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2009年10月31日(土)

ちょうど一週間前の先週の土曜日は、30年以上会っていなかった懐かしいメンバーが集った。中学の時のバケットボール部の顧問の先生が、この3月に退職されたので、先生にお世話になったメンバーが集まって、先生を招待して先生を囲む会を催したのである。

中学を卒業したのは30年以上前のこと。その頃、今のようなビデオカメラはなく、おそらく50万円ぐらいはすると思われるビデオ機器を先生は購入し、どうやって入手したのかアメリカのNBAやNCAAのゲーム、そして私たちのゲームを撮っては見せてくれた。大きなカバンくらいあるビデオ本体、ビデオカメラ、そして三脚。テープはオープンリールで、確かメーカーはAKAIだったような。テレビのアンテナ入力端子につなぎ、チャンネルは1chもしくは2chに切り替えることができ、大阪では空きチャンネルである1chで見る。もちろん白黒。

東京の代々木第二体育館は、昔、東京オリンピックで使用されたバスケットボール専用体育館。その由緒ある体育館を一度は見ておこうと、中学生の時、先生に連れられて日帰りで東京へ。親から交通費をもらって先生に渡した記憶がないので、おそらく当時の部員5人分の交通費を全て先生が出してくれていたのだ。そのことを先生に確認すると、「その頃は独身で、お金は、そういうことに使えばいいと思っていた」

その先生が、私たちが中学生の時の部活動の様子を写した写真、試合をしているときの写真を持参してくれた。もうどんなに幼くって子供っぽいだろうと恥ずかしく思いながらページをめくってみると、なんのことはない、とても堂々としているのだ。悪くいえば生意気。よく考えると、確かに、「生意気」に見えるだけのことはしていたように思う。

午後7時前に練習が終われば「早いなあ〜」と物足りなさを感じ、ふつうは午後8時頃に練習が終わり、帰宅するのは午後9時前後。遅いときは午後9時前まで練習。疲れて食欲がないけれど、食べないともたないので、30分かけて晩御飯を食べていた。冬、朝練があるときは、前の晩に、寝床から手の届くところにストーブを置き、自分の机に牛乳、食パン、トースター、バター、ジャムを用意。朝5時半に起きたら、まず布団の中から手を伸ばしてストーブをつけ、温まった頃に布団から出て、食パンを焼いて朝御飯。朝6時に家を出て、6時半に学校につき、7時から体育館で練習開始。勉強は、どの科目も出版社の違う問題集を2冊ずつ用意し、一冊は授業に合わせて、もう一冊はテスト前の勉強用。1回目の答合わせは赤でつけ、次の日、ふたたび間違えたところをやって緑で答合わせ、次は青で答合わせ、それでもダメな場合は黒で。バスケットは、3年生が出ることのできる10月の大会まで続け、この大会で大阪府優勝。その後、高校の受験勉強は、実際に行われる入試と同形式のテストを買ってきて、入試と同じ時間設定で、本番までに10回、自分でテストを行った。そのテストは、過去に実際に行われた模擬テストで、何点とったら偏差値がいくらかになるかのデータがあったので励みになった。

そんな生活を送っていたから、「いつ勉強しているの?」と周りの者に不思議がられたけど、本人は「当たり前」と思ってやっていた。バスケットで強くなるには、もっと練習しなければと思っていたし、もっと練習したいと思っていた。だから、先生が、「あの頃は、みんな目が輝いていたなあ」と言うのもわかる気がするし、私の母親も、当時、「バスケットの試合をしているときが、一番ええ顔してる」と言って、よく試合を見に来てくれた。


2009年10月30日(金)

今週の月曜日、教育実習が終わり、火曜日から、また元の日常に戻っている。実習期間、26時間の実習生の授業を見学。すると、人間とは勝手な生き物で、授業を見学するという、どちらかというと「楽」な行為よりも、授業をする方がいいと思うようになる。

