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報告

 

2003年1月19日、警察庁が打ち出したいわゆる「出会い系サイト」の法的規制(中間検討案)についての意見
2002年10月5日、オタクと代議士秘書との懇談会報告
2002年9月14日、国連人権資料の読書会報告
2002年8月17日、子どもの性的虐待をテーマとした本の読書会報告

 

2002年12月26日、警察庁はいわゆる「出会い系サイト」に買春相手を探すメッセージを書き込む行為を法律で禁止する事を主旨とした規制案(中間検討案)を公表しました。

グリーントライアングルでは、いわゆる「出会い系サイト」に対して、買春相手を探すメッセージを書き込む行為以外にも、マルチ商法まがいのいわゆる「もうけ話」や詐欺まがいの情報が掲載されたり、あるいはチェーンメールを煽動するなどと、社会経験の乏しい未成年にとっては危険な要素が数多く含まれていると考えています。
しかしながら、警察庁が打ち出したいわゆる「出会い系サイト」に対する法規制案(中間検討案)は、児童の人権保護ではなく児童への懲罰を目的としており、被害児童の救済を著しく阻害すると考え、基本的には反対の立場をとることとしました。
グリーントライアングルでは、いわゆる「出会い系サイト」に対して、サイト運営業者によるゾーニング措置が望ましいと考えます。児童はあくまでも「被害者」であり、処罰対象にするという警察庁の中間検討案には断固として修正を要求します。

まず「不正勧誘」と定義された相手を探すメッセージについて、買う側(大人側)だけでなく、誘う側の児童の書き込みも禁止すべきとしていること、また性交渉を目的としたものはもちろん、それに発展する可能性が高い金銭授受を伴ったデート勧誘なども禁止する点については、止むを得ないと考えます。売春については「非犯罪化」論が存在しているものの、売春防止法が厳然として存在する以上、法の執行者である警察が「立法措置によって」売春及び売春類似行為を禁じようと試みるのは、法治国家において筋の通った行為といわざるをえません。
また、児童側の勧誘禁止に関して、警察庁の少年有害環境対策研究会では「大人も児童も等しくインターネットを使う者である以上、大人と児童を区別せず、そのルールの遵守を求める」としている点についても、WEB空間で大人と子どもの区別をつける事が困難である為、止むを得ないと考えます。

次に、児童が携帯電話を使って“出会い系”サイトにアクセスすること自体を禁止する点については、ゾーニングという観点から「特定のアダルトコンテンツを含むサイト」へのアクセス、例えばSMのように「肉体的危険が伴う」内容、あるいはスワップ目的のように「人間関係上の処理能力が追いつかないであろう」サイト、高額の登録費を要求するサイト等へのアクセスを禁じるのは止むを得ないと考えます。
しかし、それでもなお「まず業者の側に排除責任」を求めるべきであり、児童の側に「アクセス禁止を求める」という中間検討案は、児童の責任を過剰に追求していると考えます。

特に携帯電話“出会い系”サイトについては、まずサイトの運営者に対して「児童が利用しにくくなるような措置を講じる」よう義務付けるべきです。

最も問題なのは、中間検討案において「不正勧誘行為を児童自らが進んで積極的に行っている以上、これを単に禁止するだけでは効果は不十分」とし、児童を処罰対象としている点です。
児童に対する責任を重く捉えることは、性的搾取者にとって都合が良い情況を生み出し、被害者の救済を著しく阻害します。この点については、断固として反対します。
未成年者を性的に搾取した成人がひんぱんに使う言い訳に、次のようなものがあります。

−セックスを求めてきたのは子どものほうだ、自分は子どもの要求に応じただけで、責任は子どもにある−

子どもが要求してきたからといっても、それが「子どもを傷つけ、搾取する行為」であるならば、要求をはねつけるのが大人の態度であり責任なのではないでしょうか?
中間検討案は搾取者の行為を追認するものであり、また被害の隠蔽につながるものといえ、極めて深刻な問題があります。
日本政府も批准している児童の権利に関する条約の第34条では、次のようにうたわれています。警察庁の少年有害環境対策研究会に対しては、児童の権利に関する条約の精神に則り、児童の人権擁護を念頭に置いた法案作成を求めます。

第34条
締約国は、あらゆる形態の性的搾取及び性的虐待から児童を保護することを約束する。このため、締約国は、特に、次のことを防止するためのすべての適当な国内、二国間及び多数国間の措置をとる。

児童の権利に関する条約・第34条

グリーントライアングルでは、なによりも「児童の保護」という観点に立った立法を求め、児童を処罰することで大人の責任を児童に転嫁するような法案へは断固として反対します。

(1月19日付)

グリーントライアングルでは、先日10月5日に「オタクと代議士秘書との懇談会」と題するミーティングを開催した。

 日時: 10月5日(土曜日)

 会場: JR巣鴨駅すぐそば(改札口を背に左折)のビル2F、喫茶店ルノアールの予約席。

 時間: 午後12時から、午後2時30分

 会の模様
 グリーントライアングルにおいては、児童の人権を保護する活動の一環として政治的なアプローチも重視しているが、まず参加者達の間で政治に関する基本的な常識を共有することが必要だと判断した。今回は、家西悟事務所の政策秘書である石塚さとし氏をまねき、日本における基本的な政治システムの成り立ちと、国会議員や議員秘書が具体的にどのような政治活動を行っているのかについてレクチャーしていただいた。

 

 石塚さとし氏のプロフィール
 渋谷区議会議員から東京都議会議員を経て、現在は家西悟事務所で政策秘書を務めている。
 若年で区議会議員になるということのさきがけ的存在とも言われている。
 現在は国民健康に関る様々な問題と取り組む機会が多いが、中でもリプロダクティブ・ヘルスなどの問題に関心を寄せている。

