桜花編 Part.1

1

「起きてー!桜花ちゃん起きてよー!!」
 布団ごと私を叩く微妙な痛さと、ちょっとだけ怒りの篭った声。

 私は全然働かない頭で、うん、ううん、と生返事だけを返します。ただの脊椎反応かもしれません。

「起きて、ねー、ねーってばぁ!」
「はえ…」

 べしべしべし、と叩く音がどんどん強くなって行く。いつもなら、この後は…確か、布団を剥ぎ取って、のーてんちょっぷかだぶるちょっぷが…

「起きんかーーーーーーーーーーーーーーーっっ!!!」
 がすがすがすっ。

 …布団を剥ぎ取って、まっはちょっぷが来ました。


「もうっ、明日は絶対早起きするって言うからチーズオムレツ作ったのに」
「ごめんなさい…」 

 痛む頭を押さえながら、私はさくらちゃんの作ったチーズオムレツを食べます。トロトロで、とてもおいしいです。

「んーっ、おいしいです」

「そりゃどうも。でも桜花ちゃんの方が料理上手なんだからさ…たまには桜花ちゃんの作った朝ごはんが食べてみたいよ」

 うっ…と、私は言葉に詰まってしまいました。

 私は、朝が弱いです。とてつもなく弱いです。ですから、2人暮らしの私とさくらちゃんは家事を交代制でなく朝・晩制でやっています。言い訳になりますが、私は会社で夜遅くなる事が多いので…結局、夜もさくらちゃんがやってくれる事が多いのですが。


 溜息をつきながらトーストにイチゴジャムを塗るさくらちゃん。私はキウイのジャムを塗ります。ジャムはさくらちゃんの手作りで、このキウイのジャムは私の大好物です。さくらちゃんは私の方が料理が上手だと言いますが…そんな事はありません。

「でも、もう無くなるね。作ろうか、その内」

 瓶を手に持って揺らしながら、さくらちゃんは言いました。そう言いながら、少し頬が赤くなったような気がしました。

「あの、さ。次…バナナのジャム作りたいんだけど」
「え?それは美味しそうですね」
 考えただけで、涎が出てしまいそうです。でも、さくらちゃんは慌てて訂正します。

「あ、違うの。友達にあげるの。友達がバナナ大好きだって言うから、あの、ジャム作れるって言ったら、くれくれって…だから…」

 さくらちゃんが、真っ赤になってしまいました。

「でも、桜花ちゃんが食べたいなら家用にも作るし」
 可愛いな、そんな事を思いました。
 

 私は、2年程前に両親を事故で亡くしました。独りで途方に暮れていた私に、一緒に住もう、と言ってくれたのが、さくらちゃんでした。

 小さな頃からどんくさくて、身体が弱かった私は、いつもさくらちゃんに助けて貰っていました。私をからかったりする男の人にも、年下なのに食って掛かって私を庇っていてくれました。

 私は、ずっとさくらちゃんと一緒にいました。

 4つも年下なのに、さくらちゃんはしっかりしていて、よく私は自分が情けなくなりました。けれど、さくらちゃんの笑顔を見ているとそんな事がどうでもよくなるくらいに元気になれました。


 ずっと、一緒だと思っていました。
 ずっと、2人でいれると思っていました。

「さて、と」
 ごはんを食べ終わって、食器を片付けたさくらちゃんはエプロンを取って私の方を向きました。

「じゃあ、私出掛けるよ。桜花ちゃんはどうするの?」

 さくらちゃんは、2週間後に旅行に行きます。今日はお友達とその為の相談と細々した物を買いに行くそうです。

「んー…どうしましょうね」
「出ないなら、私ごはんの材料買ってくるし」

「いえ、いいです。ゆっくりして来て下さい。夕ごはんも外で食べるんですよね?私もそうしますし、ついでにお買い物もして来ます」

 そう言うと、さくらちゃんは笑顔になりました。ありがと、と言って行ってしまいました。


 私もさくらちゃんから15分程遅れて外出しました。

 2人でお出掛けをするのも好きですけど、1人でのんびりとウインドウショッピングも楽しいです。

 可愛いぬいぐるみとか、綺麗なアクセサリーとか、新しい対の食器とか、面白そうなゲームとか…見たいものがたくさんあります。

 そうそう、そういえば見たい映画もありましたよね…
 無計画に出て来た事自体が面白くて、素敵な一日になると思っていました。
 ―――この瞬間までは。


「ちょっと、アンタ!そこのアンタ!!アンタだよ!!」

 後ろから、声を掛けられます。けれど、その呼び方では誰の事かはわかりません。それに自慢ではありませんが、男性の親しい友達は私にはいません。ですから、関係無いと思い、そのまま歩きました。けれど。

「ちょっ…無視やめてよ!アンタだよ、ねぇってば!!」
「えっ!?」

 いきなり肩を掴まれる。うう、周りの人がみんな注目しています。目立つのがとても苦手なので、物凄く居た堪れない気分になります。

 私はその人の手を振り払って逃げようとしました。でも、その人の放った言葉で私は動けなくなりました。

「逃げたら、泣くぞ!大の大人が転がって泣いてやるぞ!?」
「ええええっ?」
 困ります。もっと恥ずかしいです。私は泣きそうになりながらその人を見ました。

 笑顔が、印象的な人でした。こういう事を言っては何ですけど、胡散臭いまでに爽やかに笑う人、という印象です。

「立ち話もなんだかさ、こうお茶でもどうかな。抹茶啜りつつヨモギ団子でも」「渋い趣味してらっしゃいますね…」

 年齢は…私より下でしょうか。きっと、さくらちゃんと同い年くらいでしょう。大学生ですかね?もしかして私…誘われているのでしょうか?だとしたら、大変です。私、この人と行く気はありません。全然ありません。

断ろうにも、下手な回答をしてしまうと本当に往来で泣かれるかもしれません。

 その時でした。

「あ、悪い。逃げちゃやーよ」
 男の人の携帯電話が鳴り、首を傾げながら出ます。出た瞬間、私にも聞こえる程の大きな声が。


『アホかお前はーーーーーーーっっ!!』

 女の人の、声です。

 物凄く、怒ったような…朝、私が聞いたような声です。恋人でしょうか。男の人は見る見る内に蒼褪めて行きます。

「すっ…ご、すいませんっ!俺が悪かったですっ!!あ、おっ、奢りますっ!!あ、勿論、2人分…え、あいつも来てない?あ、よかっ…良くないです!すいません!!すぐ行きますっ!!」

 呆気に取られる私に、男の人は紙切れを突き付けます。

「これっ、俺の携帯の番号。気が向いたら掛けて!その内デートしよっ!!じゃねっ!!」
 そう言うと、もと来た(と思います)道を全力で疾走して行きました。
 私は1人でそこに残されて、立ち尽くすしかありませんでした。