実習生の授業を聞きながら、授業とは関係のないことに考えが・・・

たとえば、人間の寿命について。

医療が発達して、昔に比べれば平均寿命は大きく伸びた。娘を育てていると、現在の医療技術がなければ・・・と思うことが度々ある。今の段階で、平均寿命は70歳から80歳くらい。なぜ40歳でもなく、160歳でもないのだろう? 何か意味があるのではないだろうか。

この前、「子育て」をテーマにしたテレビ番組が放映されていた。最初は「ハウツーものか」と思い、見るのをやめかけたけれど、「そうだよな〜」と賛同する内容だった。親は、今まで自分が生きて経験してきたことを「教科書」にして、子供を育ててればよい。そして、わからないことがあれば、自分の親に相談する。親は自分を育ててくれた先輩なのだから当然である。

ということを思いだし、前述の「寿命」の話と私の頭の中でネットワークが形成された。つまり、30歳前後で子供が生まれるとして、その子供が成人する20年後には、親は50歳、親の親は80歳である。自分の子供が子育てを終えた頃に人生を全うするということだ。

昔は結婚が早く、寿命も短かった。

寿命と婚期、そして医療技術の発達と長寿化が密接に関係していると感じる。

実習生君、ごめんね。授業中、ときどき、こんな事を考えていました。


2009年10月27日(火)

一時は泉陽高校を襲った新型インフルエンザ。今は学級閉鎖もなくなり、私のクラスは昨日から全員出席している。多いときは5人まで感染したが、実は、そのうちの1人は、インフルエンザではなかったことが、あとで判明した。病院で「インフルエンザ陰性」と言われて、インフルエンザだと思い込んでいたのだ。学校に来たとき、インフルエンザの証明書の事を話そうとすると、そのことを打ち明けたので、みんなに、「おまえのせいで、学級閉鎖になるところだったぞ!」と、総攻撃を受けていた。中には学級閉鎖にならないで残念がっていた生徒もいたけれど。

「インフルエンザではありません」と言えば、このような誤解にはならないが、「インフルエンザ陰性です」と言われれば、私も一瞬どっちかな?と思ってしまう。発音で言えば「いん」と「よう」だけの違いである。

カメラで使う「リバーサルフィルム」というのもややこしい。「リバーサル」というと「反転」という意味だから、色が反転している「ネガフィルム」のことだと単純に思ってしまう。しかし「リバーサルフィルム」は「ポジフィルム」のことだ。処理の過程で「反転」させているから「リバーサル」と言うらしい。

明日から懇談が始まるが、ややこしい言葉は使わないようにしよう。教員が、つい使ってしまう言葉が、「欠時」や「単位」。「欠時が多い」とは言わず、「休んで授業を受けていない時間が多い」、「卒業するのに単位がたりない」のかわりに、「成績の悪い科目が多くて卒業ができない」と言おう。


2009年10月19日(月)

土曜日に、担任をする生徒3人から、新型インフルエンザに感染したという連絡。さらに日曜日に1人。

今日、学校に行ってみると、9人いない。4人はインフルエンザとわかっているが、残りの5人中、1人は家の用事で欠席、1人は体調不良で遅刻、1人は体調不良で欠席、残り2人は発熱でインフルエンザの可能性がある。お昼過ぎ、発熱で1人が早退、6時間目、さらに2人が発熱で早退。これで11人欠席。恐るべし!新型インフルエンザの感染力。

隣のクラスは、朝から13人欠席で、学級閉鎖が決定。このまま私のクラスが学級閉鎖になれば、学年閉鎖の可能性も出てくる。学年閉鎖になると、先週から私について教育実習を行っている学生は、担当する授業がなくなる。どうすれば・・・? すると前の席の先生2人と目が合う。授業を受け持って欲しいのかな?