 

国会について
(1)国会の役割
憲法41条において「国会は国権の最高機関であって、唯一の立法機関である」と定められている。つまり、国会は以下のような地位を備えていることになる。

1:国民の代表機関
2:国権の最高機関
3:唯一の立法機関

だが、実情は必ずしも憲法の規定通りと言えない側面もあるため、現実的な国会の位置づけや機能については、以下のように3種類の学説がある。

1:国権の最高機関=統括機関説(独立機能説)
国会は行政、司法から完全に独立しているとする説で、政治理論的にも憲法の規定と国会の位置づけが一致しているとしている。しかし、少なくとも日本における国会の実態は、この理論からもかけ離れている。

2:政治的美称説
政治的に「国権の最高機関」と位置づけられてはいるものの、それは「建前」でしかない。現実に国家の権力が国会に集中している、あるいは国会が国家において最高の権力機関であるかどうかは別問題であるとする説。日本において政治的美称説がどの程度まで支持されているかは不明だが、国会の実体は政治的美称説に近いとする専門家は少なくない。

3:総合調整機能説
国会は、行政(内閣)や司法など、他の権力を調整する機能だとする説で、恐らくは最も支持されている政治的学説であろうとされている。

 

<石塚氏より>
憲法には司法・立法・行政という三権が規定されているが、日本において三権分立という憲法の理念が、政治における仕組みとして機能しているかどうか疑問では?
理想では司法・立法・行政が、正三角形を形作っているべきなのだが、実際には「行政」が突出した二等辺三角形になっている。せめて「総合調整機能説」程度の力をもち、そこから「国権の最高機関=統括機関説」へ近づけるべきだ。

松代より補足
カナダとロシアを除く先進国首脳会議参加国における下院議会代議員数の比較(2000年)

イギリス659議席議員1人あたり総人口 88659人小選挙区制
アメリカ435議席議員1人あたり総人口616092人小選挙区制
ドイツ656議席議員1人あたり総人口125091人小選挙区比例代表併用制
フランス577議席議員1人あたり総人口101369人小選挙区2回投票制
イタリア630議席議員1人あたり総人口 91444人小選挙区制と比例代表制の組合せ
日本480議席議員1人あたり総人口263929人小選挙区比例代表併用制

イギリスとアメリカ、イタリアは1997年、ドイツとフランスは1998年、日本は2000年の人口統計値を使用した

 

カナダとロシアを除く先進国首脳会議参加国における下院議会選挙権、被選挙権年齢の比較(2000年)

イギリス選挙権年齢18歳被選挙権年齢21歳
アメリカ選挙権年齢18歳被選挙権年齢25歳
ドイツ 選挙権年齢18歳被選挙権年齢18歳
フランス選挙権年齢18歳被選挙権年齢23歳
イタリア選挙権年齢18歳被選挙権年齢25歳
日  本選挙権年齢20歳被選挙権年齢25歳

いわゆる先進国の中でも日本とアメリカは下院議会の議席数が特に少なく、国民と議員との距離が大きいと言える。大統領を国民が選出する(厳密には選挙人方式の間接選挙)アメリカと異なり、日本は議員内閣制を採用していることを考えると、議席数の少なさはいささか異常とさえいえるだろう。議員1人あたりの総人口で比較するとその深刻さがいっそうきわだつが、単純に計算しても日本ではイギリスやイタリアの3倍、ドイツやフランスの2倍以上もの票を集めないと下院、つまり衆議院では当選できないこととなる。
日本以外の各国はいずれも選挙権年齢が18歳なので、総人口が単純に有権者人口と比例しているとはいえないものの、1票のもつ力がこれだけ露骨に小さいようでは国民の政治離れが起るのも無理はないといえる。また、イタリアやフランスでも若年層が積極的に政治へ参加しているのに対し、日本では反対に若年層ほど政治から離れているという現象についても、下院議席数の少なさと選挙権年齢の高さが大きな影響を及ぼしていると考えられる。

政治が国民から遊離すると、国民の代表である政治家の力は小さくなり、相対的に政治に対する行政(官僚)の力が大きくなる。行政(官僚)は国民に対して直接的な責任を負っていないし、まして国民が選出するものではないため、最終的には国民の意見が政治に反映されにくくなる。

 

(2)政策活動
国会議員のタイプ
国会議員には、大きく分けて3つのタイプがいる。

1:利権誘導型
代表的なのは鈴木宗男。政界には「金帰火来」という言葉があるように、週末ごと地元に帰って地元へ利権を誘導するのを、国会議員の仕事だと考えているタイプ。

2:政策立案型
政界には「議員連盟」(略して議連)という、政策を立案するため議員が集まった組織的な存在がある。たとえば「NPO議連」なり「死刑廃止」なり「夫婦別姓」なりの政策ごとに党派を越えて議員連盟を作り、代表には与党…とくに自民党の議員を飾りとして置き、事務長として力を振るうというのが「政策立案型」だ。
ただし、このような「政策立案型」にも2種類あり、政策は利権のための道具だと考える「利益型」と、そうではない「国民型」の2つに分かれる。

松代より補足
議連を中心に活動していても、その実態は利権誘導型の議員は少なくない。単純に外面的な議員の活動ばかりではなく、地元中心、利益誘導中心の政策を打ち出しているか、そうでないかをチェックしないとならないだろう。

3:市民活動型
代表的なのは、辻元清美。このタイプはもっと増えていいし、他の先進国には一定数いるのだが、日本では非常に少ない。

松代より補足
いわゆる「市民派」といっても様々あるように、議員本人の問題意識のありようによっては長老政治家の血縁者であったとしても、市民活動型の議員となりえる可能性はある(日本には例が無い)。反対に、外面的には市民活動型であったとしても、実態は権力の側にたった有力な圧力団体の組織的支援を受けてようやく当選したような議員となると、やはり市民活動型といえないだろう。

