その日、私はとても困った状態に陥っていました。母が口をきいてくれないのです。どんなに微笑みかけても、話しかけても、全く無視されるのです。
それもこれも、原因は私の手の中の、一匹の黒くすすけた仔ねこにありました。そうです、私はいつもの努力むなしく、とうとう禁断の御招待ツアーを開催してしまったのです。その仔ねこは白と黒のぶち模様で、長い手足に長い耳、ちょっと睨んでいるような目つきをする、切れ長の瞳の持ち主でした。ずっと鳴いていたらしく声はかすれ気味で、あばら骨はその1本1本が見えるほどにやせていました。
とりあえず助けなければ・・・と思って家に連れ帰ってはみたものの、さてどうしたものでしょう。すでに我が家にはうさぎがいるので飼うのは無理です。ましてや母の協力はとても望めそうにありません。私と仔ねこは不安な気持ちをかかえたまま、その夜を明かしたのでした。
でも本音を言えば、私は、案外どうにかなるだろうという楽観的な考えをもっていました。ねこ好きの友達に声をかけてもいいし、何より母も無類のねこ好きだということを知っていたからです。
案の定、次の日から母は、「うちで飼うのは絶対無理だからね。・・・で、どうするの?」などと言いながら、仔ねこに接近し始めました。おそらく、仔ねこに触ってみたいのを今まで必死に我慢していたに違いありません。しかし、そこは血のつながった親子です。私は、わざと気付かないふりをして、それとなく母が仔ねこに近付けるようにお膳立てをし、なるべく2人きりになるよう仕向けたのでした。
仔ねこのほうも心得たもので、次から次へと愛らしい仕草をしては母の心を魅了していきます。まずは、作戦その1の大成功です。
その後も、仔ねこのもらい手はなかなか見つからず、母も毎日のように「どうするのよ?」と聞いてきましたが、「今探してるから。」と言って私は何とかごまかしていました。そして、もらい手が見つかるまでは、との理由をつけて、キャットフードやトイレ用の砂などを少しずつ買い揃えていく、作戦その2を実行していったのです。
しかし、一見許してくれたかのように見えた母も、仔ねこを飼うことには依然反対していました。私が名前をつけてあげようかと提案しても、頑なに拒み続けたのです。おかげで、仔ねこは1ヵ月近くもの間、「ねこ」と呼ばれ続けることとなるのですが・・・。
そんなある日のことでした。母が突然「”ゆめ”にしようか。」と何気なく言い放ったのです。もちろんそれは、かの仔ねこの名前であり、うちで飼おうということを意味していました。願ってもないチャンスです。目つきの悪いねこだったので、いくらメスとはいえ、そんな可愛い名前をつけていいのだろうかと一瞬思ったのですが、せっかくのスポンサーのご機嫌を損ねては、今までの苦労が水の泡です。私は喜んで母の提案を受け入れ、”ゆめ”という名前は素晴しいと大袈裟に誉めたたえたのでした。
こうして仔ねこはそのまま我が家に居座ることになり、今では母が率先して猫用のおもちゃを買ってくるまでになりました。
しかし、私達家族は重大なミスを犯していたのです。
我が家のうさぎの名前は”はな”。そして、ねこの名前は”ゆめ”。
つまり”はなとゆめ”という、どこぞのメルヘンの世界のような名前をつけてしまっていたのです。
「へぇー、うさぎがいるの。あっ、ねこもいるの。で、名前は何ていうの?」
そう聞かれるのが、私たち家族にとって、そして母にとって一番恐怖だったりします。
そのことを知ってか知らずか、”はなとゆめ”コンビは今日も元気に走り回っているのでありました。
追記(もし、母がこれを読んだ時のフォローとして。)
この物語は多少、オーバーに書かれています。
だから、怒らないでね。
−あなたの娘より−