金本の休日
金本の朝は早い。
彼は決まった時間に起きる。
時刻は朝7:30
彼を起こすのは、矢沢永吉のシャウト。
彼は目覚めると同時に半身を起こし、ベッドの左手のカーテンを引き開ける。
朝の光に照らされる室内、あまりにも整理されたその部屋は、ともすれば殺風
景に見えそうだが、壁を彩るポスターや、試合用のガウン,ドクロのマスクを
かぶったバルタン星人のフィギュアがその印象を払拭している。
壁には大好きな矢沢永吉が、物騒な目線をくれながら、シャツの前を全開にし
てポーズをキメる。
そして、その脇では矢沢の衣装を参考にしてあつらえた特注の白いガウン。
憧れの存在に、道は違うが1歩1歩着実に近づいていく自分を想い、彼は今日
も、新日ジュニア戦線で成り上がっていく意志を固めるのだ。
「どいつもこいつも、俺のハイキックで前歯をふっ飛ばしてやる。」
そうつぶやきながら、彼は壁に向かって足を上げて、柔軟体操をする。
相手の顔に足が届かなくなった時、引退する、と、彼は密かに思っている。
顔面蹴りは彼のレスラーとしてのアイデンティティそのものなのである。
満足するまで柔軟体操を終えた彼は、洗濯機に汚れ物をほうり込むと、ジャー
ジに身を包み毎日の日課であるジョギングに出かけた。
1時間ほど走って部屋に帰ると、すでに洗濯機は止まっている。
脱水された洗濯物を、丁寧にたたいて、ベランダに干す。
その後、シャワーを浴びて、トーストと珈琲で簡単な朝食を済ませる。
今日は大谷と高岩、3人で買い物に行く約束だ。
たまのオフは練習のことを考えないで、のんびり過ごしたい。彼はそう思うの
だ。
外に出ると、木々が色づき、風も冷たくなっているが、天気がいいので暖かい。
彼は履き込んで少し色褪せたジーンズに、トレーナーのすそを無造作に突っ込
んで、歩き出した。
ベルトは締めない。
体を締め付ける格好があまり好きではなくなったのだ。
10時半の待ち合わせだが、3分ほど早目に着くことにしている。大谷や高岩は、
そんな金本に気を遣うのか、どちらも少し時間に余裕を持って来る。
3人でデパートへ歩き出す。
「それにしてもアレっすね」 珍しく高岩が自分から話し出した。
「たまにはプロレスのことを考えないで、出かけるのもいいものっすね」
「そうだな。いつも戦うことばかり考えてちゃ、さすがに疲れるもんな」
大谷が、リングの上とは違う、好青年的な顔で相づちを打つ。
「まあな。俺も今日ぐらいは、ゆっくりしたいな。」
金本はいつに無く穏やかな表情で言ったが、一瞬後、その表情が凍り付いた
「おい、あれ・・・」
「どうしたんですか、金本さ・・・
大谷が怪訝そうに金本の視線の先を伺うと、常軌を逸した服装の健介・北斗夫
妻が前方100メートルくらいを歩いていた。
「おれ、付き人として挨拶してこなくちゃ。」 大谷が駆け出そうとするのを、
金本が制する、
「おいおい、あんなのでも一応夫婦水入らずなんだから、邪魔しないでやれ
よ。」
金本が幾分目を伏せながら言うと、大谷は「でも・・・」とか言いかけたが、納
得したのか再び金本と高岩に歩調を合わせた。
「あの二人、仲いいですよね。あこがれちゃうな、ああいうの。おれ、ぽっか
ぽかとか、天までとどけみたいな温かい家庭が理想なんですよねぇ。」
「いいよねえ」 高岩が相づちを打つ
「でもよう、あのファッションセンスはいただけないよな。100メートル離れ
てたって一発で分かるじゃないか。しかも、2人ともあのガタイじゃなあ・・・
目立ちすぎるぞ。」
と、金本。
「そうっすよねえ・・・」
また相づちを打つ高岩だったが、金本の最近のファッションセンスもどうだろ
うかと思った。前はオシャレだったのに。とりあえず、せめてベルトを締める
かトレーナーのすそを外に出すか、したほうがいいと思うのだった。しかし、
高岩はそんなことは口に出さない。一方高岩の今日のいでたちは、デニムのシ
ャツにGジャンを重ねたものと、グレーに細かく黒のチェックが入ったハンチ
ングに、同じ柄のズボン、アウトドア用のミドルカットの茶色い靴と、なかな
か気を遣ったカッコだった。しかし、どう見ても25には見えない老けっぷり
だ。
大谷は、スニーカーにジーパン、Tシャツの上に緑系のシャツと、いまいちち
ぐはぐな気もするが、まあ、無難な服だ。どうやら服装にはあんまり興味が無
いらしい。
平日のデパートはあまり人がいない。3人は、思い思いに売り場を見て回った。
主に3人が見るのは服だったが、一人で適当にみつくろっては買っていく大谷
にひきかえ、高岩は金本といっしょに、売り場を見て回る。
金本が「これいいなあ、」というと、
高岩は「いいっすねえ、俺も俺も」 といって、似たようなものを買う。
その後、大谷と金本がCDの売り場に行き、高岩が本屋のコーナーに行くとい
うのはお決まりのパターンだ。
高岩がニコニコしながら競馬の雑誌と漫画を買ってくると、金本と大谷は売り
場で真剣にCDを物色しているというのもまた、お決まりのパターンだった。
金本と大谷がやっとの事でCDを選び終わると、高岩が 「腹、減りましたね」
と言う。
時刻は12時半。ちょうどお昼の時間だ。
金本は、少し考え込むと 「焼肉でも食うか。」
「いいっすねえ。」 高岩が相づちを打つ。