議員の政策活動
国会議員が政策立案をはじめとする政治活動を行う上で、以下のスタッフや組織が使われる。

1:秘書 
秘書には3種類ある。政策秘書、公設秘書、私設秘書。
公設秘書は2人に定められているが、私設秘書は何人いてもいい。
公設秘書には国から給与が支払われる。
私設秘書には議員のポケットマネーから給与が支払われる。
いわゆる「口利き」を防止する「斡旋利得収賄罪」の範囲が、ようやく私設秘書にまで広がった。

松代より補足
公設、私設を問わず、議員の秘書は議員の政治、政策活動を支える存在であり、私設秘書であっても大きな政治力を持ちえる。

政策秘書は公設秘書の一種で、試験を受けて獲得する「資格」である。
だが、10年以上の秘書経験がある者は、わずかな研修だけで政策秘書資格を得るという「裏道」があり、自民党議員はかなりこれを利用している(辻元清美などの「秘書問題」が出るまで、石塚氏はこのことを知らなかった)。
また、国家一種試験を合格した者や、弁護士資格者、博士号を取得している者は無試験、あるいはわずかな研修だけで政策秘書資格を得ることができる。
ここにも問題がある。
博士号にも色々あり、たとえば医学博士の資格を持っている者もやはり無試験で「政策秘書資格を獲得可能」だが、医学と政策立案に必要な知識との間に何の関係があるのか?
この「政策秘書」資格は「公設秘書」を増やすため、故梶山静六の鶴の一声で決まった制度だ。しかし、このように「数合わせ」とも受け取られかねない運用実態がある。

参考:朝日新聞社・asahi.com・みんなのニュースランド「政治家の秘書ってなに?」
http://www.asahi.com/edu/newsland/0411a.html
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2:政党・会派(政調)
政調は政党によって政務調査会、政務審議会、などと呼び方が違う。政策を立案したり、政策に関る政治問題を調査、検討することが目的とされている。

3:委員会調査室
予算委員会、外交委員会など。
行政から事務職が7〜8人振り分けられ、様々な政策立案活動を行っている。
政策立案に関る議員の労力負担は軽減されるが、政策の内容が省庁からの出向者に左右されるという困った傾向がある。

4:国会図書館
本義的には議員が調べものをするための機関であり、議員が要求すればそれ相応の資料が揃う。それなりに機能しているが、英語以外の外国語資料には弱い。たとえば、欧州系の法律については情報収集力が弱い。

5:議院法制局
議員の仕事は本来「立法」である。とはいえ、議員がみな法学部出身ではないので、議院法制局が法律の作り方を指導する(実際に記述する)。
制度上は衆院・参院に下属している。だが、実際は内閣法制局に従っている。
議院法制局は議員がムチャな法律を作って日本を暴走させたりしない、というギリギリの歯止めになってきた、という点は評価されるべきだ。その反面、国の方針とは違う法律、また人権を重視した法律などを議員立法しようとすると、嫌がらせをして邪魔するということもしている。
そのため、議員提出の法律案は少なく、そのうち国会を通過する法律案は更に少ない。
省庁から内閣法制局を通じて内閣提出の法律を国会で承認する、というケースが多い。

松代より補足
日本においては議員個人が抱えるスタッフ(政策立案要員)が極めて少なく、必然的に議員は政党や議員連絡会という会派、あるいは政府の支援を受けて政策を立案することとなる。また、議員個人が抱える数少ない政策立案要員の政策秘書でさえも、その実態は永年勤続者へのハク付け資格となっており、日本では議員個人の政策立案能力が極めて低く押さえられている。
日本の政治システムでは議員個人が独自に政策を立案する、あるいは個人的理念に従って政策を追及することが極めて困難である。
なんらかの政策を立案するためには、複数の政治家に呼びかけて「議員連盟を立ち上げる」か、または党内世論をまとめて政党の支援を受けるか、あるいは特定省庁の支援を受けるといった手続きが必要といえる。政策立案における議員個人の暴走を防ぐという効果はあるが、いずれにしても「少数者の意見が反映されづらい」といえ、また「党内や議会内で多数派を構成する」権力者に有利なシステムである。

(3)下院議員スタッフの各国比較

日本
事務局職員衆院1832人
議会補佐機関152人
議員秘書衆院1500人
合計3484人議員1人あたり7.26人
アメリカ
事務局職員下院2548人
議会補佐機関4599人
議員秘書下院7282人
合計14429人議員1人あたり33.2人
イギリス
事務局職員下院1384人
議員秘書下院1423人
合計3135人議員1人あたり4.26人
ドイツ
事務局職員下院2160人
議員秘書下院4008人
合計6347人議員1人あたり9.4人
フランス
事務局職員下院1279人
議員秘書下院2111人
合計3390人議員1人あたり5.9人

(注)

日本
事務局職員は98年度予算定員(法制局、常任委員会調査室を含む)
議員秘書は98年度の公設秘書の雇用可能人員の上限(各議員3人)
議会補佐機関の152人は、国会図書館調査局の98年4月の職員
この後、定数是正があったので、現在は議員秘書の数は、480×3人

アメリカ
人数は97年現在。事務職局員には委員会スタッフを含む。
議会補佐機関には、議会図書館調査局(747人)、議会予算局(232人)会計検査院(3500人)のほか、合同委員会スタッフ(120人)を含む。

