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時間戻りの薬 6

井上 由

 結婚して十年目に夫の良彦が不治の病にかかった。それを知った妻の友恵は、同僚から聞いた「時間戻りの薬」を手に入れる。それは黄土色の顆粒で、振り掛けた量の分だけ過去へ戻れる薬だという。

 良彦の病室で友恵が言った。

「この薬を使って二人で結婚したころへ戻りましょう。病気が発症したらまた過去へ戻ればいい。薬があれば何度でも戻ることができるわ」

 夫は薬の話を信じなかったが、静かに「うん」と言った。

 結婚した直後の十年前に戻れる量の薬を二人で浴びる。一瞬のめまいの後で、本当に十年前に戻っていた。二人は驚き、喜び合った。

 それから十年の月日がたった。ある日、良彦が体調不良を訴える。あのときと同じように医師から不治の病だと宣告された。友恵が言う。

「もう一度、過去へ戻りましょう」

 良彦は「うん」と言わなかった。

「もうやめよう……」

 驚く友恵。

「どうしてよ。戻りましょうよ」

 良彦は言う。過去へ戻ってからの十年間、また病気が発症すると思い続けていたから未来へ希望が持てなかった、こんなことを繰り返しても苦しいだけだと思った、と。

 友恵は納得できない。二人で何日も議論を続けたが結論が出ない。そこで良彦

「じゃあ、あと一回だけ」と言い、友恵を納得させた。

 時間戻りの薬を振り掛けて、また過去へ戻ったとき、友恵は自分が中学校の制服を着ているのを知る。どうやら二十年前に戻ったらしい。薬の量を間違えたのだろうか。いや、そんなはずはない。もしかしたら良彦が量を増やしたのでは……。

 友恵の想像は当たっていた。

 良彦は中学を卒業後、友恵と知り合った高校へ入学せずに、地元から遠く離れた全寮制の高校へ入学した。良彦は、もう誰とも結婚しないと心に決めていた。

 それから何年かが過ぎ、良彦が就職する。入ったのは実家から遠く離れた県にある会社だった。

 入社式が終わり、一人住まいのアパートへ向かうとき声を掛けられた。顔を向けると友恵がいた。

「ど、どうして君がここに」

 驚く良彦。友恵がほほえみながら言う。目には涙が浮かんでいた。

「ずっと探してたのよ」

 良彦はうれしさを抑えて言った。

「君は僕と一緒にいてはいけない」

 自分は先に死んでしまうのだから、友恵に悲しい思いをさせたくないと思ったのだ。しかし友恵は違った。しっかりと良彦を見て言った。

「私たちは過去へ行ったけど、戻る前の記憶はなくならなかった。だからあなたは病気におびえながら暮らしたのね。でも記憶があるから、私たちが一緒に暮らした時間は、私たちの中から決して消えないの。結婚式で二人が生涯一緒に暮らすと誓い合ったことも忘れない。私はその誓いを破るつもりはない。あなたが私を大嫌いにならない限り」

 二人は結婚。一年後に女の子が生まれた。過去に戻る前は十年たっても子供に恵まれなかったが、もしかしたら運命が変わったのかもしれない。二人は新たな人生に希望を持った。そして時間戻りの薬を捨てた。


copyright 2015:Yuu Inoue(Masaru Inagaki)  ffユニオン149号(2015.9月号)掲載


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