「ただい…えふっ。桜花ちゃん、胃薬出して…」
 青い顔をしたさくらちゃんが、帰って来ました。どうしたんでしょうか。

「はい、どうぞ。どうしたんですか?」

 聞いてみると、食べ過ぎたそうです。さくらちゃん、少食なのにカレーを大盛り、おまけにデザートを2つも食べてしまったとか。

「っ…水沢め…なんで豚骨ラーメンとチョコケーキ同時に食えるんだよ…」
「え?」
 一瞬、物凄く恐ろしい事を聞いてしまったような気がして、聞き返してしまいました。


「あ、いや、なんでもないよ。単なる独り言」
 多分、さくらちゃんも思い出したくなかったんでしょう。私も忘れる事にしました。

 お風呂から上がると、いい匂いがしました。きっと、さくらちゃんがジャムを作っているんでしょう。私も台所に足を運びます。

「んー…」

 ク○キング○パを片手に、さくらちゃんは唸っています。そうです、さくらちゃんはその本を読んで料理に興味を持ちました。

「ねぇ、桜花ちゃん。とうとうえっちゃんがまことに告白したよ…!」
「え、ホントですか!?」

 私はあまりにびっくりして駆け寄ります。さくらちゃんからもいい匂いがしました。楽しそうに話をするさくらちゃんの笑顔が、私は大好きです。

 小さい頃から、よくこう思っていました。

『自分が男の人だったら、きっとさくらちゃんを好きになっていたのに』

 可愛くて、ストレートで、料理上手で…着痩せするタイプですから、私以外に知っている人はいないと思いますけど、胸が大きくて…うう、羨ましいです。私は胸が無いですから…

「あ、やっば。焦げる焦げる!!」

 本を私に渡すと、慌てて鍋の方に走りました。どうやら最悪の事態は免れたようです。出来立ての熱いジャムがとても美味しそうです。

「食べる?私は無理だけど」

 おなかを擦りながら、さくらちゃんは尋ねます。勿論、食べます。私はパンをトースターに入れました。味見するのは、新作・バナナです。


2

「おーいしーい!」
「ホント?よかったぁ!」

 あまり甘過ぎなくて、結構さっぱりしていて、本当に美味しいです。さくらちゃんも嬉しそうですが…あれ?

「さくらちゃん、どうしたんですか?」
「え…え、あ?あ、別にっ、なーんでもないよぉ?」

 少し動揺しながら、さくらちゃんは私から離れます。何故でしょうか、最近こういう事が多いような気がします。私に、必要以上な隠し方の隠し事をしているような…(普通にしていればいいと思うのですが)なんだか、拒絶されているような気がして、たまに胸が痛みます。

 しつこくしたら、きっとさくらちゃんに嫌われてしまいます。私はあっさり引き下がり、ごちそうさまをして台所を出ました。

 ベッドの中で、ひとつの答えが頭に浮かびます。

 …きっと、好きな人が出来たのだと思います。その人に、ジャムをプレゼントするのでしょう。それをきっかけに告白して、さくらちゃんはその人の恋人になるんでしょう、きっと。

 嬉しい筈なのに。大好きなさくらちゃんが好きな人と恋人同士になるのは、喜ばしい事なのに。何故でしょう、胸が痛いのは。

 私は、女の人が好き…所謂レズの人では無い、とは一応断言出来ます。好きになったり、ポーっとなったりしたのは、いつも男の人でした。それに、さくらちゃんを見て、そういう…身体の関係を持ちたいと思った事もありません。

「子供っぽい、独占欲…という事ですかね…」

 私ももうすぐ四捨五入したら三十路、という年齢です。さくらちゃん離れをした方がいい、というのはもう10年近く思っている事です。


 こうなったら、私も好きな人を作った方がいいのでしょうか。でも、私には男性の友人がいません。会社の人は…奥さんやお子さんのいる人が多いですし。

「あ」

 がば、と起き上がって、バッグを探ります。そして目当ての物を見付けると、机の上の携帯電話も取って、昼間の事を思い出します。

 激しいまでのハイテンション、後先考えない引き止め方、胡散臭さ漂う爽やかな笑顔。悪い人では無さそうだ、と直感で思いました。

 安直過ぎではないか、とは思います。けれど、出会いなんて自分から探しに行かなければ巡り会えません。実を言うと、少しだけ気にはなっていました(会った事の無いタイプという事に間違いは無いので)。

 私は勇気を出して、電話を掛けてみました。

 呼び出し音が3度程鳴ってから、相手が出ました。

「あっ…あの…」
『はぁい、どなたですかぁ』

 …アレ?と私は一瞬言葉に詰まります。電話に出たのは、とてもテンションの低い、間延びした声の人でした。

「すっ、すいません、あの…」
『あ、俺違いますよぉ?シローさん、電話…』
『お前、勝手に取んなよ!』

 …何やら、争うような音が聞こえます。そして『去ね!このメガネ!!』と叫んだ後、走って、ばん、ばん、と乱暴に戸を開くような音がして、そして荒い息遣いだけが聞こえて来ます。

「大丈夫ですか…あの、シローさん…」
『シロ…まぁいいや。あの、もしかして、今日の…』


 嬉しそうな声。何故か、私も少しだけドキドキして来ました。はい、と返事をすると、更に興奮したような声が。とても素直な方のようです。

『え、でもマジで?軽く番号渡した俺に馬鹿じゃねーのって女子数人で電話掛けて後ろで笑ってるとかじゃねーよな?』

 なんですか、そのネガティブ思考。

「違います。気が…向いたんです」

『マジっすか!?うっわ、すっげ嬉しい。俺30メートルくらい先からアンタの事見て、来たっっ!!て思ったもん。運命?これが運命ってか!?って』

 なんでしょう、この人は可愛いです。ストレートに思った事を言ってくれる感じで、とても好感を持てます……って。

「30メートル!?」
『…そこ?反応そこなの?』
 驚いた私の声に、戸惑ったようなシローさんの声。それから、笑い声。

『シローさん、キモいですよ』
『うるせぇ!黙れ!!帰れ!!!』
『ここ、俺の家ですよぉ』

 うがーーーー!!と、また争うような声。シローさんをからかうような、間延びした声。何かが落ちる音。笑い声(シローさんじゃない人の)。

 楽しそうだな、と思いました。

『あ、あの、は、また、あの、電話…すっから。アンタ、自分の携帯から、掛けてるよね?…っじゃあ…あはははははははははははははっっ!!』

 ぷつ。つー、つー、つー。
 くすぐられたんでしょうか。断末魔のような笑い声がして、切れました。
 

 楽しかった…のでしょうか。私は『シローさん』の番号を登録して、つい顔が緩んでしまいました。


 夜中にトイレに起きると、台所の灯りが付いていました。まだ起きているんでしょうか…

「で、お前飛び蹴られたの?馬鹿じゃねー!?」

 明るい笑い声。覗いて見ると、机の上には綺麗にラッピングされたジャムの瓶が。電話の相手は、さくらちゃんの好きな人でしょうか?私は、さっきのような胸の痛みを感じなかった事に、ちょっと驚いてしまいました。

