ここは 『我おもふ』の部屋です。
〜 cogito,ergo sum 〜
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- 1)めぐすり
- 2)くしゃみ
- 3)みのむしの声
- 4)ごくつぶし
- 5)幽霊のおなら
- 6)インド人
- 7)遮断機
- 8)千円おばさん
- 1)めぐすり
- 私は、生まれてこのかた目薬というものを、ほんの数回しか利用したことがない。
しかも、ほとんどが子供の頃の経験で、ここ十年くらい、全く利用していない。
なぜか? それは、私が”目薬恐怖症”だからである。(ちなみに、この病名は私が勝手に名付けたもので、実際に存在するかどうかは疑わしい)
目薬をさす時、つい大口を開けてしまうという人はいるが、私の場合、目を閉じてしまう。目を閉じてしまうと、当然薬もさせない。
哀れ、目に入ることのできなかった薬たちは、むなしく、こめかみの辺りをさまようことになる。今度こそは・・・と意気込んでみるものの、やはり結果は同じである。
家族や友達にこのことを話すと、やれ、目薬の位置が高いだの、やれ、目の端から入れるものだのと、あれこれ御高説を賜わる。
しかし、私には何一つとして満足に実践できない。
それはそうだろう。
実践できるようなら、そもそも目薬恐怖症などやっていないのだから・・・。
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- 2)くしゃみ
- 同じ職場の先輩に、豪快なくしゃみをする人がいる。
気持ちいいくらい豪快なので、「あ、今先輩はエレベーターに乗っているな。」とか、「4階に行ってるな。」とか、現在地がつかめたりなどして、便利だったりもする。
ただし、それも近くにいなければ、の話しだ。
ある日、私が取引先へ電話をしていた時のことである。
先輩と私の席は、何の因果か、よせばいいのに隣りあっている。
電話をしながら、ふと隣りを見やると、恐ろしいことに先輩は、今まさにくしゃみを発しようとしている顔つきである。これはまずい、と電話口を押さえた途端、”てやんでぇい、べらぼうめっ!”という感じの、例の豪快なくしゃみが響きわたった。
今のくしゃみが伝わっていなければいいが・・・と思ってはみたものの、電話口を押さえたくらいで、凄まじい大音量を防げるはずもない。
当然、先方にも聞こえていたらしく、クスクスと笑っている。そして、相手が必死に笑いをこらえながら言い放った次の言葉に、私は凍りついた。
「お風邪ですか? 大変ですね。」
私がくしゃみの主だと勘違いされてしまった。非常に悲しむべき事件である。
この一件以来、頼むから電話中のくしゃみだけはおさえてほしいと懇願しているが、先輩のくしゃみにはますます磨きがかかっているような気がしてならない。
私の寿命は、今日も縮む一方である。
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- 3)みのむしの声
- みのむしの声を聞いたことがある。
「ちぃ・・・・・」
高くか細い、蚊の鳴くような声だったと記憶している。機会があるごとに、この話しをするが、みのむしは鳴かないものだと言って、まだ誰も信じてくれた試しがない。
ハチドリを見たこともある。
ハチドリというのは、南国に生息する小さな鳥で、その羽根の動きが目にもとまらぬ早さであることと、蜜をすって生きていることから、そう呼ばれているらしい。
私は、この絵本の中でしか見たことのなかったハチドリを、南国でも何でもない、日本の街中で偶然見かけたのだ。
最初は虫かなと思った。しかし頭はどう見ても鳥である。その奇妙な虫のような鳥のような変な生き物は、一心不乱に花の蜜をすっていた。後になって、あぁ、あれがハチドリだったんだなと、ぼんやり思った。
タイムスリップしたこともある。あれは、私が小学生だった頃のことだ。
その日は母から、「必ず5時までに帰ってくるように。」と言われていた。小学校から私の家までは、ゆっくり歩いても5分とかからない。校舎の時計を見ると、4時30分だった。念のために、近くを通りかかった教頭先生にも、今何時ですかと尋ねてみた。教頭先生も自分の腕時計を見ながら、「あと30分で5時だよ。」と答えてくれた。
