ショートショット

約束

井上 優

 彼女のいる病院。病室で彼女と俺が話をする。

 夏の初めの入院から、もうずいぶん長い時がたってしまった。廊下を行き交う人はみな、長袖の服を身にまとっている。

 二人とも、それが不治の病であることを医者から聞いて知っていたが、たとえ死を宣告されようとも、奇跡的に回復する人もいる。俺も彼女も、そんな可能性を信じていた。

 しかし時がたつにつれ、不安がじわじわと二人を襲う。それを消し去るように、彼女は言うのだった。

「私、あなたと一緒にいたい。どんな形であっても一緒にいたいの。ね、約束よ」

 俺が答える。

「もちろんだ。俺にとって、君以外の女性は考えられない。一緒にいられるのなら、どんなことをしてでも一緒にいたい」

 しかし運命は非情だった。死は二人を別ち、それからは、まさに暗黒の日々が続いた。

 俺は自分がどうなってしまったのか、全く分からない毎日を過ごしていた。文字通り目の前が真っ黒だ。どう歩いて、どう過ごしたのか分からない。悲しみのどん底に突き落とされ、頭が朦朧(もうろう)としている。自分が何なのかさえも分からないくらい混乱していた。

 永遠に続くのかと思われた暗黒の日々だったが、終わりの時がきた。ある日、突然、目の前の景色が開けたような気がした。一筋のまばゆい光が俺を導いてくれるような感覚だ。それに従うことで、心の闇はゆっくりと晴れていった。

 今、俺は、彼女の家にいる。彼女の母親が出してくれる食事を食べ、家族同様の暮らしをしている。天涯孤独の俺に対してこの家の両親はやさしく、わが子のように接してくれる。この上もない幸せだ。

 彼女との病院での約束は、現実のものとなった。あのときは、死んでしまえばすべてが無に落ちると思っていた。しかし違った。あのころとは違い俺が彼女の家にいるものの「いつも一緒よ」と言った彼女の言葉に嘘はなかった。約束は果たされたのだ。

 居間のソファに座った彼女が俺の名を呼ぶ。俺は声を出して答える。彼女のやさしい眼差しが俺の心を躍らせる。無意識のうちに俺は、吸い寄せられるように彼女のもとへ走る。そしてその柔らかな膝の上に自らの身を乗せ、大きく安堵の深呼吸をする。ここは俺が最も好きな場所、最も安らぐ場所なのだ。

 彼女の眼差しは変わらない。すべてを許し、すべてを受け入れる、まるで聖母のような瞳が、俺の両目に向けられる。そしてやさしく言うのだ。

「ねえタマ。私ね、あなたがケンジの生まれ変わりのような気がするの。そんなこと、あるはずがないけどね」

 ふふふと力なく笑う彼女。両手で俺を持ち上げ、強く抱きしめる。

 彼女が看護師として働いている病院に、俺は入院していた。不治の病を宣告された俺の死に水を取ってくれた彼女は、病院での約束通り、ずっと俺と一緒にいてくれる。俺にとっては、この上もない幸せだ。唯一、自分が猫になったことを除けば。


copyright 2008:Yuu Inoue(Masaru Inagaki)  ffユニオン108号(2008.11月号)掲載


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