ショートショット

指さす女の子

井上 優

 会社に入ったとき「独身女性の独り暮らし」を始めた。

 引っ越したのは日曜日。その夜、飲み物を買いにコンビニへ行った帰り、アパートの階段を上り始めたときに人の気配を感じた。二階の自室へ行くには、くの字に曲がった鉄製の階段を上る。その曲がり角にある踊り場に女性が立っていた。私より少し若い。高校生くらいだろうか。

 階段を上り始めると、女の子の右手がするすると上がり、階段の下あたりを指さした。自分が指さされていると思いビクッとしたが、少しずれている。振り向くと、シミの付いたコンクリートの地面と、大家さんが掃除道具を入れるスチール製の物置があるだけだった。

 なんだか気味が悪くて、小走りで階段を上る。踊り場にさしかかったとき、女の子が言った。

「そこ……」

 全身の皮膚がざわざわし、体に小さな震えが起きた。訳の分からない恐怖に襲われ、駆け上がるスピードを増そうとしたとき、女の子が消えた。私はまるで金縛りにあったように、その場に立ちすくんでしまった。

 それからというもの、毎夜、女の子は現れた。階段下を指さし、私が彼女を見て、たじろぐと消える。

 三日ほどたった朝、ゴミ出しのときに隣室の主婦と顔を合わせたので、思いきって聞いてみた。すると主婦は、悲しそうな顔をして話し始めた。

「ミサトちゃん、苦しかったのね。成仏してほしいけど……」

 主婦によれば、このアパートに住んでいたミサトは、学校帰りにひき逃げに遭ったという。彼女は健気にも自力でアパートまで戻ったが、階段の下あたりで倒れ、息を引き取ったそうだ。

「まだ先週のことなのよ。週末にお葬式があったばかりだから」と主婦。

 私が毎日見る女の子はミサトだろう。ひき逃げ犯が憎くて成仏できないのだろうか。しかし変だ。それならなぜアパートの階段に出るのだろう。

 その夜、残業で遅くなった私は、また女の子を見た。いつもなら彼女が消えてから階段を駆け上がるのだが、今日は思い切って語りかけてみた。

「どうして死んだ場所を指さすの」

 しかしミサトは、階段下を指さすばかりだった。その瞳は悲しみと不安にあふれている。指さす先に重大なものがあると、彼女の表情が示していた。

 改めてその場所を見た。コンクリートで固められたシミの付いた地面と物置があるだけだが、もしかしたら物置に何かがあるのかもしれない。私は意を決してその扉を引いた。

 そこには掃除道具に交じって、なにやらモコモコした黒い物体があった。よく見ると動いている。中に入って、三匹の黒い子猫だと分かった。

 産まれて間もないような小さな命。衰弱しているのか、鳴き声一つたてない。私は両手で三匹を抱えると物置から出た。そしてミサトに「この子たちが気がかりだったの」と問う。すると彼女は微かに笑顔を見せ、消えていった。アパートでは猫は飼えない。物置でこっそり育てようとしたのだろう。

 その後、ミサトが階段に現れることはなくなった。しかし私の部屋に現れ、内緒で飼い始めた子猫を毎日じっと見ている。彼女の幸せそうな顔を見るとお祓いをしてもらう気にはなれず、なんだか奇妙な毎日を送っている。


copyright 2009:Yuu Inoue(Masaru Inagaki)  ffユニオン114号(2009.11月号)掲載


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