30分もあれば余裕である。私は友達と、おしゃべりをしながら家に帰った。
ところがである。家に着いてみると、母が何やらものすごい勢いで怒り狂っている。
「いったい、何時だと思っているの!」
そう言われて家の時計を見ると、なんと6時過ぎであった。
むろん、寄り道した覚えなどない。家まで、まっすぐ帰ってきたはずなのに・・・。
学校を出た時には、たしかに5時前だったと主張したが、母は信じてくれなかった。おかげで、私は嘘つき呼ばわりされ、こっぴどく叱られた。
自分だけしか経験したことのない不思議な出来事というものは、確かに存在するらしい。しかし、それは事実かもしれないし、単なる思い込みかもしれない。みのむしだって、時には鳴くだろう。ハチドリだって、どこかの南国博物館
(なんだ、それは・・・)から逃げ出して、自由を謳歌していただけなのだ。タイムスリップだって、巷ではよくあることかもしれない。
ただ、紛れもない事実は、母の怒った顔が怖かったという一点につきる。
だからあれ以来、私はタイムスリップをやっていない。
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- 4)ごくつぶし
- 道聞かれ顔というものを御存知だろうか。
なぜか、よく道を尋ねられる・・・という人は、道聞かれ顔なのだそうである。
かく言う私もその類の顔らしく、急いでいる時も、知らない土地を歩いている時も、ウォークマンでヘヴィメタをガンガンに聴いている時でさえ、道を聞かれてしまう。
つい先日も、一人のおじさんに道を尋ねられたので適当に答えた。
いつもならそれで終わりなのであるが、その日は少し違っていた。ありがとう、と一旦は去りかけたおじさんがまた戻ってきて、私に「あなた、今の仕事が合ってませんね。」などときり出してきたのである。
占い師でも宗教家でもなく、某会社の経営者だというそのおじさんは、人を見る目があるのだと話し始めた。自称経営者によると、私の目は死にかけているという。そして、今なら間に合う、人と接する仕事に転職しなさいと熱心に勧めるのである。
突然そんな事を言われて、はいそうですかと転職する気になるだろうか?
私は、今の仕事も好きですからと言って、その場を立ち去ろうとした。すると、自称経営者はそれみたことかと言わんばかりに、「その後ろ向きな考え方が、今のあなたをダメにしている。」と、なおもまくしたてた。
自分のような器の大きな人間に出会った素晴しさに気付かず、忠告にも耳をかさないのは不幸な事だとまで言い出す始末だ。どうも、この人は怪しい。
私は、何とか理由をつけて、一刻もその場から逃げ出そうと、そればかり考えていた。すると、一向に転職する気にならない私に業を煮やしたのか、「あんたは、ごくつぶしだ!」という捨てゼリフを残して、自称経営者はさっさと立ち去ってしまったのである。
人に道を教えてもらっておいて、挙句の果てに”ごくつぶし”などと憎まれ口をたたくとは、何ともひどい仕打ちである。
いったい、あのおじさんが何者だったのか、今でもよく分からない。もし、あの人が本当に経営者だったとして、私がもしそこの社員であったならば、毎日”ごくつぶし”と言われ続けるのだろうか?
やはり、とても転職する気にはなれない。
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- 5)幽霊のおなら
- 下世話なタイトルで申し訳ない。
言っておくが、私には霊感などない。それゆえ、いまだかつて一度も幽霊にお目にかかったこともない。しかし、そのおならを嗅いだことはある。これはそういうバカバカしい、しかし、げに恐ろしき話である。
夏の蒸し暑い夜、私はなかなか寝つけずにいた。枕の位置をかえてみたり、羊たちの点呼をとってみたりもしたが、全く眠くなる気配がない。仕方がないので、少し本を読んでみた。何ページか読みすすんだところで、いくぶん眠くなったような気がしたので、明りを消して、あらためて布団に入ることにした。その時である。
レコードに針を落とした時のような、ザーッという雑音と共に「あのぉ・・・・・」という、ためらうような声が聞こえてきた。何だろう?
