サモアのバスは冷えた身体を暖める


 唐突なようだが、ウェスタンサモアのローカル・バスの窓にはガラスがない。

 雨が降ってくれば、窓枠の下のほうからプラスチックの板を引き上げるが、普段は吹き抜けである。

 中古トラックを改造したバスのいすや床や天井は木造で、昔の木造小学校の教室を縮めたみたいだ。

 せまくるしく二人がけの席が詰まっているが、風が吹き抜けていくのでうっとおしさはない。

 海岸沿いの一本道を走り続けながら感じる風は、クーラーの過保護な快適さになれた身に新鮮な刺激と安らぎをあたえてくれる。


 始点と終点以外に、バス停はない。道ばたで手を挙げている人がいれば、そこでバスはとまる。

降りるときは、バスの最後部から天井をつたって運転手のベルにつながっているひもをひっ ぱれば、すぐにとまってくれる。道がよくわからなくて、どこでひもをひっぱればいいかわからない場合には、乗るときに、たとえば「ファジトーウタ」と行きたい村の名前を運転手に言っておけば、適当なところでおろしてくれる。

運転手でなくても隣り合わせた人にでも村の名前を言っておけば、眠りこ けたときでも、着けば起こして教えてくれる。バスの最後部の上のほうには、ラジカセがはめこんであって、吹き込んでくる風にかきまぜられたレゲエっぽい音楽がバスを活気づけている。

若者たちは、曲のリズムに合わせてひっつきあって体をゆすっている。サモアの若者たちは、たいてい後部座席にかたまって座っているが、その理由は、このラジカセのせいばかりではない。

年配の人や子供連れが乗ってくると、前のほうに座っていた若者は、後ろの座席にさっさと移っていくからだ。だから、満席になる頃には、前から後ろに年齢が若くなっていくという秩序が、どのバスでもできあがっている。年配の人間や大変そうな人を大切にすることは、サモアでは当然の慣習となっている。


 サモアのバスの圧巻は、満席の状態でさらに新しい客が乗り込んできたときに起こる移動である。初めてこの移動を見たときには驚いた。窓側の男の人がとなりの高校生くらいの女の子の肩をつつくと、その女の子がその男の人の膝の上に横向きにのっかり、その空いた席に乗ってきた体格のいいおばさんが座ったのである。

面白いのは、女性と男性が別に恋人同士というわけではなく、たまたま隣り合わせた大人同士でもこれが起こるということであった。満席でもかまわず次から次へと乗り込んでくるので、やがて最後部は、若者たちがてんこ盛りになってかたまる。そして、そこここで女性たちが膝の上に乗っていることになる。

女性が女性の膝の上に乗ることも、男が男の上に乗ることもある。私も座っていたら、一〇〇キロを軽く越すおじさんにひょいと持ち上げられて膝の上にのっけられたことがあった。三〇歳をこえてバスで知らないおじさんの膝の上に乗っているというのは、なんとも不思議でまぬけな、しかしどこかうきうきした気分であった。

以上、子どもに伝えたい「三つの力」―生きる力を鍛える NHKブックス
斎藤 孝 (著)から引用