イギリス
下院事務局職員は98年3月の定員。
議員秘書は94−95年度の現員。

ドイツ
上下院事務職員は、97年度予算定員。議員秘書は、91年末の現員。

フランス
下院事務局は99年度現員。上院事務局職員は94年現員。
議員秘書は、下院が98年、上院が97年の現員。

ここから見えるように、日本の議員スタッフの数は決して多くない。
むしろアメリカに比べたら圧倒的に少ない。アメリカは議員の数が少なくても議会スタッフが多いので、議会全体での政策立案能力は高く、また議員秘書を通じた「議員と国民との意見交換」が積極的に行われている。欧州の各国も議員スタッフは少ないが、議員の絶対数が多いため、議会全体での政策立案能力は高いといえる。個々の議員に強力なスタッフを持たせるか、個々の力は弱くても多数の議員が存在することで全体としての力を確保するかは議論の別れるところだが、力の弱い議員が少ない議会というのはあまりにも問題が多い。
議員定数削減議論はかなり怪しい議論であり、国民の政治離れを加速させる危険性がある。政策立案能力の低い議員が小数というのはお話しにならない。議員の数を増やすか、あるいは議員の政策立案能力を高めるため、議会スタッフを増員するかのいずれかだと思う。
現状では政策立案は議員への個人負担が大きく、議員は政策を立案すればするほど「選挙対策がおろそかになる」というジレンマを抱えている。もし議員定数を減らすと、熱心に政策の仕事をしている市民派の議員から落ちていくだろう。
特に地方議会は、議員への給付金を減らしてでも、議員の数を増やしたほうがいい。
そうでなくては、ごく一部の人たちの利権で地域の生活が規定されてしまうようになる。

(11月9日付)

グリーントライアングルでは、先日9月14日に国連人権資料の読書会を開催した。

 日時: 9月14日(土曜日)

 会場: 渋谷区大向区民館和室(15人部屋)

 時間: 午後5時30分から、午後9時30分

 会の模様
 まず、読書会指定資料から『人権を教える 初・中等教育用実践ガイド』から「はじめに」と「第1章、第2章の一部」を選び、全員で読み合わせた。
 読み合わせの後で休憩をとり、参加者の発言を織り交ぜつつ、人権宣言の文言を再検討した。人権宣言の文言を検討する時間においては、概ね以下のような意見がとり交わされた。

 

 テキストの説明
 「人権教育の手引書。小学校から高校までの教師が人権についての意識や理解を育てようとするとにのために、基本的な情報や実践に利用できる授業案を提供する」(国連広報センター:1993年作成)

・簡素な文について
この「簡素な文」は国連の資料にも記載されている文章であり、国連広報センターによる正式な解釈だと考えられる。このサイトにおいても、この「簡素な文」は『世界人権宣言』を理解する指針になるだろうと考え、両方の文章を併記している。

・児童への性的虐待を議論する前に、まず「人権」に関する基礎を確認する必要があると考えた。そのため、国連が作成した教育ガイドを通じて「人権」がどのように規定されているかを確認し、各人が「人権」に対する基礎的な知識を共有することを目的とした。
・人権とは、人が生まれたときから持っている権利であり、誰かから与えられるものではない。
・当然ながら「ちゃんとした人に、褒美として与えられる」ものでもない。
・また、特定の人間や人間集団に対して「××には人権はない」などという言説は完全な誤りだ。ただし、いくつかの局面において「人権の一部停止」ということはありうる
・例えば、国や自治体は「他人の人権を侵害した人」の人権を、法の定める手続きに従って停止する権利(機能)を持つ(死刑は究極の人権停止である)。ただし、これは「国や自治体が人権を与えているから」ではない。
・国家に代表される社会集団が「人権の賦与」に無関係であることは「世界人権宣言」にも明記されている。第2条第2項に「個人の属する国又は地域が独立国であると、信託統治地域であると、非自治地域であると、又は他のなんらかの主権制限の下にあるとを【問わず】」とあり、人権は国が与えるのではなく、国がどんな状態であろうと、また国に所属していなくとも人が持っているものだ。 ・読書会に用いたテキストは初等及び中等教育(日本では小中高生)の教員向けに、人権教育の手引きとして作成された。
・だが、出席者からは日本において「人権」に関する教育はどの程度なされているかは疑問だという意見が多数あり、その疑問は教員免状所持者からも出た。

 テキスト「はじめに」から
「世界の歴史的な事件はいずれも人権がかかわっています。世界上のあらゆる地域で人権は自由と平等を求める人々の闘いを支えてきたのです」
「人権を確立することによって、人間の自由を政治的に保障する土台が得られる(ウ・タント国連事務総長『国際連合と人権』)」
「人権が絶えず侵害されつづけていることへの遺憾の意を表明(ハビエル・ペレス・デクエヤル国連事務総長『国連の人権活動』)

松代より補足

テキストでは「はじめに」において「人権」は常に侵害されつづけてきたものであり、また「自由」の土台である「人権」は、人類全体が不断の努力で保障・保護しなくてはならないことに言及している。したがって、時たま見られる「社会に『人権』なんか存在しない」という言説は「自分には人権意識がない」という表明以上のものではない。また「人権」に対立するかたちでの「自由権」という主張は全く不合理である。基本的な原則として「自由権」の主張は、まず「人権」という土台への最大限の敬意によってのみ成立すると考えられる。

 テキスト「第1章 この本では」から
「人権は私たち人間にとって固有の権利であり、人間として生きていくのに欠かせない権利と一般に定義できるでしょう」

 テキスト「教えることと説教すること…行動は言葉より多くを語る」から
「教師の側に見せかけがあってはなりません。教え方が教える中身と相反していれば、それは見せかけになってしまいます」

