くるまの色は空のいろon my coupe under bluesky
〜40年もののクルマに乗る幸福〜
フィアット 850 SPORT COUPE ('71)との25年

since1987 my fiat 850 coupe very long car life

 
 古来長寿は中国では縁起の良いもの。猫も50年生きると猫又になるといわれます。さてクルマは。至れり尽くせり、いや単なる移動の道具に過ぎない現代のクルマに敢て目をつぶり、趣味のおもちゃのような昔のクルマと、楽しい時間を紡ぐのも一興と思いませんか。
(Vieni FIAT 98  和歌山有田郡山中のみかん畑にて)

 この車に出会ったのが、昭和62年の3月3日のこと。京都の小さな中古車屋におもろい車はいったでぇ、と聞いて陽気に誘われ出かけ遠くからそのキュートなお尻に一目惚れ。丸4灯のテールランプに「ふぇ、フェラーリですか?」と大ボケ言って、『これはフィアットです』「見せてください!」 『綺麗でっしゃろ』 その時この娘はまだ45.000km(16年で)しか走っていない箱入り娘だったのです。家に帰ってまる1日悩みましたがビートルの先輩が『これも運命だよ』というのに「そうだそうだ」と一人ナットク。縁あって?私の許に来ることになりました。良く考えたらあの日も少し飲んでいましたね〜、昼間から。反省。

なんと!同型車が2台。兄弟は捜せばいるもの... といっても94年のことでした)

家になぜかあったCarGraphic 「69年スポーツカー特集号」にこの車のことが載っていたのが親近感を持つきっかけとなりました。排気量OHV903cc、出力52ps、駆動方式リアエンジンリアドライブ、全長3.6m、車重710kg。これがイタリア生まれのお転婆娘のプロフィール。
正面からみたところです。どの車に似てるとも言い難い独自の顔ですがイタ車独特の顔であることは確かでしょう。
FIATという自動車メーカーに対する印象は、世代などにより人さまざまです。87年当時はJAXとチェッカーモータースという2つのディーラーが覇を競い、イタリアンカジュアルがブームになったこともあり、フィアット第2(第3?)の春のようなムードでした。この850が入った70年当時は西武自販の前身、西欧自動車が扱い、ポピュラーな500より850の方が人気があったくらいだそうです。ディーラーが転々とその後変わったことが災いし(西武→ロイヤル→東邦→JAX/チェッカー→サミット→)その谷間には、どん底人気の状態が存在します。それでも『地味だけれど好きだ』という固定ファンらの熱い人気に支えられ、ニッポンのフィアットはいつの時代にも健在なのです。


about car memory index
1999 1999b 1999c 1999d
2000 2000b 2000c 2000d 2000e 2000f 2000g
2001 2001b 2001c 2001d 2001e
2002 2002b
2003 2003b
2004 2004b 2004c 2004d 2004e
2005
2006
2007
2008
2009
2010
2011
another cars graphity
Asian Exotic Fantasy東南アジア旧車紀行
Opel Kadett dairy
Vieni FIAT Story(Our Favolite Italian Small Cars Meeting1995-1999)
1995 OBAMA ,1996 MAIZURU ,1997 TSURUGA ,1998 WAKAYAMA ,1999 TAKEFU-SABAE
もどる