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時間戻りの薬 4

井上 由

 妻が亡くなり、男は酒浸りの毎日を送っていた。男にとって、妻だけが心の支えだった。

 妻を連れて行った病院で、医師から不治の病であることを告げられたとき、必ず治すと誓ったが、病気に勝つことはできず、その後は心のどこかで、医療ミスだったのではないかと不審を抱き続けていた。

 妻亡き後、毎日通っている居酒屋で、奇妙な老婆に出会った。真っ白な髪を長く伸ばし、真っ黒なコートのようなものを着ている。酔いの回った男に近づくと老婆は言った。

「旦那さん、これを買ってくださいな。これは時間戻りの薬といって、ふりかけたものを過去へ連れていってくれるんです」

 胡散臭い話だったが「過去に連れていく」という言葉に男が反応した。決して安くはなかったが、男は老婆から時間戻りの薬を買った。

 家に戻り、改めて見ると、薬は透明な瓶に入った黄土色の顆粒だった。男は蓋を回して開け、中身を少し自分にふりかけた。妻が亡くなる前に戻りたいと念じながら。

 気がつくと病院にいた。隣には妻が、目の前には医師がいる。

「ご主人、大丈夫ですか? もう一度言いましょうか?」

 医師が心配そうに言った。

 突然、男は立ち上がり、妻の手を引いて言った。

「ほかの病院へ行こう」

 数時間後、別の病院の診察室に二人はいた。そこで男の意識が遠のいていった。

 気がつくと自宅にいた。目の前に妻の遺影がある。男は独り言を口にした。

「時間戻りの薬は本物だったようだが、過去に戻って病院をかえても、ダメだったのか……」

 その後、男は時間戻りの薬を使って何度も過去へ戻り、さまざまな病院を訪れた。そして妻の病気が治る方法を模索し続けた。しかしダメだった。薬の効果が切れて、元の時間へ戻ると、必ず目の前に妻の遺影があった。

「ダメだ。過去を変えても、未来が変わらない。なぜなんだ」

 深夜、遺影の前で大声を上げた。

 そのとき声がした。

「ありがとう。でも、もういいの」

 妻の声だ。声は続く。

「私は死んでしまったけど、生きている間は楽しかった。あなたと一緒の時間が持てて、本当に良かった。だからもう、時間戻りの薬は使わないで。過去に戻ることよりも、これからのことを考えてほしい……」

 男は声が出せなかった。とにかく妻に生きていてほしいのだ。男の思いを察してか、声が言う。

「死んだ者は生き返らない。過去を変えても。だから未来を見て……」

 いつの間にか眠ったらしく、気がつくと夜が明けていた。遺影の妻は、いつもと変わらぬ笑顔で男を見つめている。そして男は、未来を見ることのできる装置を作ろうと心に決めた。自分が強く生き続けていく未来の姿を妻に見せるために。

 「未来カメラ」が完成したのは、それから数十年後。男が亡くなる前日だった。男は未来を見ることができなかったが、天寿を全うするまで強く生き続けたのであった。


copyright 2011:Yuu Inoue(Masaru Inagaki)  ffユニオン123号(2011.5月号)掲載


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