『世界人権宣言 第2条 (権利と自由の享有に関する無差別待遇)』
1.すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的もしくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる。
2.さらに、個人の属する国又は地域が独立国であると、信託統治地域であると、非自治地域であると、又は他のなんらかの主権制限の下にあるとを問わず、その国又は地域の政治上、管轄上、又は国際上の地位に基づくいかなる差別もしてはならない。
「簡素な文 第2条」
どんな人でも、この宣言に書いてあることがきちんと認められることになっています。男か女か/肌の色は何色か/どんな言葉を話しているか/どんなことを考えているか/どんな神さまを信じているか/お金持ちか貧乏か/どんな人たちの子どもとして生まれたか/どこの国から来たかは、関係ありません。それから、今すんでいる国が独立国かどうかも関係ありません。

・人権保障は「国家に対して」強制されており、人が国家から強制されるのではない。ただし、多くの国家では、外国人に対して一部の人権を停止している(国政参政権など)。
・第2条第2項は「国賦人権論」の明確な否定であり、人権は国家により保障されるものではない。ファシズムは、国家を持たない人間(ユダヤ人、ジプシー)には「人権がない」としたが、第2条第2項そのような歴史的事実に対する反省という意味合いもあるだろう。
・人権保障の義務は国家が負っているが、国家という統治組織がないときは、国連が人権保障の肩代わりをする。また、第2条第1項で言う「門地」とは、出身階級あるいは嫡出子か否か等を指す。

松代より補足

 国家が自国の国籍を所有していない人間(正確には非納税者)の人権を制限することには、一定の合理性がある。しかし、納税と参政権はバーター関係にあるので、例えば日本において外国人にも地方参政権を与えようとの主張は、地方税の納税とのバーターで合理性がある。仮に外国人に地方参政権を認めないのなら、税を徴集することの合理性が怪しい。また、世界には過度に外国人の人権を停止する国家もいくつかあるが、外国人に対する人権の制限は『人権宣言』の精神から問題があるだろう。

『世界人権宣言』第6条、第7条、第8条
・以上の各条文は、法の下での平等、国家に対する法治の強制を規定している。

『世界人権宣言 第12条 (私生活、名誉、信用の保護)』
何人も、自己の私事、家族、家庭もしくは通信に対して、ほしいままに干渉され、又は名誉及び信用に対して攻撃を受けることはない。人はすべて、このような干渉又は攻撃に対して法の保護を受ける権利を有する。
「簡素な文 第12条」
もし、だれかが、あなたの評判を傷つけたり、かってに家に入ろうとしたり、あなたに来た手紙をかってにあけたり、まともな理由がないのにあなたや家の人たちのいやがることをしたりしたら、守ってもらう権利があります。


・日本では、この第12条が空文化している惧れがある。例えば、雇用者が被雇用者、あるいは保護者が被保護者の通信の秘密に過干渉することは人権侵害なのだが、当事者は人権を侵害しているという意識が非常に鈍い。

『世界人権宣言 第14条 (迫害)』
1.すべて人は、迫害を免れるため、他国に避難することを求め、かつ、避難する権利を有する。
2.この権利はもっぱら非政治犯罪又は国際連合の目的及び原則に反する行為を原因とする追訴の場合には、援用することはできない。
「簡素な文 第14条」
だれかがあなたにひどいことをしたら、よその国に出かけて行って、守って下さいと言う権利があります。ただし、あなたが人殺しをしたときや、あなたがこの宣言を守らなかったときは、この権利はなくなってしまいます。


・政治難民を保護する条文である。第2項は「犯罪者の高飛びを容認するものではない」ということを示しているが、日本をはじめとする多くの国家では「非政治犯」との観点から経済難民を認めないが、この条文は政治的経済的な情況によって解釈に幅がある。

『世界人権宣言 第19条 (意見、発表)』
すべて人は、意見及び表現の自由に対する権利を有する。この権利は、干渉を受けることなく自己の意見をもつ自由並びにあらゆる手段により、また、国境を越えると否とにかかわりなく、情報及び思想を求め、受け、及び伝える自由を含む。
「簡素な文 第19条」
あなたは、好きなことを考えたり、言いたいことを言ったりする権利があります。だれかに禁止されたらおかしいです。意見の交換もできなかったらおかしいです。相手がよその国の人でも同じです。


・この第19条は「内心の自由」に関わる部分である。基本的な前提として「内心の自由」は「表明する自由」と表裏一体であり、言うなれば「表明する自由」のない「内心の自由」は存在しない。

『世界人権宣言 第21条 (参政権)』
1.すべて人は、直接に又は自由に選出された代表者を通じて、自国の政治に参与する権利を有する。
2.すべて人は、自国においてひとしく公務につく権利を有する。
3.人民の意思は、統治の権力の基礎とならなければならない。この意思は、定期のかつ真正な選挙によって表明されなければならない。この選挙は、平等の普通選挙によるものでなければならず、また、秘密投票又はこれと同等の自由が保障される投票手続によって行なわれなければならない。
「簡素な文 第21条」
あなたは、自分で政府に入ったり、自分と同じ考えの政治家を選んだりすることで、自分の国の政治に参加する権利があります。政府は、定期的に選挙で決められなければおかしいです。投票はひみつにできないとおかしいです。あなたの投票権は一人分で、ほかの人の投票権もみんな一人分でなければおかしいです。あなたも、ほかの人たちも、みんな同じように、おおやけの仕事につく権利があります。


・第21条は参政権に関する条文である。日本は選挙の投票率が低いが、これはふつうの人が政治に参加しにくいシステムになっていることによる。そのため、しばしば投票率を上げるための案が議論されるが、政治への参加システムを問題にするのではなく「他の先進国は投票率が高いのに日本は投票率が低くて恥ずかしい」という、本質からかけ離れた議論になっていることが多い。

松代より補足

 投票率を上げる為の方策には様々なものがあり、中に「投票所に行くと飴が貰える」など「投票所に行くとオマケがついてくる」案もあるが、このような案のいくつかは後進国で実施されていて、実際に一定の効果がある。
 その反対に「投票に行かないと、手続きをとるまで投票権が停止される」等というペナルティを科する案もあり、オーストラリアなど先進国で実施されている。
 投票率を上げるための方策として「飴か鞭か」は常に議論の対象となっているが、日本では「飴」案を実施すると後進国っぽくって恥ずかしい、反対に「ペナルティを伴った義務」案のほうが先進国っぽくっていいという、極めて表面的かつ浅薄な議論がある。だがこのような議論は、言うなれば政治が見栄を張るための道具と化するもので、無能な代議士(あるいは政府)を選出してしまったときの国民のデメリットを忘れた議論ではないだろうか?

