? a Fairy is in the rice-cooker.There is Nothing in my house but gerbage.

作・ひで

 

 朝(といっても、ホントウは昼ごろだが)、僕は炊飯ジャーの前で、柄にもなく

感動していた。なんの前触れもなく、自らに舞い下りた真の奇跡に、目を潤ませて

いたのだ。

 朝(しつこいようだが、ホントウは昼ごろ)起きて、昨日の夜セットした米以外

には何も食い物がないことに気づき、近所のコンビニでコロッケとコーンコロッケ

とイシイのハンバーグを買ってきて、イシイのハンバーグを電子レンジにかけなが

ら、ジャーの中にいる炊飯の妖精が僕のために炊いてくれた米を、洗い物が面倒だ

からと言う理由でこれ以外は使わないと決めた皿に盛っていた僕と、僕の炊飯ジャ

ーに起きた奇跡。

 それは、あまりにもまずい米が炊けたコトだった。

 米を皿に盛りながら、電子レンジの小人が僕のためにハンバーグを温めてくれて

いるあいだ、電子レンジの小人の仕事の遅さを待ちきれず、三色フリカケを米に振

り掛けていた。

 三色かけるといくらかクドイんじゃないかという気がして、フリカケを振り掛け

るのを二色で止めて、それでもまだ電子レンジの小人の仕事が終わらないので、フ

リカケを振り掛けた米を先割れスプーン(念のため書いておくと、先割れスプーン

を使っているのも、洗い物が面倒だからだ。昔、色々批判をされているのを聞いた

ことがあるが、先割れスプーンはいろんな意味で便利でよい。さらに余談をすると、

我が家には、先割れスプーンが二〇本ぐらいある。理由は不明だが、家にこれがあ

るのは、僕にそれを使えという神託だと解釈して、あまり疑問を持たないでそれを

使っている。別に、二〇本全部使っているというわけではなく、実際に使っている

のはそのうちの一本か二本なのだが、せっかくの授かりモノを片っ端から汚すのも

なんか気が引けるからそうしてるだけだ。まぁ、全体的に、なんとなく理由は通っ

ているので、深く追求しないことにしている)で、すくって、食べたのだ。

 口に入れた瞬間、すでにまずかった。

 噛みしめると、一噛みごとにさらにまずさが増進した。

 噛めば噛むほどどんどんまずくなってゆくので、その非常識なまずさに驚いて、

うっかり飲み込んでしまった。

 念のため書いておくと、胃の中に入ってもまずかった。

 こうなるともう、味覚がどうのこうのという話ではない。

 とにかくまずいのだ。皿に盛った米を良く見てみたら、「まずいオーラ(紫色)」

が吹き出ていた。なるほど、まずいはずだ。

 そしてその、あまりのまずさに感動して、大の大人が思わず涙を流してしまった

のだ。まずかったから泣いたのではない(と思う、たぶん)。

 米を炊いていると、ごく稀に、僕の場合は一年に一回ぐらい(イッパンのゴカテ

イ。いや、茶化してはいけない。一般のご家庭に比べて、僕が米を炊く割合は非常

に低い。

だいたい四分の一ぐらいだと思う。だから、一般のご家庭では、三ヶ月に一回ぐら

い)非常にまずい米が炊けてしまうことがある。昨日と同じ米を、昨日と同じ水加

減で、昨日と同じ炊飯ジャーで炊いても、抜群にまずい米が炊けるのだ。もしかし

たら、炊飯の妖精が入れ替わっているのかもしれない。炊飯の妖精がいることはわ

かっているのだけれど、見たことはないから、入れ替わってもわからないし。

 しかしながら、今回炊けたこのまずい米は、そういう普通のまずい米のまずさを

遥かに超越していた。普通のまずい米は、まずいオーラ(紫色)なんて出さないか

ら、これは明らかだ。

しかし、まずいオーラ(紫色)が出るほどのまずい米だ。僕はそれを、なにかの

予兆であると判断した。



 さしあたり他に喰うモノがないので、まずいオーラ(紫色)を出す凄くまずい米

を喰う算段をした。とりあえず、このままじゃ喰えないから。

 ガスレンジの上に中華鍋が偶然にも乗っていたので、炒めてチャーハンにするこ

とにした。

 プレーンチャーハンでは美味しくなかろうと思ったので、まずい米と、それだけ

まずい米が出来上がるという奇跡に僕が感動しているうちに電子レンジの小人がい

い仕事をして温め終わったイシイのハンバーグも一緒に入れてみた。玉子はないの

で、入れない。塩胡椒をして、味をととのえてみはしたが、ここで重大な問題にぶ

つかった。玉子が入ってなくても、チャーハンと呼ぶのだろうか?

 まぁ、チャーハンじゃなくても食べれればいいや、と思いなおして、どんどん炒

める。炒めているうちに、まずいオーラ(紫色)が薄れてゆくので、僕は安心した。

 コロッケにソースをかけて、チャーハン(違うかもしれないのだが)を最初の皿

に盛りなおして、冷たい麦茶をマグカップ(洗うのが面倒だという理由で、使うコ

ップも制限している。別に保温を期待してマグカップを使っているワケではないこ

とを銘記しておく)にそそいで、食卓(兼勉強机、兼物置。ただし、昨日、もしか

したら一昨日だったかもしれないが、宇宙人が僕の部屋に来たので、机の上が片付いて

いた。そのおかげで今日に限って、物置の役目は果たされていなかった)に移動した。

 コロッケとコーンコロッケはうまかった。

 チャーハン(違うかもしれないのだが)に入っていたハンバーグも、うまかった。

 けど、米は相変わらずまずかった。

 訂正。

 米はまた別の味わいで、最初と同じぐらいものすごくまずかった。

 良く見ると、まずいオーラ(茶色)が見える。まずいオーラ(紫色)は消えたの

ではなく、まずいオーラ(茶色)に変わっただけのようだ。まずいオーラ(茶色)

