温泉会の神話と歴史

 

1997.12.23作成
1998.03.16更新
1999.02.20更新
2001.02.18更新
2001.08.18更新
2002.02.12更新
2005.03.21更新








神話の時代

 温泉会の起こりは、大学を卒業したての新と青さんが飲み屋で「どこか温泉に行こう」という話をしたときから始まったらしい。このとき青さんは、徒歩でしかいけない八丁の湯を推したらしいが、新がそれを思い止まらせて誰でも参加できるようにしたらしい。

 この誰もが気楽に参加できるというのが温泉会をいままで続けていられる大きな要因の一つであることは間違いないだろう。

第1回 1983.1.15-16  湯西川(亀屋)

 歴史と神話の接点、第1回温泉会は雪の湯西川で行われた。

 大学卒業してまもなくということで、誰がどこにいるのかという情報も少ないまま始まった温泉会の参加者はわずか4名であった(と言われている。とにかく筆者が参加していなかったので詳細は不明である)

 このとき、鈴木があとからタクシーを飛ばして温泉会史上最初の「追いかけ」を行なった。

第2回 1984.15-16  川治(柏屋)

 温泉会は第2回目にして拡大傾向を見せ始めた。参加人数は75%増の7人となった。

 このころはまだ集まって温泉に入ることだけが目的であったので、現地についても特別なイベントは行われていなかった。そのせいか、凍てついた龍王峡でバスを待つ間に、人間双六などをして時間を潰していた。

第3回 1985.1.26-27  七沢(中屋旅館)

 拡大傾向を示し始めていた初期温泉会は、あっというまに危機的状況を迎えた。

 開催直前の幹事交代もあり、参加人数は5人にとどまった。

 この回は温泉会史上最初(にして最後?)の自動車による旅となった。丹沢の懐・七沢温泉で湯につかり、名物のシシ鍋をたべた翌日、魚を食べようと車で海に向かい、大磯まで出て、そのまま真鶴まで行くことになった。

 しかし、二日酔いの体で車の運転は辛かったためか、この後車による温泉会は提案されるものの、実現したためしがない。

 なお、七沢の湯はヌルヌルすべすべした湯で、これ以後似たような温泉に入るたびに話題に取り上げられている。

第4回 1986.1.25-26  強羅(石くら)

 第一次造山活動期。西村研を取り込む形で再び増加を始めた温泉会は小林・片桐にとどまらず、とうとう山本さんまで巻き込んでしまった。

 なお、このとき行われたどこどこどっこい大会で強羅の旅館街を壊滅させたことは、 紀行文 に記されている。

第5回 1987.1.17-18  秩父(白百合荘)

 温泉会の拡大傾向も落ち着いて、5回目ともなると質的な充実が図られるようになった。温泉会にアトラクション初登場し、鈴木の用意したゲームや商品にみな一喜一憂した。このときの賞品のウノは、その後温泉会に欠かすことのできないゲームとなった。

 またこの回は武甲正宗の造り酒屋見学も行われた。できたての日本酒の美味さにみな感激した。

 温泉会メンバーの中でも白百合荘は「もう一度行きたい」「別の機会に利用した」というリピーターの多い宿である。

第6回 1988.1.23-24  網代(松風苑)

 このころになると参加メンバーも安定してきて、なにかしらのイベント中心の温泉会となってきた。この回では網代の海辺のテニスコートでテニスを楽しむはずだった。

 が、しかし、不幸にして風の強い日にあたってしまい、さらにテニスコートが海辺にあったため風を遮る物もなく、テニスどころではなくなってしまった。そうそうに引き上げて、熱海まで行ってそば屋で酒を飲みながら暖をとった。

第7回 1989.2.28-29  越後湯沢(滝乃湯旅館)

 イベント型温泉会の集大成。とうとう温泉会でスキーをしに行った。開催前は雪不足を心配し、当日は強風に悩まされながらも、結局2日間スキー三昧の温泉会であった。スキーのあとは温泉へ入り、料理を食べて夜はウノ。この後ウノは温泉会の定番となった。

 新幹線を利用した温泉会は、あっという間に上野に帰ってきてしまった。何となく物足りなかったのか、駅前の居酒屋で二次会を開いてお開きとなる。

第8回 1990.2.03-04  奥湯本温泉(豊栄荘)

