきて、ここでもはじめのような押し問答が。「群長は見えないのですか」「それは言えません」「最高責任者にあって手渡したい」「……」「それでは抗議文を」「あれ!なにあの人」「あれカメラで写しているよ」。参加者の声に驚き、カメラマンはすぐに建物の中に逃げ込んだのです。「自衛隊の市民監視行動に抗議に来た市民にカメラを向けるとは何事か」「データを消去させなさい!」の抗議の声に課長も渋々応じ、カメラマンの隊員とカメラが抗議団の前に。データは消去されました。その間六分、「隊内に逃げ込んで、いまの時間ならデータを移し変えたかもしれない」という声に領く参加者でした。
 実行委員会を開いてから一週間、室蘭地域の市民の声は怒りとともに自衛隊に届けられましたが、これからも市民の側からの監視の大切さも感じた抗議行動でした。

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 2007年7月8日付
かばい続けた安倍首相の責任は重い

 役所へ行くとき、近くの学校を通ります。各教室から子どもたちの元気で透き通った声が外まで聞こえてきて、私のもやもやした気分がスーっと消えて癒されます。子どもたちから、お金では買えない元気をもらい私の体内に栄養素として送り込みました。
 私も時々悩むことがあります。生活相談のなかで、共産党へいくと相談ごとの百%は解決すると考えている人が多いのではないでしょうか。解決できる場合もありますが、そのような方向へ行かないことも実際にあるのです。
 議員としてどこまで相談に応じることができるのか、正直いって限界を感じることがあります。悩みに悩んだ結果相談者の側にたち、親身になって考えてあげることとの結論をだしてからは精神的に少し楽になりました。
 先日、後援会の方のお宅へ伺うと、「久間防衛大臣」が辞任したことを知っていて、話題になりました。長崎の原爆投下は仕方なかったとの発言は誰が聞いてもおかしい、長崎の人を冒頭していると怒っていました。
 安倍首相の任命責任が問われるべきです。さっそく宣伝開始です。忙しくなってきました。日本共産党が前進できるチャンスでもあるので、いまががんばり時です。

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 2007年7月1日付
三十数年ぶりの再開!

 「こんにちは!」「……」「ごぶさたしています」「……」「お久しぶりです。みなさんお元気ですか?」の言葉に、そこに居合わせた六人のお母さん方から「えーっ、渡辺先生?」「まさか」「いややっぱり渡辺先生だわ」「あらあら、昔とちっとも変わらずに!」。いえ、そんなはずはないのです。このお母さんたちとの出会いは、私が初めて卒業生として子どもたちを送り出した、そのお母さんたちなのです。もちろん私もまだ独身時代のことですから、昔とちっとも変わっていないのではなく、それ相応に年をとって…だったと思うのですが。
 三十数年ぶりの再開は、私の遅れに遅れた退職の挨拶状が問を取り持ってくれました。早速Kさんから「渡辺先生のクラスのお母さん方のお茶の間懇談会を私たちは今も続けているんですよ。今度の集まりは亀田公園でのお花見ですから、渡辺先生も時間があったら懐かしい顔を見にいらしてください」とのお誘いをいただいたのでした。当日まで他の仲間には知らせず、滅多に着たこともない正装(?)で、そして再開でした。
 このお母さんたちには「子どもを中心に据えて、父さん母さんがしっかりと手をつないで子育てしましょう!、学校の内でも外でも」と教えていただいた、新卒三、四年日の出会いでした。あれから三十数年。子どもたちはもう四十歳を過ぎてるといいます。楽しかった小一時間ほどの再会でした。

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 2007年6月24日付
自衛隊の国民監視活動に市民は怒ってる!

