イチオシ

騒がしい霊?
某ロッジでの出来事(実話)

稲垣 優

 8月も後半ですが、まだまだ暑いですね。残暑ってやつは、まだ続きますんで、ここらでちょっと涼しげなお話をば。「怖い話」の苦手な方は、お読みにならない方がいいかと……。

 あれは、まだ子供が小さく、三男は陰も形もなかったころだ。手元の資料によれば1992年8月30日のようだから、12年も前の話だ。当時、わが家は、夏と言えば毎年のように鈴鹿サーキットへ出かけていた。8耐を見に行ったわけではない。遊園地がお目当てだ。長男が生まれたのが1986年なので、92年といえばちょうど彼が小学校へ入ったころ。二男は3歳。幼稚園にも入っていない。

 毎年の鈴鹿行きは長男が幼稚園ごろから始めたので、このときが3回目だっただろうか。前の2回は、いずれも日帰りだったが、現地でもっとゆっくりしたいとの思いから、一泊での鈴鹿行きを計画した。しかしお金もないことなので、なるべく安く済ませようと、いろいろな宿を探していた。当時まだ、インターネットは普及しておらず、宿調べは、もっぱら旅や宿のガイドブックに頼っていた。

 何冊かの本を見るうちに、妻が、とある宿を見つけた。鈴鹿サーキットまで車で30分程度。東名阪自動車道のインターからも近い。その上、料金が安いのだ。《○ロッジ》という名前もなかなかしゃれていて気に入った。

 さっそく申し込みの電話を入れると、宿泊できるとのこと。この年の8月30日は日曜で、翌31日は月曜日。夏休み最後の日とはいえ、日曜日の宿泊だから、空き部屋があって当然だっただろう。

 昼ごろに岡崎を出て、東名阪道を経由して《○ロッジ》へ向かう。途中、休憩しながら行ったが、思いのほか早く着いてしまった。チェックインしたのは、3時か4時ごろだっただろうか。

 案内された部屋は、12畳ほどある広い和室だった。大きな床の間があり、その一角にテレビが置いてある。床の間の上には、2、3体の日本人形が飾られていた。どれもガラスケースに入っており、高さ40〜50センチ程度。その一つに「藤娘」があった。編み笠をかぶり、手に藤の花を持った人形で、よく見るタイプだった。これを見た私が、以前、友人から聞いた話を妻に聞かせた。

「ある旅館に泊まったら、床の間に『藤娘』の人形があってね。で、夜中になると、その人形が、藤の花を振りながらこちらへ近づいてきたんだって。怖いねえ〜」

 すると妻は「ははははは」と力なく笑った。

 続けて私が「この人形が夜中に動いたら怖いよな」と言うと、「変なこと言わないでよ」とちょっと怒った。多少、怖がっているようだった。

 部屋へ荷物を置いたものの、8月の太陽はまだまだ高く、とてもくつろぐような気分にはなれない。子供たちは、ずっと車に乗ってきたためか、元気が余っている。私と妻も、まだまだ若かったこともあり「どこかへ行こうか」との話になった。とはいえ、周りに何もない。小高い山(丘といった方が正しいだろう)の上に立っているロッジなので、「下界」へ行くには車を出さなくてはならない。それも面倒なので、ロッジの周りを散策することにした。ここまで上ってくる間に、木立が美しい散策路のようなものがあったのを思い出したからだ。

 ロッジから少し下ると、すぐにその散策路はあった。人一人が通れるほどの狭い道だが、道がちょうど馬の背状になっているため、圧迫感がない。周囲には広葉樹が茂り、夏の日差しを遮っていた。

 家族4人で散策路を進む。ちょうど丘の下へ向かう形になる。結構な時間をかけて一番下まで行くと、ただ行き止まりになっているだけだったので、そのまま取って返した。今来た散策路を今度は上っていく。少しずつ日が傾きかけてきたので、少し急ぎめに上ったのを覚えている。