 それから、シローさんとは何度も電話をしたり、メールの遣り取りをしました。 シローさんは面白い人です。

 基本的にテンションが高い人だと思っていましたが、どうやら違うようでした。友人の『ダイスケさん』という人がいない時は、落ち着いた声で、私の話を聞いたりしてくれました。シローさんの話も、たくさん聞きました。

 困るのは、好きだ好きだと臆面も無く言って来る所でしたけど…どこが好きなのか、正直私には謎です。

 

「…ねぇ、さくらちゃん、私に魅力ってありますか?」

 キウイのジャムを塗りながら、ある日不意に訊ねてみました。ぶほっ、と食べていたトーストを吹き出すさくらちゃん。

「桜花ちゃん、それ本気で言ってる?」

「本気です…あの、私、今とある人に好きだ好きだって言われているんですけど、でも、会った事はあまり無くて…主に、あの、言ってしまえばメル友みたいな関係なんですけど…」


 もしょ、とトーストを口に運びます。さくらちゃんはじーっ、と私の顔を見ています。

「会った事は、一度でもあるんだよね?」
「はい。あります」
 なるほどね、と納得したような顔。

「じゃあもういいじゃん。そいつ、桜花ちゃんの綺麗な顔と優しい性格とほわっとした雰囲気のどれかに惹かれたんじゃないの?言っとくけど、桜花ちゃんって魅力的なんてなもんじゃないんだからね。私が男で今と同じ生活なら、初日…いや、私が中2辺りで喰ってるよ、桜花ちゃんの事」

 平然と言ってくれるさくらちゃん。嬉しいですけど…私だって、同じだと思いますよ。きっとさくらちゃんが中学生くらいになってた辺りで、こう…まぁ、あの頃は胸、ちっこかったですけど…

「ま、いずれにしろ桜花ちゃんが好きならいいんじゃない?嬉しいよ、やっと男出来てくれて。あ、そうだ。今日遅くなるから…また旅行の件で」

「好き…なんでしょうか、好きというより…」
「いや、私に聞かないで」
 ぺしょ、と突っ込まれてしまいました。


「えっと、バター、どこ行っちゃったんでしょうね…」
 冷蔵庫を探りながら、首を傾げます。もしかして、使い切ってしまったのでしょうか。

 今日はせっかくですから、さくらちゃんの好きな鶏肉のクリーム煮とあさりごはんを作ろうと思っていたのですが…

 ピンポーン、とチャイムが鳴る音。慌てて玄関に向かうと、そこにはさくらちゃんのお母さんが。


「あ、おばさん。お久しぶりです」
「お久しぶりね、桜花ちゃん。さくらはいないの?」

 さくらちゃんは、旅行についてまたお友達と出掛けています。もうすぐ帰って来ると思うのですが…

 実を言うと、私はさくらちゃんのお母さんが…苦手です。私の事を気に入ってくれているのは嬉しいのですが、何故かさくらちゃんの事は、あまり好きでは無いみたいなんです。しかも、それを隠せばいいのに前面に押し出している所が…苦手です。

 お茶を出して、向かい合って座ると、おばさんは笑った。嫌味のある笑顔だ、と失礼ながらいつも思います。

「偉いのね、ごはんの準備、いつも桜花ちゃんがしているんでしょう?全く、あの子ったら桜花ちゃんと一緒に住むなんて、タダで家政婦を雇ったなんて勘違いしているんじゃないのかしら」

 この人は、失礼な事をズケズケ言います。勿論、それはさくらちゃんと、自分の旦那さん限定のお話です。私には優しいのですが、私は大好きなさくらちゃんを当然の様に貶すこの人と一緒に過ごす時間がとても嫌です。

「おばさん、それは誤解です。さくらちゃんとはいつも作業を分担しています。寧ろ、私の方がさくらちゃんに負担を掛けているようなもので―――」

 私が言っても、まともに取り合って貰えません。

「ああ、いいのよ、あんな子。どうせ何もしないんでしょう?あーあ、本当に桜花ちゃんが私の子供だったら良かったのに」

 …私、死んでも嫌です。そう思ったその時だった。

「いいじゃん、別に本当に親子って訳じゃないんだから」

 笑いながら、そう言うさくらちゃんがいた。おばさんと話している時のさくらちゃんの眼は、とても冷たいです。


3

 さくらちゃんの言う通り、おばさんとさくらちゃんに血の繋がりはありません。おばさんは後妻です。さくらちゃんは私に笑い掛けると、クレープの入った袋を見せてくれました。

「ごはんの後食べよ。私も手伝うよ」

 完全に、無視しています。おばさんがそこにいないかのように。その事に腹を立てたのか、おばさんはさくらちゃんを睨みます。

「っ、貴方、帰って来たらただいまくらい言えないの!?昔から礼儀を知らない子だったわよね。桜花ちゃんを見習いなさいよ、親戚の皆だって、いつも桜花ちゃんと貴方を比べて、私はいつも恥ずかしい思いをしているのよ?」

 捲くし立てるように喋りますが、さくらちゃんは涼しい顔をしています。私は、嫌いです。この人の言葉の暴力が、どれだけさくらちゃんを傷付けているか、考えもしないこの人が―――大嫌いです。

「おばさん、いい加減にして下さい」

 泣いちゃ駄目。私が泣いちゃ、絶対駄目。震える声で、私はおばさんを睨んだ。「お、桜花ちゃん…ごめんなさい。私ったら」

「ホント桜花ちゃんの前で年甲斐も無く喚いて、恥ずかしい思いをしてるよ、私」 

 …さくらちゃんは、自分が攻撃されたら軽く3、4倍にして返す人です。おばさんは血管を切らせそうになりながら、でも(何故か気に入っている私の手前)我慢しながら、立ち上がります。

「帰るわ。あ、そうそう、これ、お見合いの写真なの。見ておいてね」
「桜花ちゃんいる?」

 私に渡す前に、さくらちゃんが奪い取ります。あ、またですか。おばさんはよく私にこの手の話を持って来ますが…私、まだその気はありません。私が返答に困っていると、さくらちゃんはついっ、とおばさんに返し。