聞きなれない声だったので、もう一度耳を澄ましてみた。しかし、依然ザーッという雑音が聞こえるだけで、声の主は押し黙ったままだ。
ふと、これは幽霊の声ではないだろうか・・・と思った途端、急に背筋が寒くなってきた。しかも、幽霊は私に話しかけてきているではないか。ここで返事をしては、まずいことになる。私は、とりあえず布団の中に潜り込んだ。
ただでさえ暑苦しいのに布団をかぶっているので、息苦しさもプラスされて、もう死にそうである。しかし、ここで顔を出しては幽霊の思うツボだと思い、必死になって我慢した。
すると、何やらプーンと匂ってきた。おならだ。幽霊のおならだ。
幽霊の奴め、何と卑怯な手段を・・・と思いつつも、心の中は恐怖でいっぱいだった。
何しろ相手は、この世のものではないのだ。布団から顔を出したが最後、どんな恐ろしい目にあわされるか分かったものではない。私は汗をダラダラ流しながら、ひたすら暑さと、おならの悪臭に耐えた。
何十分経ったことだろう。恐る恐る布団から顔を出してみると、もうザーッという雑音は聞こえなくなっていた。もしや、幽霊がどこかに潜んでいて、こちらの様子を伺っているのでは・・・と思ったりもしたが、天井も壁も、普段とかわらない私の部屋のままだった。
さすがの幽霊も、あきらめて帰ってしまったようである。
時計を見ると・・・、ちょうど午前3時をまわったところであった。
それにしても、私におなら攻撃をしてまで聞きたかったこととは何だったのだろう。
気になって眠れない、今日この頃である。
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- 6)インド人
- 天気の良い日は、ついつい散歩がしてみたくなる。
いつも通る道をすこし外れて、公園の木々を眺めてみたり、意外なお店を発見したり。
その日、私が見つけたお店には、こんな看板が出ていた。
『インド人がつくった、本格カレーの店』
インド人という言葉が、たちまち私の心をとらえてしまった。
インド人がつくったのは、カレーだろうか、店だろうか?(たぶんカレーのほうだろう)
いったい、中はどんな風になっているのだろうか?
そして、果たして日本語は通じるのか?
急いで会社に戻り、先輩にこの話をすると、「あぁ、あそこの店のカレーは結構おいしいよ。」と、すでに知っているようである。また、「持ち帰りも出来るから、一度買いに行ってみれば?」と言う。おりしも昼食時である。これは調査してみなくてはなるまい。
私は、先輩の分のカレーも買うべく、再び店へと向かった。
ドキドキしながらドアを開けると、店内は薄暗く、香辛料の香りが食欲をそそる。
ふと横を見やると、いきなり象の置物があり、壁に掛けられたタペストリーも、いかにもという感じである。うーむ、これはまさしくインドだ。
「ナマステ」と挨拶したほうがいいのかな、などと考えながらさらに奥へと進むと、意外にも「いらっしゃいませー」という声が聞こえてきた。
なるほど、向こうもインド人とはいえ、日本語の挨拶程度はマスターしているらしい。こちらも負けずに「ナマステ」と返さなければ。
と、声の主は明らかに日本人の容貌ではないか。アルバイトの人かな?
しかし店内には、これまた日本人と思われる女性がもう一人いるだけである。店はこじんまりとしていて、とても奥にほかの人がいるような気配は感じられない。
はて・・・インド人はどこにいるのだろう?
まぁ、そのうち姿を現わすに違いない。私はとりあえず、マイルドで食べやすいというチキンカレーを注文し、ゆっくり観察してみることにした。
店はわりと人気があるらしい。
次から次へとやってくるお客を、店の二人が手際よく応対している。お客も常連らしく、メニュー表も見ずに「キーマたまごを激辛で。」などと注文している。
店内は混雑とともに、ますますカレーの香りに包まれ始めた。
しかし、我らがインド人は一向に現われない。
そうこうしているうちに、私の注文したカレーも出来上がってしまった。もしかしたら、インド人はちょうど買い物にでも出かけているのかもしれない。私は寂しく会社へ戻った。
会社に戻ってから、私は不幸にもインド人に会えなかったということを、先輩に話して聞かせた。すると先輩は、「当り前でしょう。あそこには日本人しかいないんだから。」と大笑いしているではないか。聞くと、あの店でカレーを作っているのは日本人であり、今までインド人なんか見かけたこともないという。私は、すっかりだまされてしまったらしい。
しかし、まったくでたらめの看板を、あんなにも堂々と出せるものだろうか?
