ショートショット

庭の穴

井上 由

 

「隣の家に気をつけろ。埋めているものに注意しろ」

 声はそれだけだった。気味の悪い声だった。

 池上良平は、発信音だけになった受話器を下ろす。隣家に注意しろとは、どういうことなんだろう。いたずら電話にしては、声に緊迫感があった。良平は気味が悪くなった。

 池上家は、先月ここへ引っ越してきたばかり。自分の家は空き地の横に建っているから「隣の家」といえば、東隣で税理士事務所を構える大月家しかない。

 翌日は土曜日。良平が、郵便受けへ新聞を取りに行くと、隣家で物音がした。地面を掘る音だ。良平の頭に、昨日の電話の声がよみがえる。「埋めているものに注意しろ……」

 立ち止まり、そっと隣家の庭に目をやる。隣の亭主が大きなスコップで地面に穴をあけていた。長靴を埋めるとしたら、これくらいの穴で十分だろう。ふと上を見ると、二階の窓から、小学生らしい男の子がのぞいている。良平が視線を向けると、男の子は、部屋に中へすべり込んだ。心配そうな表情が良平の心を乱した。

 何日かが過ぎた。大月家の庭の穴は、五つになった。どの穴にも土がかけられてはいるが、何かを埋めたのは間違いない。良平の頭に、またあの気味の悪い電話の声が響く。

 良平は妻に話してみた。電話の声の話、そして大月の亭主の異様な行動を。妻は、鼻で笑いながら言った。

「花の種でも植えてるのよ」

「それにしちゃ穴が深すぎる」

「じゃあ、何を埋めてるの?」

「ウーム……」良平は言葉を切った。続けようか、どうしようか迷った。結局言った。「お隣さんの奥さんは、どうしてるんだ?」

「臨月なんですって。だから実家に戻ってるらしいわよ。ねえあなた、一体何を考えてるの?」

「いや、別に……」

 さほど大きくない穴を掘って何かを埋める。それも一度にではなく、少しずつだ。これにはどんな意味があるのか。大きなものを埋めるには大きな穴が必要だ。しかしそれでは人目に付く。人知れずに大きなものを埋めたいのなら、小さく分ければいい。簡単なことだ。もし腐りやすいものなら、冷蔵庫に保存する方法もある。そして少しずつ小さな穴に処分していくのだ。

 もし大月の細君が臨月などではなく、もうこの世にいないのだとしたら……。二階の窓からのぞいていた小学生の寂しそうな表情も理解できる。そして、もし細君が細かく分断されて冷蔵庫に眠っているとしたら……。そこまで考えて、良平は恐ろしくなってきた。大月が細君を殺したとしたら……。気味の悪い電話を含めて、多くのつじつまが合ってくるのだ。

 次の土曜日。良平はまた郵便受けに新聞を取りに行きながら、隣家の庭を見た。今日は大月の姿はない。車がないところを見ると、事務所にもいないらしい。細君の「埋葬」は一時休止だろうか。

 良平が自宅の玄関を開け、中に入ろうとしたとき、大月家の玄関から誰かが飛び出してきた。小学生の息子だ。手には小さなスコップがある。息子は、大月が埋めた穴の一つをスコップで掘る。どんどん掘る。父親がいないうちに掘ってしまおうとしているようだ。そこへ、大月の車が帰ってくる。車を降りるなり、大月は大声で息子をしかる。しかし息子は掘る手を止めなかった。そして穴の中から何かを取り出した。大月が取り上げようとする。しかし息子は機敏に飛び退いて、父親の手から掘り出した物を守る。そして言った。

「やっぱりそうか。父さんだったんだな。隣のおじちゃんに電話で『気をつけろ』って言えば、おじちゃんの目が気になって、父さんもやめるだろうと思ったけど、やめなかったんだな。ちきしょう」

 良平は息を飲んだ。気味の悪い電話の主は、大月の息子だった。そして息子は、すべてを知っていたのだ。

「こらっ、返しなさい」大月が大声を出す。息子は「嫌だ」と逃げ出す。走りながら言った。「どうしてファミコンのソフトを埋めちゃうんだよ。友達の父さんで、そんなことする人いないぞ!」

 その声と同時に、大月の車から、小さな赤ん坊を抱いた女性が、ゆっくりと降りてきた。


copyright:Yuu Inoue(Masaru Inagaki)  ffユニオン21号(1994.5月号)掲載


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