今回の実習生は優秀で、基本的なこと(声、板書、段取り)はできており、あとは経験を積んで、さらに勉強し、磨きをかけるだけなので、私は全ての授業を彼にしてもらっている。つまり、この一週間、私は授業をしていないのだ。それを周りの先生は見ていて、羨望の気持ちを抱いているのかもしれない。

しかし決して私は楽ではない。もし実習生がいなかったら、この時期、私は、てんてこ舞いしているだろう。それを知った実習生君は「私は役に立っているのですね」と嬉しそうだ。今日は、休んでいる生徒との連絡をとったり、体育館での学年集会が、急遽、放送で行うことになり、その準備をしたり。あした締め切りの前期成績処理は私の担当である。学級閉鎖になるかもしれない時に、成績処理という大きな仕事が重なっている。そんなとき、優秀な教育実習生が、私の代わりに授業をしてくれる。プラスマイナス、ゼロである。


2009年10月15日(木)

先日、同じ学校の先生に、「次に車を買うとしたら、どんな車が欲しい?」と聞かれた。その先生は、近々車の購入を考えていて、参考にしたいようだった。私は迷わず「EV車」と答えた。

本当に、この10年ほどで、街中を走る車が、ほとんどEV車もしくは燃料電池車になるようでなければ、将来、地球は人間の住める環境ではなくなる気がする。3年前に転勤してきたときは、きれいに紅葉して、バスケの練習の合間に体育館から見るのが楽しみだった、泉陽高校の中庭にある2本の木は、昨年から、紅葉する前に葉が枯れてしまうようになった。本来なら、もっと空気が冷えるところを、それ以上に日差しが熱く感じられ、その日光を浴びて温度が上昇し、葉が枯れてしまうようである。

もし、世界が「温暖化」の脅威を感じて、今から二酸化炭素の削減を真剣に実行しても、その効果が現われるのは、けっこう先のことになるように思える。ちょうど、夏至や冬至の日と、一番暑くなる日や一番寒くなる日がずれるように。そのとき、はたして、このギャップに、人類は耐えることができるかどうか。

今すんでいるマンションでは、EV車の所有は無理である。しかし、もし、一軒家に住んでいたら、すぐにでもEV車に買い換えるだろう。駐車している間に家庭用電源で充電して、1回の充電で100kmも走ってくれれば、普段の使用には差し支えない。ガソリンだと、リッター10km〜20km、1リットル100円として、100km走るのに500円から1000円かかるが、充電に必要な電気代は、もっと安いだろう。

課題は、長距離輸送をどうするか、そして、どのように必要な電気を作り出すかである。


2009年10月14日(水)

私が堺東高校に新任で赴任した年、一緒に堺東高校に転勤してきたH先生と約10年ぶりに再会した。

H先生は、剣道部顧問、体育の先生で、バスケットを指導する私は、毎日、体育教官室に通い、かわいがってもらった。剣道部は何度も近畿大会に出場し、全国大会出場をかけてPL学園と競い合っていて、私は剣道部を目標にバスケット部の指導をしていた。当時、釣りがブームで、クラブ指導に熱心な先生どうしで、時間を見つけては、よく一緒に船釣り・釣り堀・波止場釣りに行った。前の晩から和歌山に行き、船宿で仮眠をとってから、暗いうちに出港、イサギを釣ったり、大勢でマイクロバスに乗って三重県に行き、朝早くアジを釣って、それをエサに釣り堀で鯛やメジロをねらったり、波止場に車をとめて、夜通し釣りを楽しんだり、あるいは、授業が始まる前に、岸和田の波止場で、いろいろな魚を釣ってから、学校に行ったり。7年後、私が信太高校に転勤するとき、H先生は釣り竿をプレゼントしてくれた。