「迷惑だから持ってくるなって。桜花ちゃんを自己満足の道具に使わないでよね」


 ストレート過ぎです、さくらちゃん…

「あっ」
 おばさんの手が、さくらちゃんの―――

 ばしん、と派手な音がしました。おばさんが、さくらちゃんの頬を打ちました。いった、と小声で呟きます。

「うっわ、怖ぁい。そんなんだから親父も浮気し放題なんだよね」

 その瞬間、部屋の空気が固まりました。今度はおばさんが泣きそうです。先に動いたのは、さくらちゃんでした。無言で部屋を出て、そのまま、外に―――

「え…」

 外に、出て行ってしまいました。おばさんも眼を潤ませながら、私にごめんなさいね、と呟いて行ってしまいました。

 私は、独りぼっちになってしまいました。

 …どうして?どうしてこうなるんですか?私は溢れる涙を拭いもせず、立ち尽くしました。さくらちゃんの為にごはんを作って、おいしく食べて、デザートを食べれる筈だったのに。

「っ…?」 
 不意に、鳴り響く着信メロディ。さくらちゃんと、色違いの同じ機種。

「…はい」
 相手は―――シローさん。

『やっほ、染井さん…もしかして、泣いてる?』
「っ―――」
 見破られてしまいました。私は慌てて否定しますけど、シローさんは突っ込んで来ます。

『泣いてるっしょ?ね、染井さんなんかあったんでしょ?』
「泣いてません…」 


『染井さん、俺、今すぐ会いたいんだけど』
 …いきなり、何を言い出すんでしょうか。

『家、どこ。今行く。行ってアンタを抱き締めて、そのまま一気にベッドまで…』
「いりませんっ!」

『まぁ、本気だけどさ。でも、俺が今必死こいて全力で走ってアンタを抱き締めて『俺がいるから大丈夫』って言えば、確実に俺に傾くっしょ!?』

「正直過ぎます…」
 あまりの正直さに、私は床にへたり込んでしまいました。なんなんでしょう、この人…
『そりゃ、正直にもなるよ。後悔したくないから』
「後悔って、どうして貴方が」

 意味がわかりません。いつもならハイテンションのこの人も受け入れられます。けれど、こういう時くらい―――

『する。今ここで染井さんが泣いてるの知ってて、何もしないなんて後から考えたら絶対に自分殴りたくなる!…間ぁ違い無い!!』

「っぶっ…!」
 一瞬、心を動かされました。けれど、最後のモノマネで吹き出してしまいました。

 …気が付けば、涙は引っ込んでいました。笑っていました。それも、全部…シローさんが電話をしてくれたから。

『なんか、元気出たな。よかった。でもゴメン、タイミング悪かったよね』
「いいえ、ありがとうございます。あの、シローさん」
 今、会いたいと言ったら、この人はどう思うでしょうか。

 これは、恋じゃないかもしれません。今、心細いからシローさんに寄り掛かってしまいたいだけかもしれません。でも、これはきっかけです。

 今私はこの人に会いたいです。会って、本当に抱きしめて貰いたい、という願望があります。それを直接言ったら、はしたない女だと思われるかもしれません。でも、それでも。


「…会いたいです」
 勇気を振り絞って、言いました。

『マジっすか!?』
「…マジっす」

 言ってしまったら、本当に会いたくなりました。私はエプロンだけを取って、慌てて家を出ました。場所は、近くの大きな公園です。バイクで来てくれるそうです。

 そんなに待たずに、シローさんは…ええ!?

「ちょ、シローさん、ノーヘルは…」
 普通に髪を靡かせながら、シローさんはバイクを止めて走って来ました。

「わっ…」
 そのまま、私を勢い良く抱き締めます。

「ヘルメット被ってる暇なんかねぇよ!ていうかバイク俺のじゃねぇし、無断使用だし、そもそも中免持ってねぇっつの!!」

 私を力の限り抱き締めて、物凄ーくヤバそうな事を言ってくれます。

 普段だったら、きっと引いています。怒って、注意してしまうかもしれません。でも、今は…物凄く嬉しかったです。

「後で、持ち主に一緒に怒られような?」
「…断固、拒否します…」
 冷たい身体。冷たい手。私は、今この人の事が好きです。ずっと、こうしていたいです。

「染井さん…」


 一旦、離れるシローさん。私の顔を見て、笑ってくれます。どうして、初めて見た時胡散臭いなんて思ってしまったのでしょうか。こんなにも、安心出来る笑顔なのに。私は、そっと眼を閉じます。すぐに、シローさんがキスをしてくれました。

 お恥ずかしい話ですが、ファーストキスです。
 大好きです。シローさんの事、とても好きです。

「うわー、すっげ嬉しい」

 子供みたいな笑顔になると、シローさんは座ろうか、とベンチの方へ行きました。私は座ってから、事の経緯を話しました。

「はぁ、なるほどねぇ。ひっでぇなぁ」
 溜息をついて、そう言ってくれました。

「そういうのってさ、ほら、俺はドラマとかでしか聞いた事無いから、どう言っていいかわかんないけど…」

「いいんです。お話、聞いて貰っただけでほっとしました」

 色々な事はぼかしてしまいましたけど、充分でした。こうやって、話を聞いて、側にいてくれるだけで…

 手を、繋ぎたいな。そう思ったその時でした。

「来たぞーーーーー!!」
 泣きそうな顔になりながら、電話に出ます。そして、今にも泣きそうな、男の人の声が。

「あ、ごめん。でもさ、緊急だったんだよ。な、マジで。いいじゃん。今度大輔に言って、倫子ちゃんのぱんつ盗って来させるからさぁ」

『本当!?』

 あ、納得したんですね。交渉は成立したみたいで、笑顔で電話を切りました。「よかったぁ。あ、今の俺の兄貴ね。大輔のおかんにベタ惚れなんだよね」


「え?え…あ、そう、なんですか」

 なんだか、聞いてはいけないような気がしたので、流しました。でも、シローさんは小さく溜息をついて、なんだか寂しそうな顔になりました。

「…笑っちゃうんだわ。ガキの頃からずーっと、恥ずかしげも無く好きだ好きだ言いやがって、すっげ恥ずかしかった。その内、ああいう風にストレートに感情出すの、カッコ悪いって思うようになって、すっげ損ばっかしてた。周りにもスカした奴だって思われるようになったんだ」

 その気持ちは、わかります。私も、似た所はありますから。
 迷惑になるから。わがまま言うと、他人に嫌われちゃうから。

 恥ずかしい、というよりも、人の評価を気にしてばかりいました。今も、それは変わらないような気がします。だから、さくらちゃんが羨ましいです。ストレートに、思った事を言える、さくらちゃんが。

「抑えるのと、我慢するのと、意地張るのの区別が付かなくなってた俺に、大輔が素直になる事の大切さ教えてくれたんだよ。そしたら楽になった。だから、今の俺はこんなんになっちゃった」