 途中、何かの碑のようなものがあった。戦没者の慰霊碑なのかなと思った。しっかりは読まなかったし、読んだとしても今はもう忘れてしまっているが、確かに碑はあった。記憶が正しければ、横長の小さめの碑が散策路の途中にあり、縦長の大きい碑が、一番上、つまりロッジに一番近いところにあったように思う。小さめの方に、戦没なんたらと書かれていたような気もするが、記憶が曖昧だ。

 丘を下ったり上ったりして、少々疲れてしまった私たちは、早めにお風呂に入り、夕食をとった。食事は、ほかの宿泊客と一緒に食堂でとった。夏の終わりの、それも日曜宿泊なので、宿泊者数は多くはなかった。それでも20〜30人程度はいたと思う。

 食事のあと、部屋へ戻りテレビを見たり、子供たちがはしゃぐのを見たりして過ごした。そして夜が更けていった。子供たちはまだ小さいこともあり、9時ごろには眠ってしまったように思う。私と妻も、なんとなく疲れており、早めに床に入ることにした。ここは旅館ではないので、布団は自分たちで敷く。

 全員が床についたのは10時をすぎたころだったと思う。そのまま私は眠りに入っていった。それからいくらかの時間が過ぎたとき、妙な物音で目を覚ました。ドアをドンと叩く音なのだ。それは遠くで聞こえていた。私たちが泊まった部屋は廊下に面しているのだが、この廊下、結構長い。廊下沿いにいくつかの部屋があり、私たちの部屋は、玄関(フロントあたり)に割と近いところだった。その反対側、つまりフロントとは反対の先から、その音は聞こえてきた。

 ドン……、ドン……、ドン……。

 適当な間隔をあけて音がする。不思議なことにその音は、だんだん大きくなってくるのだ。叩き手の力加減で音量が変わっているという感じではない。明らかに、遠くから順にこちらへ向かって進みながらドアを叩いている風なのだ。

 廊下沿いに、いくつの部屋があるかは知らない。また私が目覚めたときが、いくつめのドアを叩いた音だったかも分からない。それでも数回のドン……、ドン……が続いた。そして感覚的に「次はこの部屋だ」と分かったとき、確かに私たちの部屋のドアが「ドン」と叩かれた。音はそのまま、次の部屋のドアを叩き、消えてしまった。

 驚いた私は飛び起きた。妻もすでに起きていたようで、私にならって飛び起きた。二人で顔を見合わせる。なんだかとても、ヤバいことが起きているような予感があったが、不思議に恐怖感はなかった。

 意を決してドアを開けた。そこには、薄暗い廊下があるだけだった。ドアを叩かれたほかの宿泊客が出てきているかと思ったが、誰も出てこなかった。食事の後に数組の家族連れらしい人たちが、この廊下を通り、廊下沿いの部屋へ入っていくのを見ている。でも誰も出てこなかった。

 ドアを閉め、妻と話を始めた。今のはなんだろう? 子供のいたずらだろうか? それにしてもこんな時間に……と時計を見ると12時近かった。

「ま、しょうがないな。悪ガキのいたずらと思ってあきらめようぜ」と私がいい、二人ともまた体を横たえた。

 とそのとき、突然、火災報知器のベルがなった。ジリジリジリジリと、ものすごい音で鳴り響く。これには焦った。「火事か?」と飛び起きて、廊下へ出ようとしたときに音が鳴り止んだ。そのまま廊下へ出るが、誰も出ていない? 「あれ? なんで誰も出てこないんだ? 火事だったら大変なのに」そう思った私は、しばらくドアを開けたまま、廊下を見ていたのだが、数分待っても誰も出てこない。まるで、火災報知器など鳴らなかったかのように、ただ薄暗い廊下があるだけだった。

 部屋へ戻り、また妻と話をした。どういうことなんだ? これは火事じゃないのか? もし火事なら、報知器がずっとなり続けるはず。すぐに止まったってことは、誤動作と考えるのが正しいかも。そんなことを話していたが、それでも気になるのでフロントへ行ってみた。何かの異変が起きているのなら、なんらかの動きがあるだろうと思ったし、フロントで何かの情報が得られるかもしないと思ったからだ。しかしフロントは、もぬけの殻だった。誰もいないのだ。「すみませ〜ん」と声をかけても、誰も出てこない。まあここはホテルじゃないし、格安のロッジだからしょうがないか……と思いながら部屋へ戻った。