 第7回温泉会で、質的な拡大を果した温泉会は、8年目を迎えて原点回帰を始めた。2日のイベントに露天風呂を選び、温泉三昧の温泉会となった。さらに、安藤と藤井という新たなメンバーを加えて第二次造山活動を開始した。

 単なる原点回帰にとどまらず、キジの剥製に盛られた雉の唐揚げを食すというグルメ的志向を見せ始めるという質的な変化も見られた。

第9回 1991.2.02-03  伊豆長岡(伊豆長岡京急ホテル) 

 世の中のグルメブームに呼応して温泉会はグルメ化路線を進んだ。

 この回は小林が豊橋から遥々新幹線で参加した。一方東京発の一行は集合場所に選んだ新幹線が当日は走らない臨時電車であったというトラブルに見まわれながらも無事全員再会することができた。

 この回に初めて温泉会に導入されたものは、パターゴルフと新の持ってきたCD。そして今回のグルメメニューは、三島のウナギであった。

第10回 1992.2.22-23  強羅( 照本 )

 温泉会も回を重ねて第10回。偶然にも第4回の石くらとは目と鼻の先の照本。第4回ではバスで行った大湧谷へ、今回はロープウェイでいく。はからずも、温泉会の歴史を振り返る回となってしまった。

 温泉会グルメ化の前に越後湯沢で屋台のラーメンを食べ損ねたというトラウマが今回癒されることとなった。照本玄関前にやってきた屋台のラーメンに全員舌鼓を打った。  

第11回 1993.2.20-21  伊豆稲取(ホテル福美)

 第11回は、鈴木が最終の新幹線とタクシーを乗り継いで追いかけてくるという大技を披露した。これぞ、温泉会の精神そのものというべきであろう。

 その夜、鈴木が来るまでは温泉街をぶらついて、パチンコをしたり射的場にいったりと温泉会ではめずらしく温泉街をぶらついていた。さて、そろそろ酒を買い出しに行こうかと酒屋に入ったときに、タクシーで追いかけてきた鈴木と偶然出会うことができた。

 2日目はバイオパークで、写真の撮影会を眺めたりバギーに乗ったりゲームセンターで時間をつぶしたりして過ごした。

 なお今回のグルメメニューは金目鯛の味噌汁であった。

第12回 1994.2.19-20  秩父(新木鉱泉)

 温泉会は再び秩父へと向かった。今回の幹事は鈴木。集合時間には幹事が食料から車中に読む雑誌まで取り揃えてくれた。この辺りのまめなところは、さすがに鈴木である。

 行き先は新木鉱泉。前回の稲取のスノッブな趣とは異なり、とても素朴な所であった。宿は築200年という古い建物で、太い梁や急な階段があって、これも趣があってよかった。

 その趣のある建物の一室で鯉のあらいなどの料理に舌鼓をうち、その後宴会。

 翌日はミューズパークでスケートをした後、例によってレッドアローの中で酒盛りをして帰る。

第13回 1995.2.11-12  大子温泉( 奥久慈グランドホテル )

 温泉会のグルメ化傾向は前回の鯉のあらいで幕を閉じ、今回は偕楽園で焼きソバ、たこ焼き、鮎の塩焼きなどを買って食べるという素朴な旅行となった。

 今回の行き先は常陸大子。水戸から水郡線のワンマンカーのにって行くという温泉会ローカル線指向の第1回目。本数の少ないローカル線を使うということもあって、2日目の出発は温泉会にしては異例の朝の9時。酒量も減って新春温泉会は新春健康会になった感があった。

 前述したように、2日目は偕楽園を廻って、早い時間のぼろいひたちで我孫子まで帰る青さんを見送った後、一行は上野駅へ。そして、構内でビールで乾杯をして温泉会は終了した。  

第14回 1996.2.10-11  上三依塩原(旅館梅川荘)

 温泉会ローカル化第2回。筆者は、仕事のため小雪の舞う赤坂のプリンタルームから電話での参加となった。(したがって詳細を記すことはできない (泣)  

第15回 1997.2.08-09  別所温泉(和泉屋)

