ショートショット

見える人

井上 優

 会社からの帰り道、人通りのない暗い道に男が倒れていた。ドキリとして立ち止まる。「どうしよう」と迷ったが、放っておくわけにはいかない。とはいえ近づく勇気はないので、ケータイを出して110番へ掛けた。

「道路に人が倒れているんです……」

 電話の相手は、場所や倒れた人の状況を聞く。俺は小声でゆっくりと答える。電話番号と氏名を聞かれたあとで異変は起こった。男が消えたのだ。

「あ、すみません。今、倒れている人が消えちゃって……」

 電話から「えっ?」という声が聞こえた。続いて「イタズラはやめなさい」と強い語調が響いた。本当に消えたんだけど……。

 翌日、深夜のジョギング中に人が燃えているのを見た。公園の隅で、大きな炎が上がっている。焦った俺は、また110番へ通報。状況を説明し、自分の名前を言い出したころ、炎に包まれた人が消えた。炎自体もなくなり、普段と変わらない公園に戻っていた。

「あの、すみません。人と炎がなくなっちゃって……」

 そう言うと相手は「あんた、昨日も同じような電話を掛けてきたね。こういうイタズラは犯罪になるよ」と、こっぴどく叱られてしまった。

 さらに翌日。まただ。朝、会社へ向かう途中、いつもと違う道を行くと、ビルの上から人が落ちてきた。思わず立ち止まる。周りを歩く人は誰も気づいていない。俺はしばらく投身者を見ていたが、案の定、消えてしまった。通報しなくてよかったと思った。

 社内で「見える人」と言われる同僚に相談した。三日間の経験を話すと、彼は「お前も『見える人』になったのかもな。俺なんかいつも見えてるから、それが生きてる人か幽霊か分かんないことが多いけどな」と笑った。

 帰宅するとき、あの道路にまた人が倒れていた。遠回りをして公園横を通ると、炎に包まれた人がいた。しかし俺は、もう通報しない。あれが生身の人間ではないと分かったからだ。

 一人住まいのアパートに着く。通路の一番奥にある自室に向かうと、隣に住む主婦がドアを開けて出てきた。主婦は誰にでもすぐに話しかけるのだが、今日は違った。こちらへ歩いてくるのに全くの無視だ。うるさく話しかけられるのには閉口するが、無視されるのは気分が悪い。俺は嫌味を込めて「こんばんは」と声を掛けた。

 ところがどうだ。主婦は驚いたように立ち止まると、周りをきょろきょろ見回しだした。俺との距離は三メートルほど。気づかないはずはない。

 結局、主婦は、真っ青な顔をして、自室へ戻ってしまった。

 訳が分からぬまま自室へ向かう。玄関ドアの横にある台所の窓が目に入った。室内が暗いからガラスに外の様子が映っている。駐車場の車や樹木、街路灯の光、そして自分の姿が見えた。なぜか気になって、しばらく見続けていたら、俺が消えた。

 頭の中に同僚の言葉が響いた。「いつも見えてるから、生きてる人か幽霊か分からない……」

 俺の姿は、主婦には見えず、同僚には見えた。俺が幽霊を見たのは「見える人」になったからではないのだろう。死者と同類になれば見えても不思議はない。それに気づいて上着を脱ぐと、血だらけのシャツと、そこから突き抜けた肋骨が見えた。


copyright 2009:Yuu Inoue(Masaru Inagaki)  ffユニオン113号(2009.9月号)掲載


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