鎌倉の意見

 日本の場合、都会と田舎では「投票に行こう」という掛け声の意味合いが異なる。田舎では、投票行動を促進するかけ声が「今回も自民党に投票しろよ」という意味であることがしばしばあり、自民党が大敗するときの投票行動は、それまで「しがらみで自民党へ投票していた人々が、投票所へ行かないという選択をした結果による」ものであることがしばしばある。なかなか単純に考えることができない。
 例えばコンビニでの投票が可能になれば、投票率は上がるはずだ。投票を巡る利便性は、日本ではもっと検討されるべきだ。

『世界人権宣言 第24条 (休息、余暇)』
すべて人は、労働時間の合理的な制限及び定期的な有給休暇を含む休息及び余暇をもつ権利を有する。
「簡素な文 第24条」
どんな人でも休む権利があるので、1日のうち働く時間が長すぎるのはおかしいです。給料をもらいながら、定期的に休暇をとれなくてはいけません。


・この24条は労働と休暇に関する権利を規定している。だが、日本ではこの権利が事実上停止されている。

『世界人権宣言 第25条 (生活の保障)』
1.すべて人は、衣食住、医療及び必要な社会的施設等により、自己及び家族の健康及び福祉に十分な生活水準を保持する権利並びに失業、疾病、心身障害、配偶者の死亡、老齢その他不可抗力による 生活不能の場合は、保障を受ける権利を有する。
2.母と子は、特別の保護及び援助を受ける権利を有する。すべての児童は、嫡出であると否とを問わず、同じ社会的保護を受ける。
「簡素な文 第25条」
あなたは、自分や家族が病気になったり、おなかがすいたり、着るものや住む所がなかったりしないように、必要なものを手に入れる権利があります。仕事がなかったり、病気になったり、年をとったり、妻や夫が死んだり、どうしても自分だけではやっていけない理由が何かあったりする場合は、助けてもらえます。あかちゃんが生まれそうなおかあさんや、生まれたあかちゃんは、特別に手伝ってもらったり、助けてもらったりできます。生まれた子どもは、おかあさんが結婚しているかとは関係なく、みんな同じ権利を持っています。


・生活保護に対して、日本では非常に不名誉なことだとする独特の偏見がある。とはいえ、働ける人間が労働せず生活保護を受けるのは財政をパンクさせるので、望ましいことではない。
・生活保護を受けている人がクーラーを購入したら贅沢だとして給付を停止され、その被保護者が熱中症になった事件があった。また、生活保護を受けている人は貯金してはいけないなど、生活保護に対して「最低限の文化的生活」という言葉を、行政などが「最低な生活を強制すること」だと曲解している場合がしばしばある。

『世界人権宣言 第26条 (教育)』
1.すべて人は、教育を受ける権利を有する。教育は、少なくとも初等の及び基礎的の段階においては、無償でなければならない。初等教育は、義務的でなければならない。技術教育及び職業教育は、一般に利用できるものでなければならず、また、高等教育は、能力に応じ、すべての者にひとしく開放されていなければならない。
2.教育は、人格の完全な発展並びに人権及び基本的自由の尊重の強化を目的としなければならない。教育は、すべての国又は人種的もしくは宗教的集団の相互間の理解、寛容及び友好関係を増進し、かつ、平和の維持を促進するものでなければならない。
3.親は、子に与える教育の種類を選択する優先的権利を有する。
「簡素な文 第26条」
あなたは学校に行く権利があります。だれでも学校に行くことができないとおかしいです。小学校に行くのはただでなければなりません。働くための勉強をしたり、もっと上の学校に行きたいときには行けなければなりません。学校では、自分の持って生まれたものを全部育てるようにできなければおかしいです。人種や、宗教や、どこの国から来たかと関係なく、いろいろな人と仲良くできるように教わらないとおかしいです。あなたの親は、あなたが学校で何をどう教わるかを選ぶ権利があります。


・この26条は教育を受ける権利を規定している。教育権を保障する「義務教育」とは、国家が国民を教育する義務を科せられているのであり、子どもに義務が負わされているのではない。
・他の先進国と比較して、日本の奨学金制度は非常に貧弱である。日本でも学校を地域に開放する政策、学校が地域の文化センターとして位置付けられる政策が実験的に行なわれていたが、宅間守の小学校殺人事件によってその流れが止められてしまった(校門が開放されていたことが、事件の原因だとされた)。

松代より補足

 奨学金には返還する必要のない特待生的なもの、無利子で貸与されるもの、低額の利子付きで貸与されるものの3種類が存在している。日本では「利子付きの奨学金が基本」であり、無返還もしくは無利子の奨学金は極めて少ない。

