ショートショット

ワニのスパイ

井上 由

 

 月曜日の朝、出掛けに娘がぬいぐるみのワニをくれた。車に乗せておいてほしいと言う。母親と二人で一生懸命作ったそうだ。いい年をして車にぬいぐるみもないものだが、娘の頼みとなると嫌とも言えず、承知した。目が真ん中によった愛嬌のあるワニは、リアシートにちょこんと収まった。

 車を出し、二キロほど先に住んでいる同僚を迎えに行く。この男と私は、毎朝、私の車で会社に行っている。ガソリン代はもちろん折半だ。同僚は、車に乗ると娘の力作を見つけ、さっそく冷やかしにかかった。私は照れ臭かったが、半面、自慢げでもあった。

 それから数日後、娘と妻が、私に要望を出した。次の日曜日に、水族館へ連れていってほしいというのだ。ラッコだのイルカだのと、聞き覚えのある生き物の名を羅列して士気を煽(あお)るのだが、私は一向にその気にならない。その週は殊の外忙しく、休日が来るのを楽しみにしていたからだ。妻は、土曜日に体を休めて、日曜日は家族サービスをしてくれと言う。しかし私は休みたかった。とにかく今週は休みたかった。そこで咄嗟(とっさ)の思いつきで、日曜は同僚と出掛ける約束があると言ってしまった。もちろん出任せだ。娘は、いつ決まったのかと、うるさく訊(き)く。妻も口をへの字に曲げて私を睨(にら)む。そこで、今日、会社へ行く途中、車の中で話して決めたと言った。

 私の言葉を聞くと、娘の目が輝いた。そして「お父さん、それ本当?」と訊いた。「もちろん本当だ」と答える。すると娘が、おかしなことを言った。

「洋二君(娘のボーイフレンドだ)はね、アマチュア無線をやってるのよ」

 何のことだか分からない。目で促すと娘が続けた。

「洋二君ね、通信機の入ったぬいぐるみを作ったの」

 私はハッとした。まさか……。

 それから数分間、私は娘と妻の顔をじっと見ていた。結局、私の負けだった。

「分かったよ。水族館へ行こう」

 そう言うと二人の顔が綻(ほころ)んだ。同時に私は、二人を静かに叱責した。

「盗聴なんて、いい趣味とは言えんな」

 しかし二人は恐れ入る様子もなく、見つめ合って笑っている。私が不満を顔に表すと、娘は車からぬいぐるみを取ってきて、腹の辺りに付けられたチャックを開けた。すると中から小さな紙切れが出てきた。そこには丸っこい字で「つうしんき」と書かれていた。


copyright:Yuu Inoue(Masaru Inagaki)  ffユニオン4号(1988春号)掲載


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