それともあの店は、インド人建築家によるものなのか?
いいや、そんなはずはない。きっと誰にも見つからないように、こっそりやって来て、カレーを作っているのだろう。思うに、非常にシャイな性格の人なのだ。
シャイなインド人が作ったであろうカレーは、わりと平凡な味だった。そして・・・量が少なかった。何しろ先輩は、カレーのあとにワンタン麺も食べたぐらいなのだから。
もし、今度インド人に会えた時は、こう伝えよう。
「もうちょっと量を増やして下さい。足りません。」と。
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- 7)遮断機
- 家の近くに、世にも恐ろしい踏み切りがある。
それは、大阪市内と奈良を結ぶ、某鉄道会社のとある路線上に位置する踏み切りなのだが、なんと、こともあろうに人を閉じ込めてしまうのである。
ふつう、電車の通過した後というのは、両側にある遮断機がいっしょに上がる。
しかし、その踏み切りの遮断機は片側しか上がらない。しかも、上がったと思ったらまたすぐに下がってしまう。当然、人や自転車が閉じ込められる。もたもたしていると電車が迫ってくるので、急いで脱出しなければならない。
さらに恐ろしいことに、この現象はいつも起こるというわけではなく、ランダムである。いつなんどき、踏み切り内に閉じ込められるか、誰にもわからない。犠牲者になりうるかどうかは、その時の踏み切りの気分次第なのだ。明日は我が身である。
このように恐ろしい踏み切りでは、いつか大事故につながりそうなものだが、不思議なことにまだ何も起こっていない。そして、この怪現象が改善される様子もない。
思うに、これは地域に密着した踏み切りなのだ。
「あぁ、またか。しょうがないなぁ。」なんて思いながら、老いも若きも大人も子供も、遮断機の下をくぐっているのだろう。
考えてみれば、ほのぼのした光景ではないか。
ただ、私は遮断機の気紛れはご免こうむりたいが。
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- 8)千円おばさん
- 会社からの帰り道、いつもより遅くなったので辺りは真っ暗だった。
早く帰ろう・・・そう思って駅へと歩いていたら、前から歩いてくるおばさんと目が合った。また、道でも尋ねられそうだなぁ。困ったな、急いでいるのに。
予想通り、おばさんは私へと近づいてきた。そして、こう言った。
「すいません。このあたりに財布が落ちていませんでしたか?」
てっきり道を尋ねられると思っていたので、私は少々面くらった。そして、ちょっと考えるフリをしながら、財布らしきものは何も見なかったことを伝えた。
おばさんは、そうですかと返事をしながらも別段落ち込んだ風もなく、財布と定期を落としてしまった、帰りの電車賃もない、と説明し始めた。
警察には届けたのかと聞くと、届けたが見つからない、だからこうして探しているのだと言う。そして、帰るためには千円必要なのだとも続けた。
さらに、ノートとペンを取り出し、ここに連絡先を書いてくれれば、あとでお金はお返ししますと言う。どう考えても、用意していたように話を進めている感じだ。
私はいくぶん不審そうな顔をして、おばさんを見つめた。
すると、おばさんは慌てて「私は斉藤と言います。いつもここを歩いているので、またあなたとも会うと思いますよ。」と言って、にっこり笑った。ますます怪しい。
私のその時の心理状況は、自分でも分からない。そのあばさんが嘘をついているのは明らかだった。でも、私は連絡先を書き、千円を渡した。
おばさんは、にこにこ笑いながら、「ありがとうございます。必ず連絡します。」と言いながら、駅とは反対の方向へと歩いて行った。
そして、千円は二度と返ってこなかった。
おそらく、私はおばさんを信じてみたかったのだ。結局は騙されてしまったけれど、それでもいつか連絡があるかもしれない・・・と甘いことを考えていた。だが一方で、もう一人の別の自分が、これはどっちに転んでもいいネタになるなぁ、と、ほくそ笑んでいたのも事実である。
だからこうして、おばさんは私のホームページに登場することとなった。
これは千円の元手がかかったネタなのである。
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