ショートショット

時間戻りの薬 5

井上 由

 そのとき絵里子は、一人で横断歩道を渡っていた。近くでクルマのタイヤが軋む音がしたかと思うと、突然、恋人の孝史が現れ、絵里子を突き飛ばした。絵里子は歩道の方へと戻され、孝史の体は横断歩道にとどまる。そこへ暴走車が突っ込み、孝史をはね飛ばしてしまった。

 驚いて駆け寄る絵里子。誰かが「救急車!」と叫んでいる。孝史の手を強く握りながら顔を寄せると、彼は「君がいない日々なんて耐えられなか……」と言った。語尾は聞き取れず、そのまま救急車の到着を待ったが、病院に着く前に孝史は亡くなってしまった。

 なぜ突然、孝史が現れたのか、全く見当もつかない。会う約束をした日ではなかったし、その場所は孝史の家からかなり離れていた。

 葬儀が終わり、周囲の人々には孝史の死が過去のことになっていったが、絵里子はショックから立ち直れずにいた。日々の暮らしは送っているものの、誰とも話をせず、ただ生き続けているだけだった。

 孝史の四十九日が終わったころ、彼の両親が絵里子のもとを訪れた。遺品として持ってきた箱には、孝史の文字で「絵里子との思い出」と書かれていた。

 自室に戻った絵里子が箱を開ける。そこには二人で撮った写真や、旅先で拾った貝殻など、たくさんの思い出の品が入っていた。その中に見慣れない小瓶を見つける。瓶は透明で、中に黄土色の顆粒が入っていた。無造作に貼られたラベルには手書きで「時間戻りの薬」と書かれている。また使用方法として「体に振りかけて念じる」とあり、それ以外の文字は見られなかった。

 絵里子は「まさか」と独り言を口にしながら、小瓶の中にある残り少ない顆粒の半分を自分に振りかけてみた。そのとき彼女の頭には、孝史の葬儀の様子が浮かんでいた。

 軽いめまいを覚えて目をつむる。目を開けたときには、葬儀会場にいた。まさに孝史の葬儀が行われている最中だった。驚いた絵里子がさっきまでいた自室を思い浮かべると、まためまいに襲われ、元に戻った。時間戻りの薬は本物だったのだ。

 机の上にあった小瓶を手に取ると、絵里子は決心を固めた。これを使って事故が起きた時間へ戻ろう、そして彼を助けようと。

 残りの顆粒を全て自分に振りかけ、瓶を強く握ったまま目を閉じてあの日を思う。めまいが治まると、絵里子はあの横断歩道にいた。

 孝史が突然現れ、絵里子を突き飛ばした。同時に絵里子は孝史の腕を掴もうとした。必死の思いで手を伸ばしたが届かなかった。孝史は以前と同じように、暴走車にはね飛ばされてしまった。

 駆け寄る絵里子。彼のもとへ自分の手を伸ばしたとき、手の中にあった小瓶を見た孝史が言った。

「君も使ったのか。俺、君がいない日々なんて耐えられなかったんだ」

 絵里子が元の時代へ戻ると、やはり孝史は亡くなったままだった。

 その日から絵里子は、空になった小瓶を手に、時間戻りの薬を求めて町をさまよい続けた。「あなたのいない日々なんて耐えられないんだから」と言い続けながら。


copyright 2013:Yuu Inoue(Masaru Inagaki)  ffユニオン139号(2014.1月号)掲載


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