 おどけてみせるシローさん。確かに、さっきも…まぁ、多少ストレートにも程がある気はしましたが…

「だから、染井さんにも素直になって欲しいしそろそろ本名教えろよ!!」

 …優しさと、本音が出ましたね。実は私、自分の名前が嫌いなんです。ですから、せめてこの人には苗字で呼んで欲しいんですけども…

「もう少しだけ、苗字で呼んでいて下さい。良かったら、私も苗字で呼びますし」

 そう言うと、シローさんは複雑な顔になります。どうしたんですか、と聞くと、シローさんは溜息をつきました。

「あのさ、俺、シローって名前じゃねぇんだよ。孝一っていうんだけど」
「え!?」


 いきなりのカミングアウトに、私は眼を見開きます。え、だって、ダイスケさんが最初にシローさんって…

「それ、俺のあだ名。苗字は岸部。OK牧場?」
「…OK牧場…」
 納得しました…だからシローさんなんですね。

「じゃあ、引き続きシローさんで…」
「なんで!?」 
 必要以上に驚くシローさん。いえ、私の中で定着してしまったからなんですけども。


4

「冗談です。ちゃんと普通に呼びますよ、岸部さん」

「…出来れば、名前がいいっす」
「はい、シローさん」
「っ…」

 ぎり、と私の肩を掴んで泣きそうな顔をします。そんなに嫌なら、何故最初に訂正しなかったんでしょうか。

「え?ああ、それはさ。間違ってるけど、いきなり指摘したら気分悪くなるかなって。ガキの頃からのあだ名だから今更いいかと思ったけど、でも染井さんには」

 言って、シローさんの…孝一さんの顔が、赤くなります。そして、私の手を握ります。

「どうしたんですか?」
「え、あ…いや、あの、綺麗だなって、思って」

 小さい頃から、その手の事、よく言われました。そう言われて悪い気はしませんが、ベタベタ触ったり、何度も同じように言われたり、嫌な眼でみたり、そんな必要無いのに、さくらちゃんと比べたりして、桜ちゃんを傷付けたり。

正直、もう嫌になっていました。

 けど、この人から言われた言葉は、とても嬉しかったです。


 暫くは、黙ったまま手を繋いでいました。まるで中学生のようでしたが、幸せでした。時折顔を見合わせて笑い、本当に幸せだな、と感じました。

「あのさ、週末おヒマ?」
 終末は…はい。さくらちゃんも旅行に行きますし、予定は何ひとつありません。「おヒマです」

「…じゃさ、あの、出掛けよっか。俺さ、染井さんに見せたい所あるんだ。まだ1人しか見せてない場所。すっげ、綺麗な所、あるんだ」

 最初の、女の人と話し慣れているような雰囲気は、微塵もありません。ちょっとたどたどしく話し、縋るような眼で私を見ました。

 断る理由なんか、ありませんでした。


 そして当日。
 私は車があるので、車で行く事にしました。

 まずは軽くお腹に入れましょうか、という事になって、出発しようとした瞬間、聞き覚えのある着信メロディが鳴りました。確か、初めて会った時も…って、まさか!?

『岸部ぇーーーーーーーっっ!!』
「よっ」
 予測していたのか、耳から電話を離して応対する孝一さん。

「どうしたの?そんな怒って」
 この間とは違い、至って涼しい顔をしています。

『どうもこうもあるか!お前、なんで忘れられんの!?今日は―――』


「あ、悪い。でも今日行けないよ。彼女と旅行だもん」
 旅行、なんでしょうか。日帰りだと思っていたのですが。

『…はぁ!?』
「だから、彼女と旅行に行くんだよ。言ってなかったっけ?」
『聞いてねぇーー!!』

 こっちまで聞こえて来ます。相手の方の怒りも、伝わって来ます。でも、やっぱり涼しい顔です。私は蒼褪めて帰ろうかな、と後退りします。今なら、多分間に合いますよ?送って行ってあげますから…

 でも、孝一さんは後ず去る私を見て焦ったように。

「悪かったよ、今度埋め合わせするからさ…あ、待ってよ染井さんっ…んじゃなっ」
 半ば一方的に、電話を切ってしまいました。

「いいんですか?」
 車を運転しながら、私は訊ねました。

「いいの。ていうか、忘れてた訳じゃねぇから。ほら、聞こえたっしょ?声のでかい女と、よく話に出てた大輔っての。そいつらと旅行だったんだ」

 とても美味しそうにバナナ(通算3本目です)を食べながら、言います。忘れてないのに…もしかして、私のせいですか?

「よくないですよ、そんなの」
 私は嗜めます。けれど、孝一さんは全く動じず。

「いいのいいの。あのさ、実はそいつと大輔ってお互い好き同士だと思うんだよ。よく2人で遊んでたりするし。でも付き合ってる訳じゃ無さそうだし、じゃあこれ機会にくっつけって思ってさ。俺最初からバックれようと思ってたんだ」

 いっしっしっし、と笑う。ああ、そういう事だったんですか。

「…俺、邪魔なのかなって思って」


 笑ったと思ったら、少し暗い顔になってしまいました。拗ねてしまったのでしょうか。でも。

「私が…いますから」
 恥ずかしいけれど、そう言いたくて、言ってしまいました。
 ありがと、と小さく言ってくれました。

 孝一さんのナビで走ること数時間。その間に美味しいごはんを食べたり、綺麗な場所で寛いだり、物凄く楽しい時間を過ごしました。

 けれど、目的地にはまだまだです。このままでは、今日の内に帰れませんが。

「…え、日帰りじゃねぇよ?ちゃんと旅館も予約してるし…言ってなかった」
 涼しい顔で、さらっと言ってくれました。

「聞いていません…」
 私は脱力しながら反論しました。

「嫌?」
「…嫌じゃ、ありませんけど…」
 何せ、いきなりですから。私は溜息をついて心を決めます。どうせ家に帰っても独りです。

「まぁ、わかりました…予約もしてあるというなら…」
 折れてしまいました。

「ここ」

 とりあえず旅館に着いて、部屋に荷物を置いてから、その場所まで歩いて行きました。山奥にぽつん、と建った旅館から更に奥へ。森の中を歩いて、気が付けば夕日が差して来て…

「っ…うわぁ」


 森を抜けて、高台から町と海が一望出来る、素敵な場所でした。

 オレンジに染まる海や町並みが本当に綺麗で、私はポカンと口を開けたまま立ち尽くすしか出来ませんでした。

「俺、これ見てるとマジで色んな事どーでも良くなんだよね。俺がマジで駄目になりそうになった時、大輔が連れて来てくれたんだわ。ここら付近、あいつの生まれた土地だから」

 ぺたん、と座って海の方を見る孝一さん。私も隣に座ります。

 この人と、たくさん喋ったりするのも楽しいですけど、こうやってただ側にいるだけの時間は、なんだかとても幸せな気分になります。

「―――ありがとうございます、こんな素敵な場所に連れて来てくれて」

 私は、なんだか泣きそうになりながらそう言いました。幸せすぎて、切なくなるくらいになってしまって、私は孝一さんにしがみ付きました。

「うん、そう言ってくれると俺も嬉しい」
 私の身体を抱いてくれる孝一さん。本当に、幸せです。

 …貴方の事が、好きです。

 暗くなるまでそこにいて、写真を撮ってから旅館に戻りました。

 ごはんを食べて、お風呂に入って、テレビを見たりお話をしたり、楽しい時間はあっという間に過ぎてしまいました。

「そろそろ、寝る時間ですね」

 時計を見て、そんなに夜更かしもしていられないと思いました。が、そう言うと、急に私を抱き締めました。どうしたんでしょうか。

「あの、孝一さん?どうしたんですか?」
「どっ…どうしたって言われても…え、この状況でそれ言うの!?」

 信じらんねぇ、と呟いて、真正面から私を見据えます。物凄く真剣な眼差しで、射抜かれてしまいそうです。


「…俺、染井さんが欲しいんですけど」
 …欲しい?欲しいって、どういう、あ、つまり私とセッ…
 ずざざざざざざっっ!!