その後、H先生も、堺東高校から転勤したが、転勤先で剣道部はなく、10年間、クラブ指導をせずに過ごし、やっと、今年の4月、転勤が決まり、ちょうど通勤経路に泉陽高校があるので、転勤祝いを兼ねて、堺東駅近辺で、一杯やろうということになった。H先生は私のことをよく覚えていてくれて感激した。鯛の煮付けを食べたあと、残った汁を見ていると、「御飯が欲しいのやろ」 私は昔から味が薄いのを好み、ギョウザなどはタレをつけずに食べていたのを覚えていてくれて、「俺も、身体を壊してからは、何もつけずに食べる方がおいしいと思うようになった」 ふだん会っていない人に、こんな事を言われると、ドキッとするし、感動してしまう。こういう目を持ち、覚えているから、剣道部を強くし、成果を上げることができたのだと思う。


2009年10月13日(火)

むすめ語録その1

最近、ますます嫁さんに似てきた娘に、「言うことが、ちゃーちゃん(嫁さんのこと)に、そっくりになってきたね。パパに似ているのは太い眉毛ぐらいか・・・」と言うと、「私は 『メイドイン ちゃーちゃん ちょっとパパ』 だね」と娘。

むすめ語録その2

おばあちゃんのところに娘を迎えに行って、家に帰る途中のエレベーターの中で、娘が、「わたし、パパみたいになりたいなあ〜」と、突然、嬉しいことを言う。びっくりしたのと、嬉しいのと、複雑な気持ちで黙っていると、私の顔を見ながら、ニターッと笑う娘は、「だって、私みたいな可愛い娘がいると、いいなあって、思うもの・・・」

むすめ語録その3

湯船の中で、手の平を上にして、手首を効かせると、水面から水が盛り上がり、これがおもしろくて、子供の頃はよくやっていた。娘も、最近、これを覚えて、お風呂に入ると、必ずやる。今晩も、一緒にお風呂に入っていると、しきりに手首を返しながら、盛り上がった水を見つめて、

「越前クラゲ〜」


2009年10月2日(金)

信太高校に勤務していたとき、情報の授業を受け持つことになった。職員室で担当の先生が「誰か情報の授業を受け持ってくれへんかなあ〜」とぼやいていたので、「学校で決めたことなんだから、先生に『やって』と言われたら、誰でもやらなあかんでしょ」と私が言ったところ、「じゃあ、先生がやって」 その頃は今のように情報が必修科目ではなかったが、信太高校は時代に先駆けて2・3年生で情報を選択科目として実施していた。特に3年生では週8時間の情報の授業があり、そのうちの4時間を私が受け持つことになったのである。

翌年、情報担当の先生が転勤し、私が担当となる。そして大阪府高等学校情報教育研究会の存在を知ることになった。情報が教科として必修科目になることが決まって、この新しい科目において「いったい何を教えればよいのか」をテーマに、情報を教える先生のための情報交換の場として、この研究会は設立された。私は、この研究会が好きで、いろいろな事を教えてもらった。特に、会合後の飲み会では、公の場では言えない様々な情報を得ることができた。

現在、泉陽高校では、情報の授業を受け持っていないけれど、泉陽高校に研究会の幹事の先生が2名いるので、地区部会とソフト研究会が泉陽高校で開催される。今日は、ソフト研究部会が行われ、授業で使えそうな簡単なロボットの紹介や、電子黒板を使った授業の方法など、今回も魅力のある内容。特に、2輪で自立するロボットがおもしろく、個人的に購入してしまった。他の学校の先生との交流は、バスケット関係以外ではないので、この点からも研究会に参加すると刺激になる。会合後は当たり前のように飲み会。学生の頃からパソコンや電子機器に興味を持って扱ってきた先生が多く、そこに教育用ロボットを製作・提供してくれる会社の人達も参加したから、飛び交う単語に理解できないものが多い。私は、こういうとき、臆することなく「○○とは何ですか?」と尋ねる。すると嫌な顔一つせず喜んで教えてくれる。今回の大きな収穫は、前から誰かに教えてもらいたいと思っていた「トラックバック」「足跡」「つぶやき」について、30代の若い先生から丁寧に説明を受けて理解できたことだった。


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