 温泉会ローカル線化第3段は別所温泉。青さんのたっての希望をかなえての別所だが、その青さんが今回は不参加。宿に到着早々に、信仰深い一行は北向観音など別所のお寺巡りを開始する。さすが歴史の長い温泉街。町の景色がどことなく鄙びたいい味を出している。

 今回は盛りだくさん。翌日上田に行くと、寸暇を惜しんで上田城址見学。その後長野の実家に帰る北沢と別れて、小諸へ。小諸城址をぐるっと迂回して、寅さん会館へ。そこで各自しばし寅さんの思い出にそれぞれひたり、再び小諸駅前へ。駅前で蕎麦とあげまんじゅうを食べると、近くの大塚酒造を見学。そこで発酵中のまだ酸味のある日本酒を樽からすくっていただく。駅前でみやげものを買って、再び車中宴会へ。

 信越本線横川-軽井沢間は、この年の9月30日をもって廃線となった。

第16回 1998.2.28-3.01  磐梯熱海(旅篭松柏)

 信越本線を配線に追いやった温泉会はとうとう東北まで足を伸ばした。東北新幹線と磐越西線を乗り継いで、磐梯熱海まで行ったが、流石に交通費がかさむことがわったためか、ローカル線指向は今回をもって一先ず打ち切られる。

 この会の特筆すべき点は、インターネットを利用してボーリング場と宿を予約したこと。連絡手段として携帯電話が活躍したこと。世間でITが騒がれる2年前に温泉会のIT化は始っていた。

第17回 1999.2.12-2.14  秩父(竹取物語)

 温泉会は再び安近短(死語か?)の旅へと回帰していった。しかしここで活躍したのが幹事の鈴木。上質の宿や車中の飲み物・つまみは言わずもがな。1日目の昼食の予約、2日目のタクシーの手配、さらに「ぎゅうや」という絶品の昼食の予約と、実に充実した旅を堪能することができた。「おもてなし」という温泉会にとっての新しい方向性が提示された年であった。

第18回 2000.2.10-2.11  北川(つるやホテル)

 前回鈴木が打ち出した「おもてなし」をさらに発展させたのは、小林であった。 紀行文 に書いたように、シュウマイ・フランスパンなどの他に、手作りのつまみを用意するという周到さ。幹事の性格によって温泉会の性格が変わってくる。毎回幹事がそれぞれの独自のカラーを出せるというのも、これだけつきあいが長くて、お互いをよく知っているからできることであろう。

第19回 2001.2.10-2.11  沼津(KKR沼津はまゆう)

 20回目を目前にし、温泉会の本質に立ち返りつつある温泉会。温泉を求めて、沼津から三島までバスの旅を敢行した。宿泊客の少ない時期だったため、スナック貸し切り状態でのカラオケ三昧など、今までの温泉会の流れと、20回以降の流れの交点となった会であった。

 また、この回では小林が追いかけ+早退の両方をこなし、温泉会のもう一つの醍醐味を堪能した。

第20回 2002.2.09-2.10  夫婦淵(夫婦淵温泉ホテル)

 区切りの20回は温泉会の原点回帰。まさに第一回幻となった八丁の湯への入り口と夫婦淵まで、電車とバスを乗り継ぎ往復6時間の長旅となった。ここで、八丁の湯までいかず、夫婦淵で手を打つという「ゆるさ」がその後の温泉会のテーマとなった。

第21回 2003.2.08-2.09  伊香保(ホテル轟)

 温泉会未踏の地群馬。足を延ばせばすぐにスキー場といえども「ゆるさ」をテーマとした温泉会はスキーはとらず、ひたすら温泉と温泉街を彷徨うことを選択した。しかも、伊香保の石段にめげて、部屋で休むもの、寒さにめげて露天風呂に入らぬもの。温泉会は、ひたすら「ゆるさ」を求めて、これを否定しない。

第22回 2004.2.06-2.07  勝沼(ぶどうの丘)

 温泉会は、「かいじ」に乗り込み勝沼へ。公共の宿+ワインという、温泉会初の試みであったが、みな美味な料理とワインに堪能した。

 翌日、参加者の多くが早く帰るって、別の用事をこなすことができるなどということも、温泉会の「ゆるさ」の所以である。

第23回 2005.2.05-2.06  塔ノ沢(山の茶屋)


温泉会ホームページへ