Kawaikapuokalani K. Hewett
日本では、フランク・ヒューエットという名前ですっかり有名にとなっているクム・フラとしての名前が一番知られていますが、カフナとしてヒーリングの分野でも活動したり、ハワイの経済的な分野でもアドバイサーなどを務め幅広く多忙に活躍されている方です。クム・カヴァイカプは、Haku mele(作詞作曲家)として著明なクム・フラで、今までに100曲以上作っており、今存在するハク メレの中でも最も多くの歌を作っています。1978年よりKuahi Halau O Kawaikapuokalani Pa Olapa Kahikoのクム・フラであり、Waimanalo Health Clinicのスピリチャル・ディレクターも務めています。クムの先生は、祖母、Iwa Kanae, Aunty Emma DeFriesと Edith Kanaka'oleです。
自己紹介:
私は、Kane'oheに育ち、両親(Alexander Kapilialoha HewettとAlice Pualeilani Kana'e Hewett)と祖父母(Frank Ka'aiali'i Kana'e とEva Wahineali'i Rowan Kana'e)に育てられました。祖母は、私にとってフラにおいて最初のインスピレーションで彼女は歌ったり踊るのが大好きでした。私は、いつもムームーの裾をつかんで祖母にくっついていました。彼女のお得意は、家でも公の場所でもいつも「マウナ・ロア」でした。
祖父母の家では、いつもハワイ語は話されていて 、私が作詞をはじめた時には、祖母がいつも見てくれハワイ語を正してくれました。祖母は、私にフラを続ける事を進めてくれました。そして1972年からカフナ・エマ・デフリースの元でトレーニングをはじめました。アンティーエマは、la'au kahea(骨つぎ),la'au lapa'au(薬草学), ho'oponopono(問題解決法), lomilomi(ボディーワーク)を行っていました。アンティーエマは、フラのマスター、ケアカ カナヘレのウニキ(クム・フラの最高称号)を取得しました。 私は、彼女のもとで9年間ヒーリングとフラのトレーニングを積み、1980年の11月にウニキの称号を取得しました。
1977年アンティーエマから、ゲリー・サントスとロバート・ビューモントの形成するOlomanaに紹介され、当日、私はアンクル・ハリー・ミッチャルによって書かれた、歌を唄い、踊りました。それから28年間のおつきあいで、Olomanaの家族として、Hilton Hawaiian VillageのParadise loungeにて定期的に公演してきました。
公演の経歴として、それ以外には、10年前にアンティー・ゲノア・ケアヴェの誘いで日本にはじめて行きました。アンティとは、シベリアでははじめてのフラ パフォーマンスをロシアのテレビ放映されました。70年代後半から80年代前半の間、Olomanaと一緒に公演する他、Ala Moana Americana Hotelでの定期公演、パラニ ヴォーガンとの公演もはじめ、1晩で4つのショーをこなしていました。
1972年から1977年までの間は、ハワイ島コナをベースとしているE Ho'oHawai'i Kakouと共演していました。ア’アラとミカハラ ロイと共に共演し、フラ・カヒコのみの公演を続けました。E Ho'oHawai'i Kakouは、フラ マスター ロラニ・ルアヒネに指導を受けていました。
1975年からハワイ大学ヒロ キャンパスにおいて、ハワイ文化を主に77年にLiberal Studiesの学号を取得しました。その間にアンティーエディス・カナカ’オレに出会い、ハワイ語の先生として私の詩の教授を受けました。フラやチャントも彼女から学びました。
私のフラ人生におけるハイライトは、ミカエル・バリシニコフの前で公演した時の事です。Black Pointというところで彼がハワイで公演する為その後の歓迎ディナーパーティーが催されました。大変会場はにぎやかで大勢のお客さまが話しながら食事をしている中、私は踊っていました。誰も私たちの公演には、あまり関心がない様子でした。すると、バリシニコフは、椅子を私の目の前に持ってきて、誰とも話す事なくじっと私から目を離しません。人々は、話しをするのをやめ、すっかり静かになり、公演に注目するようになりました。
公演が終わると彼は私にスタンディグ・オベーションをくれました。また廻りの人々も彼のまねをして同じく立って拍手喝采でした。彼は、私に今まで見た公演の中で、最もスピリチャルで目の惹かれる踊りだったと言ってくれました。私は彼に「あなたのダンすの大ファンです 」と伝えました。彼も「私も今日からあなたの踊りの大ファンになりました」と言ってくれました。
70年代にテリサ・ブライトとラジオで共演し、彼女のギターと私のウクレレ、マプアナ・リンガーも加わり、デモテープとして、Lehua Makanoe, Ka Moaeなどを録音したのがきっかけで私のレコーディングとしてキャリアがはじまりました。それ以来7枚のCDを出しています。
私の最も新しいCDは、「Ulu Kau」というタイトルのCDです。 「説明されていない智慧」という意味です。2004年の12月に発売されました。このCDは、今まで私の歌をレコーディングして下さったハワイのアーティストたちに感謝の意を表して作成しました。そのアーティストとは、アンティー・ジェノア・ケアヴェ、テリサ・ブライト、デル・ビーズリー、オロマナ、ジェリー・サントス、ハウナニ・アポリオナ、カジメロ兄弟、パラニ ヴォーグン、ロヤル・ガーナー、イスラエル・カマカヴィヴィオレ、マカハ・サンズ・オフ・ニイハウ、メルヴィン・リード、リム・ファミリー、ローラ・リム、スリースクープス・オフ・アロハ、ザ・ピーター・ムーン・バンド、ケオラ&カポノ・ビーマー、カヴァイ・コケット、ソニー・チリングワース、シーン・ナアウアオ、カマラニ・キア、ホオケナ、クウイポ・クムカヒ、レイラニ・リヴェラ・ボンド、メレ・オハナ、クニア・ガルデイラ、アグネス・キムラ、マキ・イノウエ、アンティオン、トミー・トキオカ、マリア・ロッサ、リディア・ブリス、ラウ・ロアとコージ・ヒライらです。