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井上 優

 

 私が前島喜美子の死を知ったのは、彼女の葬儀から一週間ほど過ぎた日だった。幼稚園児の娘を連れてスーパーで買い物をしているとき、喜美子と同じく中学の同級生だった山田春美に偶然会って聞いたのだ。

「真弓は知らなかったの?」先月、結婚したばかりだという春美は私に言った。「事故だったのよ。私、葬儀に行ったのよ」

 春美は前島喜美子と親しかったはずだ。だから葬儀にも呼ばれたのだろう。

 春美が言う。

「もし時間があったら、お線香の一つでもあげにいったら? 彼女もまだ独身だったから、家は中学のときと同じ。真弓だって親しいときもあったんだし」

 春美は、何かを含んだ言い方をした。ああ、たぶんあれだ。私が喜美子から借りた本のことだ。

 中学のとき、私はミステリー小説にハマっていた。そのうち同級生の喜美子もミステリー好きだと分かった。そこで私は、彼女から本を借りたのだ。

 日本人作家だったと思う。題名は覚えていない。私はすぐに読んだが、返すのを忘れていた。一カ月後、喜美子が返却を催促した。私は「明日持ってくるわ」と言った。しかし忘れてしまった。数日後、また催促された。私は「ごめん、明日はきっと」と言ったが、また忘れてしまった。そんなことが続くうちに、私は喜美子とだんだん疎遠になっていった。喜美子もだんだん催促しなくなっていった。私は本のことを忘れていった。

 きっと春美は、このことを喜美子から聞いていたのだろう。私は、十五年ほど前のそんな出来事を思い出しながら「そうね、お線香くらいはね」と言った。

 スーパーで買ったのは野菜や調味料類で、すぐ冷蔵庫に入れなければならないものではなかったので、私は娘の手を引いて、そのまま前島喜美子の家を訪れた。

 それから二週間ほどが過ぎた。なんとなく体調が悪く、夏風邪だろうと思って、かかりつけの医者へ行くと、風邪ではないという。奇妙だった。体調はどんどん悪くなり、昼間でも横になっていないと倒れてしまいそうだった。

 そんなある日、たまたま訪れた実家の母が、私の様子を見て言った。

「あんた、一度、お払いしてもらった方がいいんじゃないの? なんか憑いてるんじゃない?」

「まさかあ」私は笑った。

「でもお医者でも治せないなら、気休めと思ってやってみなさいよ」

「うん、分かった」

 私は母の言葉に従った。

 母は顔が広く、いろいろな知り合いがいる。私の様子を知り合いたちに話すと、一人の女性霊能力者が興味を持ったという。

 かくして私は、本物だかどうだか分からない霊能力者の家へ行くことになった。

 その家を訪れた日。

「やっぱり、そうだ。憑いておる」

 神主のような着物を着た霊能力者は、私を一目見ると言った。彼女によれば、なんと前島喜美子の死霊が憑いているという。

 霊能力者は何やら難しそうな呪文をとなえ、喜美子と私が会話できるようにしてくれた。喜美子が霊能力者の口を借りてしゃべるという方法のようだ。

 私が言う。

「あなたが死んでしまったなんて、ちっとも知らなかったの。残念だったわ。それと、中学のときに借りた本、ずっと返さなくてごめんなさい。明日、きっと、あなたの家へお返しにあがるから…」

 すると喜美子が霊能力者の声で言った。

「いいのよ、そんなこと。少しも気にしていないわ」

 会話は数分で終わった。呪文から解き放たれた霊能力者は、私に徐霊のまじないをかけ「これでもう大丈夫だよ」と言った。

 その家を出るころには、なんだか気分が良くなっているような気がした。

 帰り道を歩きながら時計を見る。いけない、幼稚園へのお迎えの時間だ。私は、そのまま娘の幼稚園へ向かった。

 門まで来ると、娘が私を見つけて走ってきた。お迎えの時間に遅れてしまったため、ほかの子はみんな帰った後だった。

 門を出て歩道を歩く。娘は私の左手につかまりながら、私をチラチラ見ている。

「どうしたの?」と聞くと、娘が言った。

「隣にいるおばちゃん、誰なの?」

 一瞬、背筋が凍り付いたような気がした。私の周りには娘以外誰もいないはずだ。なのに娘は「おばちゃんがいる」という。もしかしたら…。

 私は意を決して、娘とは反対の方、つまり右側に顔を向けた。するとそこには、薄ぼんやりとした女性の顔があった。

 びっくりして立ち止まる。するとその顔が、ゆっくりしゃべりだした。

「真弓の『明日返すわ』は、あてにならないから。私、ついてきたの…」


copyright 2002:Yuu Inoue(Masaru Inagaki)  ffユニオン71号(2002.9月号)掲載


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