「えええええっっ!?」
 不満気な声の孝一さん。私は真っ赤になって、かなりの速度で(座ったまま)後退りました。

「なっ、ななっ、え…ええええっっ!?」

 どっ、どうしましょう!え、私、私そんな事全然考えていませんでした!!更に後退ると、手に固い感触。私の携帯電話。

「ちょっ…しょ、少々お待ちくださいっっ!!」

 電話を引っ掴んで、廊下と部屋の間の…つまりは、下駄箱のある狭い狭い場所で、私は電話を掛けます。

 さくらちゃん、私、どうすればいいんですか。どうしよう。さくらちゃん、さくらちゃん……!
 中々出ません。さくらちゃん、さくらちゃん助けて。私、私…

『桜花ちゃんっ!?』
 さくらちゃんの声。物凄く、焦ったような声。

「さ、さくらちゃんっ!?あの、どうしよう、私、大変ですっ」
 声に出すと、私の方が焦っています。いえ、本当に焦っているのですが。

「前から何故か私に言い寄って来る人がいるって…言ってましたよね。あの、今、いるんです。一緒に旅行に行って、あの、私が欲しいって…」

 身体中が、熱くなります。自分で言って、物凄く恥ずかしいです。しかも、言い方がなんか、嫌です。整理が出来ません。さくらちゃんも、なんだか驚いています。


『ええええっっ!?ちょっ、え、旅行!?なんで!?嫌がってなかった?もしかして拉致!?拉致られたの!?』

「ちっ、違います!あの、私、好きです。その人の事好きで、それで一緒に旅行に行きました。でも、まさか、まさかこんな事になるなんて…」

『まさかって…嘘、だって、男と女で旅行って…しかも、好かれてるのわかってて、それ!?』

 さくらちゃんの声が、怖くなります。そして、暫く無言でいて。

『桜花ちゃん…』
「はい…」

『犯されろ』
 ぷつっ。つー、つー、つー。

「さっ…さくらちゃんっ!?」
 何度リダイヤルしても繋がりません。
 嫌われた…?物凄く、呆れられましたよね…
 私は呆然としながらへたってしまいます。

「…お話、済んだ?」
 戸を開けて、やっぱり少し怒っているような口調の孝一さん。

「さくらちゃんとやらに怒られちゃったんだ」
「うっ…」

 聞こえてしまいましたよね、結構大きな声、出してしまいましたしね…私は項垂れてしまいました。

「私、馬鹿です…よく考えるべきだったんです。軽率でした…」

「そうだな、まぁ、アンタ日帰りだって勘違いもしてたし、まぁ、同じ部屋なの嫌がらなかったからOKかと思ってたんだよ…」


5

 ごめん、と謝ると、私の手を引いて部屋に戻ります。私は泣きながらごめんなさい、を繰り返すばかりで、終いにはぺしん、と叩かれてしまいました。

「そんな謝るなっつの。俺だって『やれねぇ女に用は無ぇ!!』なんて言うつもり無いし、それでアンタを嫌いになったりはしねぇから。な?ほら…」

 キスをしながら、私を抱き締めてくれました。

 孝一さんは、優しい人です。いつも私を気遣ってくれて、いつも笑顔でいてくれて。日に日に『好き』という気持ちが膨れ上がっているんです。

 さっきまで考えてもいませんでしたが…別に、身体を許したくない訳では無いです。今は、寧ろ求めてくれる事が、嬉しいくらいなんです。こんな私なんかを、欲しがってくれるこの人が、とても愛しいのに。

「あの…孝一さん」
「なに」

 さっきの、とても真剣な顔の孝一さんみたいになっていたと思います。私は孝一さんを見据えて、言いました。

「…いいですよ」

 恥ずかしいです。物凄く恥ずかしいです。でも、それでも言いたかったんです。「え、え?なんで、さっき物凄い動きしてたじゃん。俺マジでびびったよ、あの動き。ゴキブリかと思った」

「ゴキブリって…」
 よーく考えて物凄く酷い物言いだと思うんですけど…まぁ、気にしません。

「二択です。しますか、しませんか」
「しますっ!!」
「後、私処女ですけど」
「そー…れはなんとなくわかってました」

 見破られてましたか…


「…でも、なんで?」
 電気を消して、布団の上に2人転がってから、そんな事を聞いて来ました。

「なんでと言われましても…好きですから。後、私も大人です。自分で考えて出した結果ですから、貴方に嫌われたくないから、というような投げ遣りな姿勢でもありません…でも、怖いのはありますね」

 浴衣を脱がされると、えっ、という顔になる孝一さん。

「すいません、日帰りだと思っていたので、下着類は洗ってしまったんです」
 嫌ですよね、おばさん臭いなぁ、と自分でも思います。

「あ、いや、謝る必要は無いんだけど、びっくりした」
「私も、びっくりすると思いました。すいません。後、胸が小さくて」
 私の胸はAカップです。さくらちゃんのEカップの胸を見ると、物凄く羨ましくなります。