 その後、しばらく様子を見たが、火災が発生している様子もなく、ただただ静かな夜だった。いつの間にか私たち夫婦も、眠りについていた。

 翌朝、食堂へ朝食をとりに行く。数十人の人々が、それぞれ椅子に座り、和食らしいものを食べていた。テーブル間に仕切りがあるわけではないので、近くの人の会話は嫌でも聞こえる。なんとなく周囲の声を聞いていたのだが、昨夜の話題をしている人は誰もいなかった。そのことが、私たち夫婦を戦慄させた。「だって、あんなことがあったのに、なんで? 火災報知器は全館に鳴り響くはずでしょ」

 私たちはフロントの人に、昨夜のことを聞こうかと思った。しかし、聞くことができなかった。もし「そんなことはありませんでした」「火災報知器なんか鳴りませんでしたよ」などと言われたらどうしようと思ったからだ。報知器の音を聞いたのは私たち夫婦だけだったとしたら……。そういう事実を突きつけられるのが怖かったのだろう。そういえば、ドアを叩かれたときも、報知器がなったときも、隣で寝ていた子供たちは、ピクリとも動かなかった。二男はともかく、神経質な長男は、ちょっとの物音ですぐに起きてしまう子だったのに(今は叩いても起きないけど)……。

 結局のところ、昨夜の出来事がなんだったのか、全く分からなかった。しかし、ドアを叩かれたのは事実だし、火災報知器が突然鳴り、突然止まったのも事実だ。

 ある旅館には、夜中に壁をドンドンと叩き回る音がする部屋があるという。その部屋の隣は、入り口が封鎖され、今は開かずの部屋となっているとか。そこで、小さな子供が死んだという話があるそうだ。

 私たちが泊まったロッジにそういう話がないかどうか、実はよく分からない。しかし、昨日(2004年8月18日)、なぜだか突然、このロッジのことを思い出し、googleで調べてみると、2ちゃんねるに話題が載っていた。

「《○ロッジ》って、出るって話ですよね」

 そんなこととは知らずに、12年前に泊まった私たち。もしかしたら、私たちの泊まった部屋が、たまたま「出る」部屋だったのかもしれない。それにしても、部屋の中に入ってこなくてよかったと、今ごろ思っているのである。

(このお話は実話です。私と妻が体験したことで、いまだに二人で当時のことを話しています)

 いかがでしたか? で、なんでこれが「イチオシ」かって? 私の恐怖体験の中で、一番はっきりしたものだからです。このほかにも、ちょっとした体験はいくつかありますが、これだけしっかりとしたものは初めてでしたし、その後もありません。

後日談
 実は2年ほど前、仕事(取材)で琵琶湖の方へ行ったとき、たまたまこのロッジの下の道を通りました。ロッジは丘の上にありますが、下の道からの入り口に「ようこそ○ロッジ」という大きな門(ウエルカムボード)があり、そこがしっかり封鎖されていたのです。行ったのは6月でした。またこの門のあたりやロッジへ上がる道付近は、雑草がのび放題になっていました。これを見て私は「ああ、あのロッジ、つぶれちゃったんだ。お化け騒ぎが広まったかな?』と思ったのです。ところが昨日、なんとなくgoogleで調べてみると、ちゃんと営業しているのですよ。「平成16年7月31日現在の空き室状況」なんてページもあるんです。う〜ん、どうなっているんでしょうか。私が見た「閉鎖された門」は見間違えだったのか? それとも12年前同様、私にしか見えない(当時は、私に聞こえた)だけのことだったのでしょうか。そういえば、取材に一緒に行ったO氏は、運転していたこともありますが、封鎖された門を見ていません……。

copyright2004:Masaru Inagaki  (2004.8.19)

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