『世界人権宣言 第27条 (文化)』
1.すべて人は、自由に社会の文化生活に参加し、芸術を鑑賞し、及び科学の進歩とその恩恵にあずかる権利を有する。
2.すべて人は、その創作した科学的、文学的又は美術的作品から生ずる精神的及び物質的利益を保護される権利を有する。
「簡素な文 第27条」
あなたは自分の社会で芸術や科学を楽しむ権利があります。芸術や科学が役に立つときには利用する権利もあります。あなたが芸術家や作家や科学者として仕事をしたら、その仕事はあなたのものとして守られなくてはおかしいし、その仕事をしたことでいいことがあるようにできないとおかしいです。


・サミット参加国の多くは、公共の美術館・博物館を無料で開放している。だが、日本の場合はほとんどが有料である。日本では「文化」は贅沢品だ、という意識がある。
・第2項は著作権などに言及したものと解釈してよい。

『世界人権宣言 第29条 (社会に対する義務)』
1.すべて人は、その人格の自由かつ完全な発展がその中にあってのみ可能である社会に対して義務を負う。
2.すべて人は、自己の権利及び自由の正当な承認及び尊重を保障すること並びに民主的社会における道徳、公の秩序及び一般の福祉の正当な要求を満たすことをもっぱら目的として法律によって定められた制限にのみ服する。
3.これらの権利及び自由は、いかなる場合にも、国際連合の目的及び原則に反して行使してはならない。
「簡素な文 第29条」
あなたには世の中を自分もいちばん自分らしく成長していける場所にしていくための義務があります。法律は人権を保障していないとおかしいです。法律は、どんな人でも、ほかの人を尊重し、ほかの人から尊重されることができるようになっていないといけません。


・非人道的社会に対して「人は義務を負わない」ということを、この条文は示している。

松代より補足

 社会のあり方に個人の生き方を合せるのではなく、個人が「より自由にかつ自分らしく」生きることができるように「社会が個人に合せる」のが基本であることを示している。社会の庇護によって人権が保障され、個人は社会の一員として「社会への義務を優先しなければならない」とした全体主義思想の明確な否定であり、また「個と公のあり方」といった議論を真っ向から否定する条文ともいえるだろう。個人は「個人を否定する社会」に対して、何等「義務を負っていない」のである。

『子どもの権利条約』
・この条約は『世界人権宣言』の再確認であり、それに加えて教育と児童労働に関する記述がなされたものである。

 

・参考リンク
国連の成立と目的
http://www.unic.or.jp/know/form_b.htm
国連の基礎知識
http://www.unic.or.jp/know/kensyo.htm

 

読書会では、この他に以下のような意見が出た。

・日本は高校の進学率が高いが、その一方で高卒者が高校までに得た知識をどのくらい保持しているかとなると、他国の高卒者に比べてかなり劣っているというデータがある。
・日本でも「大人に対する性教育」が重要であると提起された。
いわゆる「純潔」の推進によって、性感染症などの予防に成功した例はない。タイは、国家規模から考えると信じられないほどの予算をHIVの感染予防に投じたが「爆発的に増大するのを抑える」のがやっとで、いまだ「減少させる」には至らない。また中国では、今後HIVの発症が爆発的に増加する可能性がある。科学的な「性知識」を身につけた個人が、その上で「純潔」という選択をするのは問題ないが、まず「純潔」を優先して「性知識」から人を遠ざけるのは誤っている。
・日本では、世論の圧力によって中高生むけ性教育副読本『ラブ&ボディ』を回収した地域もあるが、子どもへの性教育以前に「大人も性感染症その他に関する科学的な知識が貧弱」なのではないか。この「大人に対する性教育」は、ある程度まで「行政の力も借りる事も含め」検討されるべきではないか。

(9月16日付)

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グリーントライアングルでは、先日8月17日に子どもの性的虐待をテーマとした本の読書会を開催した。

 日時: 8月17日(土曜日)

 会場: 上池袋コミュニティーセンター会議室(25人部屋)清掃工場に隣接したビルの7F

 時間: 午後5時30分から、午後9時30分

 会の模様
 まず、読書会指定図書『知っていますか? 子どもの性的虐待一問一答』から問1、問2、問3、問5、問8、問9を選び、全員で読み合わせた。
 読み合わせの後、休憩をとって自由発言の時間となった。自由発言時間においては、概ね以下のような意見がとり交わされた。

・日本における法的な性交合意年齢は、13歳と規定されている。すなわち法的には、その年齢へ達するまでには、性についての確かな認識を持っていることが前提となっている。

・性的自己決定権について、誤解している人が少なくない。性的行為に携わることが前提となっているのではなく、それを「拒否」することも性的自己決定権の一部である。また、性的行為に同意する場合でも、本当はいやなのに形式的に同意する場合は「性的自己決定」とは言えない。その背景には個人の判断能力もさることながら、年長者や権力者による「無言の圧力」を「拒否」できるかどうかという部分もある。実際、カナダでは18歳未満の未成年者が4歳以上の年齢差がある相手と性行為に及んだ場合、無言の圧力が加わったと見なして「同意」と認めない。

松代より補足

 こどの人権を保護する考え方においては、未成年同士の性行為においても年齢差による無言の圧力が発生すると認められている。具体的には、17歳の未成年Aが12歳の未成年Bと性行為に及んだ場合、子どもが子どもを性的に虐待したこととなる。また、使用したテキストにおいては、カナダの事例が紹介されていたが、WEB等で法文の追跡ができなかった。しかし、北欧などにおいては年令差条項を取り入れている国もあり、単なる人権理論の域を越え、法律として機能しているのはまちがいない。