「ゃっ…」
 片手で、孝一さんが私の胸を触りました。孝一さんの手に納まるサイズなのが悲しいですね。

「胸、小さくても俺は気にしねぇよ。俺はどっちかと言えば尻フェチだから」

 キスをして、私を慰めようとしてくれているのでしょうか、おでこをおでこにくっつけて、ぐりぐりして来ました。

「孝一さん…嬉しいですけど複雑です」

 私も何かした方がいいのでしょうか、おでこを離した隙に、キスをしました。「…まぁ、胸小さい方が感じやすいとも言うし、人それぞれだし。俺が好きなのは染井さんだから」

「あっ、ん…んっ」 

 両手で胸を触られて、思わず声が出てしまいました。声を出すまいとしていたら、出さない方がいい、と言われました。恥ずかしいんですけどね…


「あっ…!」
 両方の乳首を同時に摘まれました。びっくりするくらい切ない声が、出てしまいました。

「やっぱ、感じやすいのな」
 意地悪く、囁きました。

 乳首を弄られながら、身体中を撫で回されます。岸部さんの手が私の身体を這いまわり、急に足の付け根の辺りを触ります。

「やんっ…あ、あっ!」

 片手で、私の脚を割ろうとします。恥ずかしくて、力を入れて開かせないようにしましたが…遅かったです。

「いやぁ…恥ずかしいです…」
「だろうね」
 さらりと言ってくれました。

「―――ああっ!」
 開いた脚のせいで、丸見えになっているでしょう、私の…あそこに、つっ、と指が触れました。

「あ、もう…」

 笑って、指を一本だけ中に…入れました。私のあそこは、湿った音を立てて、孝一さんの指を易々と受け入れて行きました。

 孝一さんの指が、私の中で動きます。その度にいやらしい音がして、お尻を濡らしています。

「やですっ…あ、あっ…」

 指が、2本に増えました。一瞬だけ痛かったですけど、すぐによくなりました。 きっと、今の私は物凄くいやらしいんでしょう。孝一さんの前で脚を拡げて、声を上げて、こんなにも感じて。

「もっとして欲しい?」


「っ…!」

 意地悪く、聞いて来ます。酷い人です。そんなの、わかっているのに。指を止めて、私の返答を待っているみたいです。私は顔から火が出そうな気持ちになりながら、小さく頷きました。

 それなのに、孝一さんは。

「じゃ、そろそろ本名教えてよ。でないと、いかせてあげねぇよ」
「…意地悪…です…」

 私は孝一さんを睨みます。でも、本当は隠す必要なんか無いものを隠しているだけの話ですから…

「どうすんの?そめ―――」
「桜花…です…あの、桜の花、と書いて…桜花…」

 少し、どうかしていたかもしれません。指が中に入ったままの孝一さんの腕を掴んで、もっと、といいた気に動かしてしまいました。

「っ…エロいっすね…」
「言わない…で…あっ!あ、ひゃっ…」

 再び、指が動き出しました。さっきよりも大きな音がして、いつの間にか自分で腰を動かしていました。もっと、欲しいです。孝一さんに、もっと滅茶苦茶にして欲しいです。

 言葉に出そうとは思わないのですが、出そうと思っても、今の私にはいやらしい喘ぎ声しか出ません。

「あっ…あ、あっ、や、いいです、いっ…ああんっ!!」

 私の中が、弾けたようになって、びくびくと収縮しています。孝一さんの指を締め付けて、もっと、というようにまた腰が動いていて、そんな自分をいやらしいとも思わず更に快感を求めていました。

 月明かりの中で、孝一さんが指を舐めます。そしてすぐに私の口にその指を寄せて、含ませます。


「これ、桜花さんの味」
 私はヌルヌルした指を舐めました。自分の味、と言われてもイマイチピンと来ませんが…

「綺麗だわ、桜花さんって…名前も、アンタ自身も」

「ぷは…ん、でも、私…仰々しくて、好きじゃなくて、私も本当は、さくらちゃんの名前の方が羨ましくて…」

「ああ、被ってるね、名前。でも、いいじゃん。染井って苗字と合ってるじゃん、2人とも」

 本当は、さくらちゃんは違うんですけどね…今は、何故かまた指を舐めたくなってお喋りを中断してしまいます。

「なに、しゃぶるの好きなの?」

 何故か物凄く嬉しそうに言います。わかりません。でも、今はそうしたくて。「ま、それは追い追いか。ちょっと指放してくれる?」

 言われた通りにすると、寝転がっている私に背を向けて何かごそごそしています。手持ち無沙汰で、自分の髪を弄っていると、また孝一さんが覆い被さって来ました。

「本番、いい?」
「…はい」

 少し躊躇ってしまいましたが、ここで断るのも恐ろしい話です。孝一さんはまた私の脚を開きました。この格好、物凄く恥ずかしいんですけどね。

「あ…」

 入口に、何かが当たります。何かって、わかっているんですけども。それが、ゆっくりと中に入って来ます。

「あっ…あ、こわ…い」

 自然に涙が浮かんで、孝一さんにしがみ付きます。大丈夫、と呟いてキスして、抱き締めてくれました。


 まだ、そんなに痛くは無いです。けれど、半分くらい?ですか?進んだ所で、何かが引っ掛かるような感触がしました。

「桜花さん…」
 ぎゅっ、と痛いくらいに抱き締めてきました。それと同時に。

「ひっ―――!」

 引っ掛かりを断ち切るように、更に孝一さんが入って来ました。涙がまた出て、思わず背中に爪を立ててしまいます。

「いっ…いぁっ、あっ…孝一さぁんっ…」

 痛くて、怖くて、何度も名前を呼びます。出来るだけ辛くないように動かないでいてくれるのですが、それでも慣れるまで時間が掛かりました。

「孝一さんっ、孝一…さ…」

 声が掠れて、涙が溢れて。孝一さんは私の頭を撫でたり、キスしたりして落ち着かせようとしてくれました。ぽつ、と『好きです』と呟きました。孝一さんは『俺も』と答えてくれました。

 暫くは無言で、お互いきつく抱き合ったままでいました。その内、痛いというよりも痺れる、くらいの感覚になって、少しずつ楽になって来ました。

「…孝一さん、あの、私もう大丈夫ですから…あの、動いていいですよ」
 恥ずかしいですけど、自己申告しない限りどうにもならないと思ったので、そう言いました。

「いいの?」
「はい、大丈夫です。あの、孝一さんにも、気持ちよくなって欲しいですから…」

 さっきの指より何倍も太いものが身体中をいっぱいにしてしまっているみたいで、それが…動いたりするのは恐怖感もありましたけど。でも、それでも孝一さんにしてもらいたくて…

「んっ…んっ!」


6

 ゆっくり、動き始めました。ちょっとずつ抜いて行って、そしてまた入って来ます。次第にまた水音がし、痛みが薄れた分本当に『孝一さんとこういう事をしている』という事実を実感してしまいます。