 地域で日曜版の配達を手伝っている新生町五、六丁目は、山の上に住宅が密集していて、帰りは街を眺めながら一呼吸しておりてくるのですが、登別にもこんなに景色の良いところがあるとは知りませんでした。若いころは、少しくらいの坂は気にならなかったけれど、七〇代になるとさすがに大変になったと知人が話していました。
 夏は気持ちがよいということがあるけれど、急勾配なので冬は四駆でなければ厳しいところです。私がお手伝いしたのは三月頃で、まだ残雪があり、スリップしたときはヒヤッとし、冬の配達は命懸けだと実感しました。市内には他にも山坂の多い地域がありますが、配達者のご苦労が言葉としてありませんが私には連帯感が伝わってきます。
 自衛隊の国民監視活動に市民は怒っています。こんなことを許したら戦前に戻ってしまうと近所のおじさんが話しています。ビラ配りの手を休め要求もじっくり聞いてきました。この前、共産党の宣伝力ーが走っていたね、宣伝も聞こえたよ、今度の参院選がんばってね、とうれしい応援もいただきました。
 参院選では日本共産党の前進のために、あらゆる努力をしていきたいと決意を新たにしています。

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 2007年6月17日付
委員会にデビュー

 私が所属するのは、三十七年間の教員生活を生かして、総務・教育委員会となりました。七日、第一回目の委員会というとで、午後一時が近づくにつれ心臓がドキドキ、パクパク。そして開会。七人の委員ばかりでなく、説明する市役所の担当職員がズラリ。現職時代、組合の交渉で話し合った方もいて気持ちは落ち着いてきました。
 市の報告は、道教委がおこなったいじめアンケートの市内の学校の状況と分析、市内各校の学級数についての二点でした。報告が終わり、何か質問は?の言葉に思わず反応して「はい!」と手を上げました。「はい、渡辺議員」の声に我にかえり、(ここは職員会議の場じゃないんだ)と思うと、急に心臓の鼓動が早くなりはじめました。手を上げておきながらたじろぐ自分に気づき、ふと目線を傍聴席にやると、平田議員がうん、うんとうなずいてくれ、これで落ち着き質問。いじめについて、単なる数字だけでなくいじめの分析をしているのかとの問いに対し、していませんと答えました。私は、正しい分析とは言えないと発言しました。また、介助員の配置について、介助が必要な子どもにフリーの教員がやりくりしている。介助員を増やして、と求めたのに対し年度途中でも増員はありえるとの回答をもらいました。
 教育のこととなると熱くなる自分にあとで気づきました。

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 2007年6月10日付
ラーメンの味は母の愛情

 季節は初夏なのに、肌寒い日が続いています。先日まではしかが流行していて、大学などが休みになるということがありました。昔は兄弟が多く、一人が風邪を引くとみんなにうつったりして、枕を並べて寝ていた子どもの頃の記憶を思い出します。
 母親が忙しく家庭のなかで働いていると、甘えたい気持ちがあってもそばに寄ることができません。高熱でウーンとうなっていても、時々様子を見にくる母が「だいじょうぶかい」といって額をさわり、「あとでえみ子の好きな木谷さん家(向かいのラーメン屋)のラーメンを注文するからね。汗出して早く扁桃腺なおそうね」と言ってくれた母のあたたかい言葉を思い出しました。私は、扁桃腺にかかると、向かいのラーメン屋さんのラーメンを食べると不思議に熱が下がり、元気が出てくるのです。
 幼少のころの私は虚弱体質で、一カ月に一回は高熱を出して両親に心配をかけていました。あの時のラーメンの味は、四〇年以上たっても忘れることができない母の愛情であると感じています。

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 2007年6月3日付
「靖国DVD」って何?

 「靖国DVD・誇り」って何?。五月十八日付のしんぶん赤旗の記事に、ふと目を止めたのがこの文字でした。
 「靖国神社」は、安倍首相が最も心の拠り所にしているであろう、戦後日本の心のふる里ともいうべき所。ところがこの神社は、戦争によって犠牲になった人たちに、二度と戦争は起こしませんとの不戦の誓いのものでなく、太平洋戦争を引き起こしたA級戦犯を祭っている神社なのです。
 その靖国神社の神髄を、今の子どもたちに伝えるために国の予算までつぎ込んでつくられたDVDなのです。内容といえば、日本は自国を守るための戦争だった、アジアを解放するための戦争だった、朝鮮半島や台湾は「日本がこれらの国を近代化するために道路や学校をつくった、というもの。これが全国の中学校で、授業のなかで使われるとしたらどうでしょう。戦争を知らない子どもたちは、誤った日本の歴史を教え込まれてしまうのではないでしょうか「教育の世界で、まず子どもたちを戦争へと向かわせて行く」、戦前の教育そのものを復活させようとしているのです。日本共産党登別市議団として、このDVD「誇り」を使用しないよう市教委に申し入れをする予定です。

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