大谷が「きゅうりのQちゃんはないよなあ・・・」 と呟きながら、
ウキウキして歩き出す2人の後をついていった。
デパートの最上階の焼肉屋、3人は焼肉をつつきながら新日の選手達の噂話を
していた
「小島がさあ」金本が話し始める
「かなり馬鹿やるよな。あいつ、何も無いところでいきなり電流イライラ棒の
真似とかするじゃないか。やめたほうがいいよなあ。 それに、あいつリン魂
に出た時に、俺が新日のミスター味っ子だ!とか言ってたぞ。いいかげんに、
落ち着けばいいのになあ。」
「味っ子は名作っすよ」高岩が呟く。マンガオタクだ。
大谷が、小島をかばう
「いや、小島さんは浜口ジムの先輩ですから、おれは何も言えませんよ」
フォローになってない。
「テレビって言ったら大谷おまえ」
金本がいきなり大谷に矛先を向ける
「この間愛ラブジュニアに出てただろう」
「え、ええ。吉江といっしょに。」
金本が意地悪そうな目で大谷に言う、
「お前、あの時にジュニアの滝沢とかいうやつを突き飛ばしてたじゃないか。
これで全国の女子中高生はお前から大挙して離れていったんじゃないのか?去
年のクリスマスにお前を落札した中学生の子とその従姉も、愛想を尽かしたか
もな。まあ、吉江は元々ジャニーズファンにはウケそうも無い体だから、どう
でもいいんだろうけどな。」
「そ、そんなことないですよ。ちゃんとあの後、滝沢君と指相撲して、負けて
やったんですから。へ、平気ですよ。」
「いや、女の子は怖いぞ。【あたしの滝沢君を突き飛ばしたむかつくプロレス
ラー、死すべし】として、女の子たちの胸に刻み込まれるだろうな。」
「そ、そんな・・・」
大谷はまるで大技を食らって記憶が飛んでいる時のような、江頭2:50によ
く似た顔になって、視線をフラフラさまよわせながらキムチを箸でつまんでは
放し、つまんでは放しを繰り返し始めた。
「そういえば、去年のクリスマス、中西のやつを落札した女はすごかったよな
あストーカー系だぞあれは。黒づくめ系で、すげー陰気な顔してたからな。一
体どこから8万5千円調達してきたんだろうな、中西のために。俺は13万で
かわいい子に落札されて、まあ良かったんだけどな。それでも自分が競りに出
されるのは嫌な感じだけどな。高岩、」
今までもくもくと食べていた高岩が急に自分に話を振られて、喉に肉を詰まら
せそうになった。
「な、なんすか?」
「おまえ、落札価格、吉江にも負けてたじゃないか、1万円。」
高岩は、急に遠い目になって言った、
「おれ、まだ初恋の人の事忘れられないんすよ。自分がいくらで落札されよう
と、どうでもいいんす。いや、確かに1万円で落札された時、ドナドナ歌いた
くなりましたけど。」
金本は、しまったと言うような表情になって、言った。
「すまん、高岩。お前は幸せになってくれ。」
そう言う金本を高岩は暗い目で見ていたが、ふと視線に気付いてあたりを見回
した。
「どうした、高岩?」
金本がそんな高岩を見て、不思議そうに尋ねたが、高岩は
「いや、なんでもないっす。多分気のせいっす。」 といって、また焼肉をつつ
き始めた。
しかし、一瞬感じた冷たい視線が、石沢のものだったように感じてならない高
岩だった。
焼肉屋を出て、金本は腹をさすりながら言った
「ああ、腹一杯食ったな。大谷、お前あんまり食べてなかったじゃないか。そ
れじゃウエイト増やせないぞ。だいたい健介の付き人なんてやってるから気疲
れで太れないんだろうけどな。ははは。」
「いいんですよ。海外遠征でウエイト増やしますから。」
金本は、そんな大谷を気の毒そうに見たが、気を取り直したのか、言った、
「トイレ行ってくるわ。」
「あ、俺も行きます」と大谷
「俺も俺も」と高岩。
大男が3人連れだってトイレに入っていくのは、なんだかおかしい。
3人がトイレに入っていくと、奥から3番目の個室がバタンと閉まった。
金本と大谷は全く気に留めていなかったが、高岩だけは一瞬立ち止まった。
(あれは、やっぱり石沢?おれたちを観察しているのか?中西の観察はやめた
のか?)
高岩は思ったが、気にしないようにして、用を済ませた。
デパートを出ると、まだ日は高く、時刻も2時だ。
「これからどうする?俺は腹ごなしに道場にでも行くけど。」
金本は結局オフでも練習をするらしい。
「俺は帰ってCD聞いてカラオケの練習しますよ。」 大谷が言った。
「きゅうりのQちゃんも食べたいし」 と言う呟きは2人には聞こえなかった
ようだ。
「俺も帰って漫画を読んで、それからデス・馬券・ボムの予想するっすよ。」
高岩も帰るようだ。
「じゃあ、2人とも気を付けて帰れよ。」 金本はそう言うと、さっさと道場に
向かった。
金本が人気の無い道場で黙々と練習をした後で、部屋に帰ると、窓の外の洗濯
物がすっかり乾いていた。
お気に入りの矢沢のCDを聞きながら、正座して洗濯物をたたみ、手際良く引
き出しに入れていく。
その姿は、あまりにもプロレスラーというイメージとかけ離れていた。
洗濯物をたたむと、コンビニへ弁当を買いに行き、部屋で食べる。
ああ、明日は顔を蹴れる日だ・・・
明日の試合の事を考えながら、金本はさっさと眠ってしまうのだった。
終わり
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