「ぁうっ…うっ…」

 気持ちのいい所も一緒に擦られて、私はさっきより感じる、とは言えませんが、また声が出て来ました。そこを弄られると、また孝一さんを締め付けるようにしてしまいます。

 まだ少し痛くて、痺れていますけど、少しだけ気持ち良くて、えっちな事をしている、という事実が少しずつ快感を増して行って…

「孝一さんっ…あっ、あん、あっ…」

 ちょっとずつ、動きが速くなって行きます。痛みが少しだけ増えましたが、気持ちよさも比例して、私はまた声を上げます。

「あ、あっ、はあっ…あっ…」

 ちょっとずつ、ちょっとずつ快感が増して行きます。でも、しがみついた孝一さんが、なんだか鳥肌が立ったみたいに震えて―――

「っ…!」
「ぁ…」 
 杭を抜かれるような感じで、孝一さんが私の中から引き抜かれました。

 孝一さんが離れて、ひんやりした夜の空気に身体を晒されると、急にまた下肢が痛んで来ました。じりじりとした、鈍い痛みです。

「いたっ…」
 動こうとしたら、ズキズキと痛んでつい声を上げてしまいました。

「…ごめん」
 一緒の布団で、裸のまま抱き合って、孝一さんは言いました。

「いえ、初めてですから。それに私は初めてが孝一さんで良かったと思いますよ」


 それは、本当です。後悔もしていません。

「…そ?そう言ってくれると俺もすっげ嬉しい」
 私をもっと強く抱いて、言いました。私もぎゅっ、とやり返しました。

「好きだよ、桜花さん」
「出来れば染井で」
「…好きだよ、染井さん」
「はい」

 
 朝になったら、また電話をします。
 謝って、仲直りをして、私の恋人を紹介したいです。
 喜んでくれますか?きっと、喜んでくれますよね。
 大好きなさくらちゃん。世界で一番大好きなさくらちゃん。

 私の、世界で4番目に大好きな孝一さん(同率1位がさくらちゃんと並んで父・母なので)の事、一杯お話したいです。


 ―――朝。

 私と孝一さんは携帯電話の音で眼が覚めました。そしてその音は、さくらちゃん専用のものでしたから、私はすぐに取りました。

「さくらちゃんっ!」

『あ、桜花ちゃん!大丈夫?ごめん、後で冷静になったら…あのさ、本当、ごめん。私もあの時テンパってて…ごめんっ』

 泣きそうな声で謝るさくらちゃん。ふと隣を見ると、孝一さんは首を傾げています。そして『まさか…』と呟いています。

「…あの、昨日のことですけど、大丈夫です。私、その人の事、好きです。だから、あの時切ってくれて、結果は良かったんだと思います」


『あ、へぇ…あ、そうなんだ。じゃあ良かったね』
 それを聞いて、なんとか落ち着いた感じの声に戻ってくれました。

「…?」
 つんつん、と突付かれて私は孝一さんの方を見ます。そして微妙な顔をしながら、言いました。

「あのさ、もしかして、アンタの言うさくらちゃんって…『吉野さくら』って言わない?」

 え?それはどういう―――

「え、そうですよ。知り合いなんですか?」
 答えると、苦笑しました。そしてあーあ、と溜息をつく。

「知ってるも何も…大輔の好きな奴ってそのさく…吉野の事だよ。うっわ、色々二度手間?」

 もう笑うしかない、といった感じで孝一さんは笑い出しました。

『え、どうしたの?なんかあったの?』

 …なんという偶然でしょうか。

 私の好きな人と、さくらちゃんの好きな人は、友達同士でした。となると、さくらちゃんはあのテンションが低くて悪戯好きのダイスケさんの事が好きだったんですか。

 それは、物凄く嬉しい事でした。これから先、とても楽しい事になるのがわかりますから。4人で遊んだり、出来るかもしれません。Wデートです。学生時代から憧れていた事が出来るかもしれません。楽しいです。私は嬉々としてさくらちゃんに報告しました。

「あの、私が好きになった人は、さくらちゃんの知ってる人なんです!さくらちゃんのお友達の、岸部孝一さんって人なんです!!」


 私は、さくらちゃんの驚く反応が楽しみです、返答を待ちました。けれど、返答は帰って来ません。変わりに聞こえて来たのは―――

 ばたん、と、倒れるような音と『さくらさんっ!?』と、慌てたような男の人の声です。そして。

『ちょっ…えーと、桜花さん…でしたっけ?貴方、今この人に何言ったんですか?』

 初めて声を聞いた時より、若干怒ったような声です。どうしたんでしょうか?

「あ、すいません…私です。前、岸部孝一さんにお電話した時、少しだけお話しましたよね…申し送れました。孝一さんとお付き合いさせて貰っています、染井桜花と申します」

 一瞬、息が詰まったような感じで、何も返って来ませんでした。でも、あー、と納得してくれたのか、初めての時のテンションで『あー、そうですかぁ』と納得してくれたようでした。

「桜花さん、出たの大輔?なら話していい?」
『あ、はい。すいません、孝一さんに代わります』

 そう言って、電話を渡します。ちょっとあっち行ってて、と手で促されたので、ついでですから服を着ようと思って離れました。

 ダイスケさんの声は聞こえず、部屋に孝一さんの声だけがします。

「…ごめん、黙ってて。自信なかったんだわ。俺、顔から好きになるなんて事今まで無かったから…なんか恥ずかしくて」

 もしかして、私についてですか?

 どうやらずっと黙っていたようです。あ、だから物凄くびっくりしたんでしょうか。暫く孝一さんは頷くだけでした。

「あ、そう…そうか。うん、今は全部好き。え、マジ!?マジで!?すっげー!!」


 どういう会話なんでしょうか…

「あ、後…唐突だけど、俺と兄貴、どっち好き?」

 …本当に、どういう事でしょうか…

 また暫く頷くだけです。

「そっか…そうだよな。悪い、変な事聞いて。じゃ、またな」
 そう言うと、電話を切って私に返してくれました。

「あのさ、桜花さん」
 不意に、私をじっとみつめました。なんでしょう、ドキドキします。

「はい」
「あのさ、ひとつだけ言っておきたいんだ」
「なんでしょう」
 ぎゅっ、と私を抱き締め、そして言いました。

「俺、初めて会った時から貴方の顔が一番好きです」
 …はぁ。
 脳裏に、さくらちゃんの言葉が浮かびました。顔、ですか。

「あまり嬉しくないですけど、褒め言葉として受け取っておきます…」

「あ、最初は顔だったけど、今は全部好きよ?アンタの優しい性格も、ほわほわした雰囲気も、どんくさい所も、割合エロいのも、結構馬鹿なのも。でも一番何、って聞かれたら…顔だから。自信持って俺、言えるよ」

 なんでしょう、この微妙なまでの嬉しくなさって…

「まぁ…私も…好きですよ。孝一さんのあだ名」
「そっち!?」
 散々言っておきながら、自分ので驚かないで下さい…


 結局、お互い吹き出してしまいました。 
 きっと、これからもっと幸せになれるのでしょう。素敵な毎日が待っているのでしょう。
 帰ったら、さくらちゃんと一杯、お話したいです。


「俺、世界で1番、桜花さんが好きだよ」

 帰りの運転は(免許を持っているのは流石に確認しました)孝一さん。運転しながら、ふとそんな事を言ってくれました。けれど、ごめんなさい。

「私は、さくらちゃんとお父さんとお母さんが同率1位なので、世界で4番目に孝一さんが好きです」

「っ…嬉し……くねぇ…」
 思い切り脱力した声がしましたが、気にはしない事にしました。
 多分、その順位が変わる事、無いと思いますから…

       終