暗い部屋の中で彼は書き物をしている。穏和な表情をして、書く文章は過激で煽動的で、そのくせやっぱり筆致は相貌に違わず落ち着き払っている。灯りを灯す訳にはいかないからと言って月明かりの中で、天窓を開け放ち一心に書いている。幸い、今夜は風もない。不用意に書きかけの紙片を飛ばすこともない。夜闇に溶けそうな青インクの文字を、じっと見つめていた。
「たのしいか?」
筆も止めずに聞いてきた。顔も上げずに数十枚目の原稿用紙を引き寄せる。
「何がだ?」
「じっと見ているからだ。」
「見ているだけだ。」
実際、「楽しい」というのは感情だ。一々感情を自覚していたら、俺は仕事にならない。
「何故、見ているだけなんだ?」
「約束だからな。」
「約束?」
「お前との約束だ。忘れたか?」
漸く、彼は顔を上げた。蒼白な顔が月明かりに照らされる。表情は何時もと同じ。
「覚えている。」
 心臓を止めようとした一瞬前に交わした約束。

「私の命などくれてやる。だが、私の望みが叶うまでは待ってくれ。」

言葉と、目と、呼吸と、心臓の鼓動と。その瞬間に俺は縛り付けられた。

「良いだろう。お前の望みが成就したその時に、お前を殺してやろう。」

以来、俺は彼を見続けている。彼の言葉が深淵から湧き出していることや彼の目が見ている果て、彼の存在意義、そして彼の望みを、じっと見続けている。
「けれどお前は私ではない人間は私がどんなに望んでも、容赦なく殺すんだな。」
「何かお前ははき違えていないか?俺はそれが仕事だ。」
「グウェンもバンチョイも殺したな。」
「お前を裏切ったからだよ。」
「彼らは同志だ。」
「そうだな、でなければ裏切りとは言わないな。」
「…私は殺さないのか?」
「まだ革命は成就していない。」
「貴族達の支配は崩れた。王侯は皆暴徒に殺され、民衆の議会が国家の体制を形作った。農奴は解放され財産は新たに保証された。それでも革命はまだ終わらないのか?」
「終わったと思うのなら、何故お前は未だ書くんだ?」
彼も知っている。革命は未だ終わっていない。旧支配者が死んで新たな支配者が出来上がっただけだ。王侯貴族は没落したが、ブルジョワジーが台頭して新たな弱者を支配し始めている。弱者がいて強者がそれを支配する構図は全く変化していない。役者が変わっただけだ。
だから彼は革命をやめない。新体制政府は「回天革命」の功労者である彼を既に危険思想者と見倣し始めている。
「お前の革命は成就しない。」
「お前も私の理想が高すぎると言うのか?」
「そうではない。もっと根本的な理由だ。」
革命とは全てをひっくり返して変革することだ。

「お前自身が全く真実そのものだ。何時の世にも変わりがない。お前自身が変わらないことには革命は成就しない。しかし、お前は永遠不変だ。」
「…永遠不変などこの世には存在しないさ。するとしたらそれは神のみだ。」
「その神すらも変えなければお前の真実の革命は終了しない。」

「そしてその日は永遠に来ないだろう。つまり、俺がお前を殺す日も、永久に来ない。」

急に風が吹き込んで、書きかけの紙片を数枚月に向かって飛ばした。

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