・性的搾取(セクシャルエキスプロイテーション)とは、年長者が自分の身勝手な性欲を満足させるために、子どもを使うことである。あくまで、子どもは、「被害者」である。

・子どもの性的搾取を考える際、子どもの「性的非行」という枠組を持ち込むことは問題を矮小化させる。

・子どもの性的搾取という問題に対して、道徳的な解決を求める人は少なくない。だが「道徳律」を強めるほど、性搾取者には都合がいい。道徳律で縛るほど、縛られる側は「道徳的ではない自分を認めてくれる人」を求めるが(=被承認願望を満足させてもらいたがる)、多くの場合子どもを「認める」人が性搾取者となる。

・ベトナム戦争以降、アメリカでは、児童性的虐待の問題が顕在化した。研究者の中には、性虐待者の自己無力感をひとつの大きな要因と考える人々も存在する。

松代より補足

 第1次及び第2次世界大戦、また朝鮮戦争などの帰還兵が児童性虐待の問題を引き起こしたかどうかについては異論もあり、ドイツや日本の事例も含めて今後の研究がまたれるところだ。ただし、第1次世界大戦後のドイツや、第2次世界大戦後の日本においても児童性虐待が増えたと見なしうる資料があり、あるいは同時期に殺人淫楽症者によると見受けられる殺人事件も数多く発生している事は、非常に興味ぶかい現象であろう。

・日本の性交合意年齢は、世界的にも例外といえるほど低く(13歳以上)に設定されているが、世界的には16歳からを同意年齢と見なす例が多い。他方「青少年条例」は18歳未満を青少年としている。その理由として「青少年条例」は「児童福祉法」の概念を流用している事をあげられるが、条例の主旨として未成年の「非行防止」を目的としていることも無視できない。

・性虐待者は性知識の乏しい人に対して加害する。

松代より補足

 この話題に付属して、性教育副読本『ラブ&ボディ』を回収した地域と、性犯罪の発生率の比較をする必要があるとの提案がなされた。また、参加者のひとりは「イギリスでは性教育を五歳児からしたほうがいいのではという提言がある」とコメントした。

・いわゆる「援交」で得た金は、彼氏に貢ぐ例が多いとされている。裏づけとなる統計資料等は存在していないが、当事者などによる証言や取材では貢いでいる事例が多い。

松代より補足

 被承認願望を満足させてもらいたがる子どもが、承認を与える年長者に搾取されているのではないかとの予測を裏づける現象と捉えることも可能だ。また、いわゆる「援交」においても、子どもを「認める」人が性搾取者となるといえよう。道徳的な解決法が効果を発揮するとは言いがたい事実として、特に注目しておきたい。

・東京都では警察官や教員など、公務員をネタにして性的な行為を描写した作品を、不健全指定などを通じて事実上禁止している。公務員の威厳、品位を貶めるからというのがその理由で、ソフ倫を始めとする審査団体も公務員の描写には非常に神経を使う。だが、事実として警察官や教員によるセクハラは多いのだから、それを題材としたフィクションを取締るのは不合理だと思う。

・司法は「推定無罪」が原則だが、アメリカの児童性虐待事犯については、被疑者側が「無罪を立証しなければならない」ことが多い。第三者による事実関係の証明が困難というのがその理由だ。

・子どもへの性的「被害」というものをどう捉えるかは非常に重要だ。まず、なにより被害者自身の考えを尊重するべきであり、それに対し余計なレッテルや物語を「被害者のためを思って」付与するのは被害者への二次被害になりかねない。

・被害者自身の意識を尊重するという観点から、児童買春児童ポルノ法の改正案として「一定の年齢に達した被害者について『親告罪』を導入する案」は、検討に値する。また「親告罪」にすることで、「援交禁止法」的性格が消える。

・児童買春児童ポルノ法の改正案として、加害者への対応は警察、被害者への対応は(たとえば)厚生労働省などと、分野別に所轄官庁をはっきりさせるという提案はあってしかるべきだ。そうしなければ「被害者」であるはずの子どもが「性的逸脱」行為を行なった「非行少年」としてとらえられがちになり、法律の趣旨に反する。また、児童性虐待被害者を一括して扱う部署が存在しないため、この問題にあたるスタッフの育成がなされていないという実情もある。

・現在、思春期の子どもの逃げ込み先が存在しない。児童相談所、児童養護施設など厚生労働省管轄の児童福祉施設は、低年齢の子どもの対応でいっぱいいっぱいである。事実上、思春期の子どもは警察が対応している。だが、警察は保護するための機関でない。DV法のシェルターにあたる、公的なものが必要だ。

松代より補足

 外国人についてはNGOが思春期の未成年者も収容するシェルターを運営しているが、収容人数の点だけ捉えてみても全く必要を満たしていない。

・逃げ込み先である「シェルター」の運営については、公営と民営とのいずれにするかが問題となる。公営のシェルターについては様々な問題点を指摘する声もあるが、全て民営にしてしまうのも危険だ。公立と私立と双方が並立し、同時に運営情況をチェックのできるシステムが必要だ。実際、児童福祉施設はほとんどが民間ばかりだが、公的な監視体制が不充分なための問題も起きている。

・性虐待の問題では、アイデンティティのうち、性行為そのものの占める割合がやたらと大きすぎる。他のアイデンティティの不足を性行為で埋めている。

・子どもの自己決定能力を育む、キチンとした性教育が必要だ。これは同時に人間関係を作るソーシャルスキル教育でもある。つまり「拒否していい」ということの、スキル教育だし、なにより「自己決定」権とは「拒否」権でもある(やり取りの中で「カイロ会議」の成果が、大人へ全く伝えられていないとの意見もあった)。

・現行法には様々な問題があり、グリーントライアングルとしても「独自改正案」を議論、提案する必要がある。

当日の参加者は合計10名で、またARC(子どもの権利のための行動)代表の平野裕二さんがゲストとして参加した。

当日のまとめにについては、読書会会場で作成したメモをベースに松代が補足、あるいは表現を手直しした。(8月18日付)

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