は、偶然イシイのハンバーグ色に似ていたので、保護色になって見えにくくなって

いただけだったらしい。

 やはり、このものすごくまずい米はなにかの啓示なのだ、と思いながら、半分ま

で喰った。考え事をしていたので、味をそれほど感じなくてすんだから、喰うこと

ができたのだ。

 そこまで喰ったところで、箸が進まなくなった。

 訂正。先割れスプーンが進まなくなった。

 僕はものすごくまずいモノを喰うのが苦手なので、考え事が終わってしまうと、

口に入れようという気が起きなくなってしまったのだ。

 残すともったいないので、今度はお茶漬けにしてみることにした。

 ただ、イシイのハンバーグが入ったお茶漬けはあんまり美味しくないんじゃない

かという気がしたので、チャーハン(違うかもしれないのだが)の中のイシイのハ

ンバーグだけを先に片付けた。

イシイのハンバーグは、大変おいしゅうございました。



 お茶漬けにしようとは思ったモノの、そういえば我が家には永谷園のお茶漬けの

素がないことに気が付いた。代替案として緑茶でもいいのだが、残念なことにそれ

もない。

 どうしようかなと思って、目の前にあるマグカップに入っている麦茶を見ていて

閃いた。まずいオーラ(茶色)のまずさを、同じ色の水を使って打ち消すのである。

 そういえば、現代医学が発達する以前は、ほとんど同じような発想で医療が行わ

れていたそうだ。いや、もしかしたら反対の色のモノで打ち消すんだったかもしれ

ない。

 でもいまは、迷信の入り込む余地のない現代社会なワケだし、ぷよぷよだって同

じ色をそろえれば消えるのだ。確か、ドクターマリオもそうだった。だったら、同

じ色の方が正しいような気がする。

 そんなわけで、魔術と科学の融合をスローガンにして、イシイのハンバーグの抜

けたチャーハン(違うかもしれないのだが)に、マグカップの中の麦茶をかけてみ

た。

 お茶が冷たいのがお茶漬けとしては難点かもしれないが、我が家には湯沸かしの

妖精がいる電気ポットがないので、いちいち湯を沸かすのも面倒なのだ。沸かして

しまいさえすれば、煮出し用の麦茶のティーバッグはあるのだが、別にそこまで凝

る必要はない。

 マグカップに入ってた分では麦茶の量が足りなかったので、冷蔵庫の中に入って

いた麦茶のペットボトル(ペットボトルは、確かに市販の麦茶のモノだが、内容は

自分の家でティーバッグから煮出した麦茶が入っている)を持ってきて、ものすご

くまずい米がひたひたになるまで注ぎ足した。僕はこれでも几帳面な方なので、冷

蔵庫までを往復するぐらいの手間は厭わない。

 麦茶とものすごくまずい米の入った皿を、先割れスプーンでサクサクとかき混ぜ

る。

お茶漬けの時に、お湯を入れてからサクサクかき混ぜてお米を一粒づつバラバラに

して行く感覚が、僕はとても好きだ。冷たい麦茶でもだいたい同じ感覚を味わえた

ので、なんだかいきなり幸せになってしまった。

 混ぜているうちに、麦茶の上にチャーハン(違うかもしれないのだが)時代の名

残である油と、フリカケご飯時代の名残の海苔が浮いてきた。なんだか汚いような

気がしないでもなかったが、両方とも喰えるモノなので、気にしなければなんでも

ない。それどころか、これはお茶漬け(茶色だけど)なんだから、海苔が浮かんで

いるのは極めて当たり前でさえあるではないか。

 僕は自分が媒介となった、美しい予定調和にまたしても感動した。

 そして、チャーハン(違うかもしれないのだが)時代の教訓を生かして、感動が

冷めないうちに喰ってしまおうと思って、お茶漬けをサラサラとかき込んだ。

 感動だけでなく、かき混ぜたときの幸せも手伝って、ものすごくまずい米は、僕

のお腹の中に収まった。

 最後に、ずずずっと皿の中にたまった麦茶をすする。

 ものすごくまずい米の呪いは、これで解けた。



 最後に残った問題が、実はひとつだけある。

別に、洗い物が面倒だと言いたいのではない。さっきも言ったように、僕はこれ

でも几帳面なのだ。しなければいけない洗い物を面倒に思うほど、ものぐさでは無

いつもりだ。

実は、昨日の夜にセットした米は、二合だった。そして、いま食べた米は一合分

である。

 つまり、ものすごくまずい米は、あと一合残っている。

 せっかくの奇跡のまずい米なのに、捨てるワケにも行かない。

 きっと全部食べることになるのだろう。

 どうして奇跡が、あまり起きないかが理解できた気がする。

 奇跡は感動を呼びもするが、後始末がやっかいだからだ。

 いきなり世界の真理を手に入れてしまった。



 まずい米の予兆は、このこと示していたのだと考えると、すごく納得がいく。

 つまり、こういうことだ。

 神は天にいまし、世はなべて事もなし。

 訂正。

 妖精さんは炊飯ジャーにいまし、僕の家にはガラクタ以外に何もない。(注:ガ

ラクタには、世界の真理も含む)